FIer: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIerを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

最も重要な価値「自由」

ぼくが最も大事に思っている価値観に「自由」があります。ほかの人に迷惑をかけない限りにおいて、可能な限り自分の選択を妨げられないこと。それが自由です。

 

FIREした/したい人というと、投資が好きでお金が好きな人というイメージもあるかもしれません。でも、本当にお金が好きならFIREなんてしませんね。FIREすれば給料が減る(またはゼロになる)わけで、長期で見れば資産は減る一方です。自由と引き換えにお金を失うのがFIREなのです。

 

この自由と、そして自助・互助・共助・公助という概念について、とりとめなく考えてみました。

浸透してきた自由という概念

少なくとも都市部の勤労世代においては、「自由」が重要な価値だという認識は共有されてきました。シニア世代の中には、いまでも外国人や女性を差別的に見ている人もいますが、LGBTの権利意識の高まりを見ても、都市部ではどんな出自や性別であっても、それによって差別されるのはおかしいという考え方が普通になってきました。。

 

日本は「家」制度が根強く残る国ですが、核家族化が進む中で、現代の「イエ」とは企業のことになってきました。カイシャというイエの中で、社長という家長のもと、ヒエラルキーが存在してきたのです。

 

そこではイエ=カイシャに尽くすという価値観が重視され、カイシャの中での評価によって次第にポジションが上がっていくという、共同体的な運営がされてきました。若いうちは低賃金でこき使われ、ポジションが上がるにつれて仕事は楽で給料は高いという年功序列の組織だったわけです。

 

ただし、こちらも現在崩壊の瀬戸際にあります。年功序列制度は維持できなくなっており、いつの間にか成果報酬制度に取って代わろうとしています。しかし、純粋に成果に基づいて給料が決まるかというと、カイシャというイエの中の人かどうかという価値観は継続していて、中の人である正社員と、外の人である非正規社員は、同じ仕事をして同じ成果を出していても、待遇に差があるというのが現状です。

 

また年功序列から成果報酬に変わる中では、若い頃低賃金で理不尽に耐え、やっと年次が上になったら「成果」だと言われた人たちにとっては理不尽な話です。退職金同様、カイシャに尽くしたら後からその分の報酬がもらえる制度だったはずなのに、いつの間にか後からもらえる分だけがなくなろうとしているのですから。

 

それでも、この動きは進みつつあります。血縁としてのイエが失われるだけでなく、会社というイエも意義を失おうとしています。

集団的なメリットと自由のトレードオフ

人は何らかの集団に属する欲求を持っているので、こういう中では相対的に「日本」という国に所属しているということがクローズアップされてくるのかもしれません。

 

従来の社会的な保障は、血縁としてのイエ、そして会社というイエから受けることが前提とされてきました。しかし次第に家族からの支援が薄くなり、会社からの支援が薄くなるわけで、最後に残った国が、全国民を支えることを期待されつつあります。

 

でも、国が全面的に社会保障を行うということは、そのために使われる税金が増えるということと、さらには少しでも税金を減らすために、国民の行動を制限することがセットになります。日本は自由を大事にする国ですが、それは伝統的にそうなのではありません。比較的、空気でどっちにも転ぶ国だと思っています。だから、雰囲気が「みんなのために、こういう行為は許されない」みたいになると、いつの間にかそこに同調圧力がかかります。

 

2003年に施行された「健康増進法」なんかもその1つ。受動喫煙の防止という名目のもと、さらにコロナも重なって喫煙所の数はめっきり減りました。喫煙が健康に良くないのは自明で、かつ不健康は健康保険の利用を増大させるので、さまざまなルールが、「喫煙は悪」という方向にいっている。そうぼくは捉えています。

 

これは一例ではありますが、個人の健康という、最も本人の自由に関係するものであっても、国が集団的に健康に関する費用を負担している代わりに、行動が制限されるわけです。

失われた互助、公助

「自助・互助・共助・公助」という言葉があります。互助は子供が親の面倒を見る、あるいは親戚や地域で助け合うというイメージ、共助は民間の生命保険や損害保険のイメージ。そして、公助は最後の砦、いわゆる生活保護などがあたります。

 

では公的年金保険などはどうでしょう。お互いに掛金を出し合って支えるという意味では共助ですが、かなりの税金が投入されているという意味では公助だともいえるのでしょう。

 

この中で、崩れてきたのが互助でしょう。そして公助は、最終的なセイフティーネットではありますが、国民から非常に人気がなく、「困った人を助けよう!」という声よりも「不正受給を許すな!」という声の大きさに乗って、本当に必要としている人にも生活保護は届かない状況だと聞きます。

 

共助の生命保険は大人気ですが、こと「長生きリスク」に対応する保険ではなく、これに対応するのは公的年金保険のみ。でも、これまた人気がなくて、「もらえなくなるだろう」「減額されるだろう」というのが、一般の感想な様子。

 

第1号被保険者(自営業、学生、無職)の未納率は36.6%(2015年)。厚生年金加入者の第2号被保険者とその配偶者の第3号被保険者は未納率はゼロのはず。第1号被保険者は25.9%なので、公的年金全体でみると、実質未納率は9.4%という計算です。

 

公助、共助、互助があてにならないとなると、残るは自助しかありません。実際国も、なんだかんだいって、老後資金は自分で貯めましょう!と自助を勧めています。もはや公助はあてになりませんという白旗宣言です。とはいえ、これは裏を返すと、国が国民の行動を制限して公助を行うのではなく、各自が自ら準備してね、と自助を奨励しているということでもあります。

 

今後数十年でいうと、公助&共助である公的年金や健康保険の負担は増え続けているので、それを維持するために増税や受給者の受給額制限はやってくるでしょう。さらにセットで自分でなんとかしてね、となってくるわけです。

自由と相性のよい資本主義

北欧各国のような高福祉国は、恐ろしいほどの税金を取られる代わりに国が面倒を見るという社会を作り上げました。所得税だけでなく消費税、そして社会保障費の負担が、収入のどれくらいになるかの国民負担率を見ると、北欧3国は実に50〜60%に達します。稼いだカネの5割から6割は国がもっていって、再分配されているわけです。こと、社会保障の点では社会主義が実現しているといえるでしょう。

 

では日本はどうかというと、なんと44%に達しています。所得税と消費税の負担はそれほどではありませんが、社会保障費の負担は北欧よりも高いのです。

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※財務省

これを見る限り、北欧と同様に日本も社会主義国です。ただし問題は、これが維持できなくなっていて、これだけ税金を取られながらも、さらに「足りない部分は自分で何とかしてね」(自助)だと言われていることです。

 

ちなみに、小さな政府の伝統的な風土のある米国は33.1%。英国やドイツは日本よりも高いようで、もはや社会主義は資本主義の国々で実現したともいえます。

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【図解・政治】国民負担率の国際比較(2019年9月):時事ドットコム

 

社会保障をどう捉えるかは難しい問題です。自分がどこまで長生きするか分からず、自分がどんな病気にかかるか分からないわけで、そういう中ではこうした互助&公助の仕組みがあることはありがたいとは思います。

 

一方で、それが維持出来なくなっていく中で、「保障が減る」または「さらに負担が増える」または「自分で何とかしてね」となる。そして「または」ではなく、これらが全部セットでやってこようとしています。

 

それでもまぁ、これは日本として乗り越えなくてはいけない壁だと思うと共に、だからといって国民の自由を奪わないでほしい。そんなふうにも思うのです。

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