FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

死語になった「フリーミアム」 広告汚染から逃れるには課金が正解?

最近、お金の使い方について思うところがありました。サービスを使うのに、広告を見ながら無料で使うのと、課金してスムーズに使うのとでは、どちらがいいでしょう? 典型的な「サービスは無料」意識の高い日本人だと、つい我慢して広告を見てしまいますが、果たしてそれは本当に”お得”なのでしょうか。

フリーミアムって流行ったよね

2010年ころ、フリーミアムという言葉が流行りました。利用者がお金を払わなくても無料でサービスを提供し、ユーザーが増えたら広告を見せることで収益源とするという考え方です。これはGoogleのアドセンスに代表されるようなアドテクの高度化によって可能になったビジネスモデルだともいえます。

 

結果、これまで無料だったさまざまなサービスが有料化されました。最大の変化は、メディアでしょう。新聞や書籍など有料だった商業コンテンツは広告モデルの上で無料提供されました。

 

ソフトウェアもそうです。これまでボランタリーで作成されたフリーソフトを除くと、お金を払って買うのが当たり前だったソフトウェアが、どんどん無料になりました。Googleがその先鋒で、GmailしかりGoogleDocsしかり、フリーミアムの名の元に、すべては無料になるかと思えたほどでした。

露呈したフリーミアムの弱さ

一方で広告モデルというのは非常に弱い基盤に立っています。インフラ的な生活必需品の需要が底堅いのに対し、広告費というのは不景気になると真っ先に削られるものです。そして広告の世界では、弱者から売上が削られていき、トップ企業しか残らないというのが普通にあるのです。

 

そのため、フリーミアムで始めた企業も、いざ不景気になると無料の広告モデルを継続できるのは一部です。メディア企業もサブスクリプションという名の有料化や、リードジェネレーションという個人情報販売を手掛け始めます。結局のところ、フリーミアムを継続できるのは、業界トップのGoogleとFacebookだけ、というような状態になりました。

 

そうした中で広まったのがサブスクリプションです。フリーミアムで花ひらいたクラウド基盤の上で、アプリケーションをサービスとして提供しようというSaaSが、このモデルで大成功しました。

 

多くは顧客獲得のために一部フリーミアムとし、ちゃんと使うならサブスクでお金を払ってね、というモデルです。広告モデルとしてのフリーミアムから、顧客獲得のマーケティング施策としてのフリーミアムに大きくシフトしました。

フリーミアムの終焉

そして今、フリーミアムは終焉を迎えているように思います。ソフトウェアの開発はそんなに簡単なものではありません。そこには高額なコストがかかり、そして広告だけではその費用を賄いきれないのです。もちろん、トップ企業であるGoogleは別です。彼らはアドセンスを提供し、その収益の半分をプラットフォーマーとして取っていくのです。

 

例えばスマホ漫画を見てみましょう。多くは顧客獲得のためのフリーミアムと課金モデルを組み合わせています。24時間待てば次の回が無料で読める。または1分程度の動画広告をみれば読める。だけどお金を払えばすぐに読めるよ、という具合です。

 

広告フリーミアムモデルにはもう一つの課題もあります。個人情報をプラットフォーマーに握られるというものです。以前書いたように、プラットフォーマーに渡される情報は、それを元に広告をカスタマイズすることで、選挙結果さえ左右できるほどの精度になっています。いまやプラットフォーマーとそのAIに、購買行動から選挙まで操られているとさえいえるのです。

 

「個人情報をユーザー自身に取り戻す」。そんなスローガンとともにお金を集めているのがWeb3です。これ自体は良い流れだと思いますが、具体的にちゃんと評価できるプロダクトがろくにないので、いまのところはお金集めのためのバズワードだとしか、ぼくは見ていません。

 

でも、「個人情報の主権を取り戻す」「広告に依存しないために課金する」という2つは、両立するものです。

無駄な時間を払うなら課金が正解?

ここまで業界分析のようなことをやってきましたが、言いたいのはなんだかんだいって、課金したほうがお互いいいのかも? ということです。

 

動画広告なら、それを再生している時間、自分の人生が失われるともいえます。FIREし、収入を諦めて自由な時間を得たのに、課金というお金の代わりに広告を見ることで時間を費やすことを強制されるなんて、なにか本末転倒です。

 

それどころか昨今のフリーミアムコンテンツは、広告を見ることでコンテンツを無料で閲覧できるのではなく、広告を見せるためにコンテンツを作るようになってきています。もはやコンテンツは広告を運ぶためのビークルでしかないのです。

 

あれ? これなにかに似ているなと思ったら、そう民放テレビ放送でした。番組の多くは番宣とコンテンツプレースメントに汚染され、コンテンツを見ているのかコンテンツに見せかけた広告を見ているのか区別がつきません。

 

検索上位のページも、最近はランキングコンテンツ花盛りで、これは調査やスコアリングでランク付けしたものではなく、ランキングという体裁を取ったアフィリエイトコンテンツがほぼすべてです。恐ろしいほどコンテンツは広告によって汚染されているのです。

 

FIREして時間を金で買った身としては、広告閲覧に無駄な時間を費やすのは本末転倒でもあります。これからはけっこう真剣に課金しようかなと思うところです。

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