人生を通して資産とどう向き合っていくかを考えると、働いて給料から積み立てていく資産形成期、 積み立ては終了するが運用で徐々に増やしていく資産維持期、そして最後に資産を取り崩して生活費に充てる資産活用期となります。
従来、いかに資産を積み立てるかについてや、運用でどうやって増やしていくかは、さまざまな情報が出ていましたが、どうやって取り崩していくかの情報はあまりありませんでした。本書、『定年後のお金』はその取り崩しに特化した本です。
なぜ定年後のお金について興味があるかというと、セミリタイアしたというのは、つまり、人より早く定年後に突入したのと同じだからです。
積み立ては定額積み立て、なら取り崩しは?
著者はフィデリティで、退職・投資教育研究所所長を務めた野尻氏。現在は実際に定年退職し、自分ごととして取り崩しと向き合っているそうです。
さて、積み立てに関しては最適なロジックとして「定額積み立て」があります。いわゆるドルコスト平均法です。これは多くのFPや金融機関が「リスクが減る」という説明をしますが、注意しなくてはいけないのは「何に対して」という部分です。以前にも書いたように、一括投資に比べた場合、特にリスクが減るわけではありません。
基本的には、安定して積み立てを実行するための、金融機関にとって都合のよい都市伝説であり、行動経済学的にもこれは人の心理にマッチしているものだとは言えます。ただし、投資で考えた場合に、何からリスクを減らしたりリターンを増加させるものではないといえます。
では、積み立ての逆となる取り崩しはどう考えたらいいのでしょうか? 普通に考えると、毎月5万円ずつ取り崩すという「定額引き出し」が便利そうです。生活費は相場と違って毎月変動するようなものではないので、無駄なく引き出していくという考え方です。
しかし著者は、これは大きな問題があると説きます。「収益率配列のリスク」があるからです。これは、「Sequence Risk」または「sequence-of-returns risk」と呼ばれるもので、リタイア期の資金取り崩しのリスクとして、米国ではよく研究されているものになります。
収益率配列のリスクとは?
では収益率配列のリスクとは何でしょうか。著者が寄稿したWebの記事から図を引用します。
※「定年後のお金」の引き出し方を間違った人の奈落(野尻 哲史) | マネー現代 | 講談社(2/3)
ポートフォリオAとポートフォリオBのそれぞれで、毎年40万円の定額引き出しをした場合の資産の推移を見ます。ポートフォリオAでは1000万円が670万円に減っています。一方でポートフォリオBではなんと240万円まで少なくなっています。同じ額を引き出したのに、どうしてこんなに差がついてしまったのでしょうか?
「相場が悪かったからじゃないか」 。そう思うかもしれませんが、実はこのポートフォリオAとBの年間収益率は、順序をひっくり返しただけです。つまり期間全体を通した平均リターンは全く同じだというわけです。
それなのに大きく結果が違ってしまうのは、まさに収益率の「配列」が違うから。資産額が大きいときに高いリターンの年が来るのか、資産額が小さいときに高リターンが来るかで、全く結果が変わるという例です。
想定以上の資産減少を避けるための定率引き出し
こうしたリスクを避けるために使うのが、定率引き出しです。例えば4%と率を決めて、毎年資産の4%を引き出していきます。この方法では、どんな順序で収益率が来ても最後に残る資産額は同じになります。
ただし、引き出せる合計額は、収益率の並び方でけっこう変わってきます。資産の減り方が一定になる代わりに、引き出し額が大きく変動するのです。初期に高リターンが来ればたくさん引き出せますが、初期に低リターンが来てしまうと小さな額しか引き出せなくなります。
こうしたリスクがあることから、著者は、取り崩し期には大きな資産変動を避けて、低リスク資産への投資に切り替えるべきだと書いています。
「定率引き出し」では、運用のリスクの大きさが引き出し額の変動に連動するため、それを避けるにはリスクの少ない運用が求められます。そのためには、収益率もできるだけ低いほうがいいと言えるのです。
もう一つの問題は、取り崩しで総資産が小さくなるに連れて、引き出せる額も小さくなっていくことです。これは収益率の配列に関係なく、定率引き出しの宿命です。
予定利率引き出しとは?
これを解決するのが予定利率引き出しです。これは引き出し率を平均で一定にするという考えの元、当初は引き出し率を下げておき、徐々に上げるという考え方です。例えば60歳時点では3.8%の引き出し率で、75歳からは4.5%まで上げます。
こうすることで、定率引き出しであっても、生涯を通じてほぼ一定の引き出しを実現できるというわけです。
さらに、インフレのない日本ではイメージしにくいですが、インフレ率分だけ毎年引き出し率を上げていくというのも、リタイア先進国で2%程度のインフレが継続している米国ではあるようです。例えば、当初は4%の引き出しですが、毎年インフレ率の2%だけ引き上げて、翌年は4.08%、その次は4.1%としていくというわけです。
余命の逆数引き出しとは?
書籍内では触れていませんが、著者は講演でさらに進んだ方法として「余命の逆数引き出し」も挙げていました。余命、つまり60歳で平均余命が30年だとしたら1/30 = 3.3%を引き出し、80歳になって平均余命が15年になったら1/15 = 6.6%に上げていくという考え方です。
厚労省の平成30年簡易生命表から、年齢別の平均余命の逆数をグラフにしてみました。1年年を取れば死ぬまでの時間も1年減ったように思いがちですが、実は長生きするほど平均余命の減りは遅くなります。長く生きるにつれて死ぬ可能性が減っていく感じです。それを逆数にすると、こんなグラフになります。
この逆数を使った引き出しの前に、リスクゼロ、リターンゼロの運用という仮定で、定率引き出しをしたら、資産額と引き出し額はどんな推移になるのかグラフにしてみました。左軸が引き出し額、右軸が資産額です。
定率なので当然ですが、資産が多いときはたくさん引き出せて、資産が減ると引き出し額も減っていきます。つまり金額は大きく変動してしまいます。では、余命の逆数を引き出し率に使った場合、どうなるでしょうか。
なるほど、80歳を越えたあたりからは引き出し額が急速に減少しますが、それまでは比較的安定した引き出し額で推移することがわかります。
さらに、資産を3%で運用しながら、余命の逆数の率で引き出していったらどうなるでしょうか。60歳までは引き出し率と運用利回りの差がそれほどないため、資産の減りが遅く、そのために引き出し額のピークが来るのが70代後半になるという面白いグラフになりました。
いろいろと試算すると面白いのですが、これらはリターン変動を織り込んでいないので、このままでは参考になりません。実際はモンテカルロ・シミュレーションで、死亡まで資産が尽きない可能性が90%くらいになるような、取り崩しロジックと運用方針を決めるべきでしょう。
これは運用よりもシビアかつリアリティがあって、けっこう面白そうではあります。
「減らすことが目的だ」
最後に、著者の言葉で印象に残っているのが「減らすことが目的だ」というものです。みんな貯める議論にはたいへん熱心ですが、それを取り崩す段になると、減るのが怖くなります。
7700万円もの資産がありながら、年金生活に入ると毎月12万円の赤字だというのが不安で、爪に火をともすような節約をし、お金が不安で眠れないという主婦の話がありました。
貯めた資産は使って減らすもの。理屈では分かっていても、なかなか心ではそれを納得できないものなのかもしれません。でも、だからこそロジックの組み立てとシミュレーションが大事なんですね。