「人材」という言葉が嫌いです。同じように思う人は多いようで、昨今は敢えて「人財」という言葉を使う人もいますが、実は「人財」も嫌いです。
人材の語源
もともと人材という言葉は「人才」と書いたようです。西暦90年ごろの中国の古典が最初で、日本でも室町時代には人材という表現があるということです。「才」の字の通り、もともと才能のある人を表す表現でした。
国語辞典的には、
才能があり、役に立つ人。有能な人物。人才。「_を求める」
とされています。
人材の「材」の字は、「才能」の意味なのですが、「材料」のニュアンスを嫌って、「人財」と呼びたいという流行がありました。いまではけっこう多くの企業が「人財」という表現を使っています。
これは、「財産」という意味です。まさに人は財産という思いで、こう読んでいるようです。
なぜ嫌いなのか
では「人材」にしても「人財」にしても、なぜ嫌いなのか。それは上から目線だからです。
例えば、社長が死んだときに、社員が「惜しい人材(人財)を亡くした」と言うでしょうか? 総理が事故で亡くなったときに閣僚が「非常に優秀な人材(人財)だった」とコメントするでしょうか?
自分より立場が上の人に対しては、人材という言葉は普通使いません。つまり、この言葉には、「(自分にとって)役に立つ人だった」というニュアンスが濃厚にあるのです。
人材には、仲間とかパートナーと違う
ぼくは、どんな組織でも、各人は必要な役割を果たしている立場だと考えています。どっちのほうが偉いとか、管理者のために働いているとか、そういう発想は嫌いです。現場の人間は、自分たちの仕事をスムーズにしてくれるかどうかで管理職を評価していいと思うし、長期的に給料を上げられるような業績に持っていく責任を管理職には期待します。
こうした対等な関係には、「人材」も「人財」も合いません。しっくりくる言葉は「仲間」とか「パートナー」ですね。
一方で、社内をまとめて方針を完遂させるには、上司の威光を振りかざして畏怖させるのが手っ取り早かったりします。いわゆるマウンティングです。マウンティングしてくる人は嫌な人と見られがちですが、上司が部下を掌握する手段の一つとしては、けっこう有効です。
しばしば、言うことを聞かない新しい部下がいるときに、会議の場などで難癖をつけてやっつける上司っていますよね。これは、初対面に近い段階でマウンティングすることで、上下関係を明確にして、掌握をやりやすくする手法の1つです。上司を見ていてください。これを意図的に行う人はけっこういます。
ぼくはこれが嫌いでした。しかし、マウンティングせずに部下に言うことを聞かせるには、圧倒的な実績などから生まれるカリスマ性で納得させるか、理詰めで説明し理解してもらうしかありません。でも、ロジックでは人は動かないんですね。僕が管理職を辞めたくなったのも、これが理由です。
ならば、契約とお金で動く、プロジェクト単位のチームのほうが魅力的です。もちろんこうしたパートナーとの仕事でも信頼関係は重要ですが、ここでいう信頼関係は誠実かどうかです。
組織を作れることが、人間を地球で最も繁栄する生物にしました。ただ、上下関係という構造と、一つの組織にすべてを捧げるという生き方は、だんだん変わってきています。複数のコミュニティへの所属が増えてきているし、副業解禁論にもあるように、収入の多元化も進みつつあります。軍隊のような迅速な判断が求められる組織は別として、資本主義社会のプレーヤーとしての組織は、上意下達の関係から、もっと対等な関係になっていく。だから、「人材(人財)」という言葉は使いたくないと思います。