今はまさに、人類の歴史の転換点にあると考えています。言うまでもなくAIの進化です。でも、面白いのはその渦中にいると、意外と「時代が大きく変化している」とは考えないということ。少しずつ変化が進む中で、人はあたかもその変化が当たり前であるかのように、それを受け入れていきます。
Stable Diffusionの衝撃
Stable Diffusionは当然ご存知だと思います。画像生成AIで、なんと学習済みのものがオープンソースで公開され、衝撃を呼びました。自然言語で指示を出すだけで、オリジナルの画像がAIによって生成されるのです。
下記は、投資、九条日記で指定して生成された画像。なんでこうなるのかは分かりませんが、こういう画像が数秒で作れる時代になったのです。
ビジュアル的にインパクトがあり、かつ誰でも簡単に試せるというのが、Stable Diffusionの特徴です。このちょっと前に登場したMidjourneyも合わせて、世界には衝撃が起きました。
でもこれはAI生成の初めての事例なんかじゃありません。文書生成では、2020年に登場したGPT-3が衝撃をもたらし、直近ではMetaがそれに匹敵する巨大言語モデルOPT-175Bを研究者向けに公開しました。
下記はGPT-3日本語版に、この記事の冒頭パラグラフを入れて、続きを生成させてみた例です。意味があるのか、ロジックが通っているのかはいろいろですが、なるほど日本語にはなっています。
コンピュータに創造性はないといっていた人たち
この状況を目の当たりにして思うのは、これがたった数年で起きた変化だということです。2012年にトロント大学のチームが、物体認識の精度を競う国際コンテスト「ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge(ILSVRC) 2012」で使ったディープラーニングが、その始まりでした。
そこから画像認識はもちろん、音声認識や言語翻訳、GoogleのAlphaGoのようなゲームでもディープラーニングは使われ、AIといえばディープラーニングくらいのブームになりました。
でも思い出したいのは、2010年台に入ってもまだ、「コンピュータには予め決められたことしかできない」「コンピュータに創造的なことはできない」と言っているひとが一定数いたことです。しかもこれは何も知らない素人ではなく、当時のコンピュータの専門家の人たちでも、こういう人がけっこういたのです。
エキスパートシステムのような、入力に対してどんな出力をするかを予め決めておくプログラムでは、そのとおりでした。単なる巨大データベースですね。でも、自己書き換えコードや遺伝的アルゴリズムなどの仕組みでも、コンピュータが自身で自身をアップデートさせて、作り手が理解できない振る舞いをするようになることは知られていました。そして、ディープラーニングの普及が、なぜコンピュータがそんな振る舞いをするのかはわからないのが普通ってところまで時代を進めたのです。
Stable Diffusionを見て、まだコンピュータに創造性がないという人はいるのでしょうか? 創造性が定義できていないまま、人間にしか創造性はないという傲慢な思い込みが、コンピュータの創造性を否定してきました。いまや、コンピュータは圧倒的な速度で大量のクリエイティブな作品を作り続けています。
ゲームでも、AlphaGo以前は碁などのボードゲームでコンピュータが人に勝つのは不可能か、まだ相当な年月がかかるだろうと目されていました。ところが、ディープラーニングという技法は強力で、あっけなく人類を凌駕してしまいました。
現在、将棋や囲碁というゲームはなくなってはいませんが、人よりもコンピュータのほうが強いことを疑う人はいません。もはや機械のほうが上なのは当たり前なのです。人はさまざまな領域で、徐々に白旗を挙げており、人々の認識は「機械は人間にかなわない」から、「機械のほうが優秀なのは当たり前」に変わりつつあります。
共創の時代
こうした状況を踏まえると、ITリテラシーが新たな段階に入ったことも感じさせます。以前は、思ったようにコンピュータを操作するのがITリテラシーと呼ばれていました。「行いたい計算を、いかにうまくコンピュータで実行するか」とか「動かないコンピュータをいかに修理、調整するか」とか、もっと日常的な例でいえば「どうExcelで在庫を管理するか」とかです。
ところが現在のITリテラシーは、いかにコンピュータと一緒に仕事をするかに変わりつつあります。
先の将棋などでいえば、藤井聡太竜王が練習にコンピュータを活用しているのは有名です。
いまや、コンピュータと人が争うのではなく、コンピュータのほうが優秀なのを認めた上で、どうコンピュータを使いこなすか、いかに共創するかに観点は移っています。
AI画像生成でいえば、いかに生成させた画像を調整して著作権を得ていくか*1とか、どううまく呪文を唱えて求める画像を得るかとかに、人の仕事が変わっていくでしょう。少なくとも専門のイラストレータに依頼して書いてもらう一点モノという、イラストの位置づけは変化するでしょう*2。
有名人の顔を使ったフェイク画像が一時期話題になりましたが、それがもっと進歩するのは明白です。学習に関しても、誰もが自宅からできるような世界になるでしょうし、そうすれば有名人の写真を使って学習することで、有名人の写真っぽい画像を自由に生成できるようになるのは間違いありません。さらに、コンピューティングパワーの向上は、画像だけでなくすぐに動画の生成に向かうはずです。音声の生成ももちろんです。ここに向かう成約は、コンピューティングパワーと学習用データだけであって、本質的に越えなくてはいけない壁は見当たらないからです。
さらに進むAI活用
AIは所詮機械であって、人間には敵わない――。こんな思い込みは、ここ10年のディープラーニングの進歩で完全に崩れました。いまや、人間より機械のほうが走る速さが速いのを誰も疑わないように、さまざまな知的活動でAIのほうが優れていることを、人々は受け入れ始めています。
下記のハーバードビジネスレビューでは、上司がAIに代わったとき、仕事はどうなるのか? を考察した論文が載っています。
今後数十年を見たときに、果たして人間がやるべき、人間でなければできない仕事ってなんなのでしょうか? それがマクドナルドのレジだけではないことを願うのみです。
↓ユヴァル・ノア・ハラリはAIと人類の共存についていろいろと考察しています。