投資にまつわる金融理論にはアカデミックな1つの柱があります。それは「効率的市場仮説」というもの。多くの理論がこれをベースに、またこれに例外を付け加える形で構築されています。インデックス投資の理論的背景が効率的市場仮説ですね。
ところが効率的市場仮説には、「人間は合理的に判断する」という前提があります。でも、人間が合理的じゃないなんて、みんな知っていますよね。今回は、その中の1つ、「エルスバーグのパラドックス」を。
赤い玉と黒い玉が入った壺
エルスバーグのパラドックスとはこういう問題です。ある壺に、赤い玉と黒い玉がそれぞれ50個ずつ入っています。ここから中を見ずに一つ玉を取り出します。どちらの玉が出ると思いますか?
さらに、選んだ色の玉が出れば1万ドルもらえます。このゲームは1回だけ行えます。このゲームに、いったいいくらなら払ってもいいですか?
簡単な計算ですね。赤を選んでも黒を選んでも、自分の選んだ色の玉が出る確率は50%です。どちらのほうが有利ということはありません。そして当たれば1万ドルですから、期待値は5000ドルになります。
このトライにいくら払うかは考え方次第ですが、5000ドルを超えると期待値を上回ってしまい、確率的に損をしてしまいます。『適応的市場仮説』の中で著者が学生に対して、このトライを行う権利をオークションにかけたところ、5000ドルをちょっと下回るところで落札となったそうです。
赤い玉と黒い玉が入った壺 その2
では同じ内容で、今度は赤い玉と黒い玉の割合が分からない壺です。赤い玉が100個かもしれないし、黒い玉が100個かもしれません。赤30、黒70かもしれないし、赤50、黒50かもしれません。
今度はどちらの玉に賭けますか? また、このゲームの参加料はいくらなら適切でしょうか?
MBAの授業でこの2つ目のゲームに参加する権利をオークションにかけると、入札する学生はさっきよりずっと少なく、だいたいの場合、4500ドルを上回る入札はあまりない。なんでみんな入札しないんだと聞くと、彼らは迷うことなくこう答えた。今度のゲームに入札するのは気が進まない。オッズが分からないからだ。
『適応的市場仮説』p.73
2つの壺の違い
よくよく考えてみると、2つ目の壺の確率も計算できます。2つ目の壺の中に入っている玉の比率のバリエーションは、赤100:黒0から、赤99:黒1、そして赤98:黒2……とつづき、赤0:黒100まで、合計で101パターンです。そして、それぞれのパターンの確率を計算すると、結局赤50%、黒50%となります。1つ目の壺と、期待値はまったく同じなのです。
では何が違うのでしょうか? 1つ目の壺は確率が分かっていました。つまり狭義の「リスク」は把握できており、そのリスクをどう取ればいいのかも簡単に計算できました。ところが、2つ目の壺は一見すると確率が分からず、「不確実」な状態にあります。リスクは取れるか不確実性は取れない。それが、学生が2つ目の壺のゲームに参加する費用を低く見積もった理由のようです。
先日書いた記事では、「リスク」と「不確実性」を分けて、それぞれ別のものとして捉えました。このときの不確実性はフィードバックに基づくカオスであり、本質的に不確実です。しかし、今回の2つ目の壺は「一見すると不確実」な内容でした。それでも、人は不確実なものに怖れを抱くようです。
考えることと感じることの違い
よくよく計算すると確率が同じなのに、同じように感じられない。これがエルスバーグのパラドックスです。エルスバーグという経済学者が画期的な論文の中で取り上げたものになります。
『適応的市場仮説』の著者は、これについてこう述べています。
考えることと感じることは同じではない。2つのゲームのオッズは同じだと考えるられるかもしれない。でもとてもそうとは感じられない。人は日常の活動では問題なくリスクを取れるかもしれない。でも、そういうリスクにちょっとでも不確実性が伴うと、人はもっと慎重になり、保守的になる。未知への恐れは存在する恐れの中でも最も強力なもののひとつで、自然な反応は全力で逃げる、だ。数学的には正しくない反応なのかもしれないけれど、人は生まれつきそういうものなのだ。
さて、このパラドックスから何を思うか。あることを確率的に計算できるリスクだと捉えれば、どれだけそのリスクを恐れるべきか、またどのくらいのコストを費やして回避すべきか、またどのくらい投資しても期待値的にリターンが見込めるかを計算できます。
ところが、その確率計算が難しかったり理解不能だと、それは「リスク」ではなく「不確実性」になってしまいます。いわゆる「ナイトの不確実性」です。人はリスクはコントロールできますが、不確実性は恐れ逃げてしまうわけです。保険商品はリスクに基づいて掛け金が計算され、それに利益を乗せて販売されているわけですが、買い手側はリスクが計算できず、不確実性の恐れに基づいて必要以上のコストを払ってしまう、そんなふうにもいえます。
またリスクによる超過リターンは消えてしまうが、不確実性に伴うリターンは本質的な利益をもたらすともいえます。事業のリスクは計算できるものならば、消し去ることができます。各社が競争する中で、こうしたリスクによる超過収益は消えていってしまいます。ところが、
ナイトのいう不確実性に直面する産業、たとえば完全に新しい、まだ海のものとも山のものともわからない技術を使う産業では、事業がありふれたものにはなかなかならない。定義によって、ランダム性が数値化できないからだ。そうした未知の未知を見て、私たちのほとんどはゲームを降りてしまう。でも、こうした環境は億万長者が生まれる場でもある。
マーク・ザッカーバーグとフェイスブックなんかが頭に浮かぶ。
確率が測れない不確実性だからこそ、実際には有利なオッズの勝負であることもあり、そこで戦う人は巨額な超過リターンを得られるかもしれないわけです。もちろん、オッズは壊滅的に悪い可能性もあって、その場合は破綻してしまうわけですが。