「寄付をしてみたい」。そう思ったときに、最も難しいのは「どこに寄付したらいいのか分からない」ということではないでしょうか。これを解決するには、自分の中に基準を設けることが必要です。僕の場合、それは「効果的利他主義」の考え方でした。
感情に動かされるよりも効果を見る
一体どこに寄付するかは、いろいろな考え方があります。一つには「こういうところには寄付してはいけない」というネガティブスクリーニングがあります。そして、それをクリアした寄付先の中から、どこを選んだからいいかという基準です。
よくある基準として次のようなものがあります。
- 自分に縁がある対象(出身地、出身大学、関わっている趣味やスポーツ)
- 心を動かされた対象(難病のこどもや災害被災地)
- 単に知っている、知名度がある
でも、こうした選択に以前から違和感がありました。よく「目の前の一人も救えないのに、多くの人が救えるのか!」なんて、ドラマのセリフで出てきますよね。でも僕は逆に、「目に見えたものだけに注力して、見えないものを切り捨てていないか?」と思うのです。
チャリティへの寄付のほとんどは、感情から生まれます。寄付者の三分の二は、寄付をする前になんの調査もしません。うれしそうな子供や、やせ衰えた子供の写真、動物の画像、特につぶらな瞳の生き物に反応して、寄付をする人もいます。
例えばメイク・ア・ウィッシュというNPOがあります。
「メイク・ア・ウィッシュ」とは英語で「ねがいごとをする」という意味のボランティア団体です。3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、生きるちからや病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されました。
この活動自体は素晴らしい内容です。皆さんの寄付により、これだけの子どもたちが夢を叶えました!という活動報告が掲載されています。どれも分かりやすく、喜ぶ顔が目に浮かぶようです。こうした活動に寄付すれば、それが誰の笑顔につながるのかイメージしやすいですね。
でも、こうした難病の子どもの例えば「東京ディズニーランドでミッキーマウスに会いたい」という夢を叶えるために使ったお金で、多くの子どもたちの命自体を救えるのなら、どちらを選んだらいいでしょうか。
『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと』には、こう書かれています。
メイク・ア・ウィッシュ財団によると、一人の夢を叶えるには、平均で7500ドルが必要だそうです。効果的な利他主義者であっても、ほかのみなさんと同じように、病に苦しむ子供の夢を叶えてあげたいと思わないわけではありません。ですが、その7500ドルをマラリア予防に使えば、少なくとも三人か、おそらくそれよりも多くの子供の命を救えることも確かです。一人の子供の命を救うことは、バットキッドになる夢を叶えるよりも〈いいこと〉でしょう。
繰り返しますが、これは何が正義で何が正しいかを判断するためのものではありません。難病の子どもの夢を叶えるのはとても素晴らしいことだし、同じようにマラリアで亡くなる子ども数人の命を救うのも素晴らしいことです。どちらを選ぶか、あるいはどちらも選ばないかの選択肢は一人ひとりにあって、自分の判断に従えばいいだけです。
ここで言いたいのは、自分の身近な対象だから/自分が関係していたから/心を動かされたから/たまたま目にしたから、といった理由よりも、よりロジカルな判断基準を提示することです。
論理的に効果を最大化する
いったいどこに寄付をするのがいいか。その一つの論理的バックボーンが効果的利他主義=EAです。EAは、次の2つの特徴を持つ考え方です。
- 功利主義=最大多数の幸福
- 科学的なデータと論理
まず最大多数の幸福を目標とすること。これは一般に功利主義と呼ばれる考え方です。功利主義では幸福を定義し最大多数を計測することから、その効果を科学的に論理的に推計、検証することができます。
EAでは、この考え方に基づき、寄付がどんな効果があったかを重視します。これは結果よりも行為自体を重視するカントの義務論とは対立する考え方で、そこが受け入れがたいという人もいるでしょう。
例えば、一人を失明から救うのと別の一人を飢餓から救うのではどちらのほうが効果があるでしょうか。功利主義的では、こうした事柄に対しても数字を当てはめて比較可能にし、判断できるようにします。
失明治療と飢餓救済を比べます。一見そのような比較は不可能に思えますが、医療経済学の分野にはこうした比較についての大量の論文がありますし、医療経済学者が開発した手法を使って医療資源の配分を決めている国もあります。たとえば、イギリスの国立医療技術評価機構(NICE)は、こうした手法を使って、国民にどの薬剤や治療を無料で提供すべきかを、政府の国民健康保険当局に推奨しています。保健医療に関して「配分」という言葉を持ち出すことさえはばかられるアメリカと違って、イギリス政府は、役には立ってもコスト効率の悪い治療が時には存在することや、それを提供すべきではないことを率直に公開しています。
一方で、すべてを数字に落とし込んで比較する功利主義的な考え方に対する批判もあります。トロッコ問題はその代表例ですね。
とはいえ、寄付先に当たって最大多数の幸福のために、科学とデータと論理を使って判断するというのは僕にはたいへんしっくりきた考え方です。EA的にいうと、感情に動かされるよりも、効果を見るわけです。
重要な4つの考え方
ちなみにEA(効果的利他主義)については、よくまとまった日本語の資料もありますので、紹介しておきます。
ここに載っている、ほとんどの人が否定できないであろう4つの考えを紹介しましょう。
- 他者を助けることは重要だ
- 人々はお互いに平等である
- より多くの人を助けるほうが、より少ない人を助けるよりもいい
- 資源は限られている
この4つを受け入れるなら、次のようになります。先進国の子どもと途上国の子どもは平等だが、助けるための費用は大きく違います。限られた資源=お金を、より効果的なところに使うなら、先進国よりも途上国の子どもを助けるために使うべきということになります。
これを論理的と考えるか、感情的に否定したくなるか。そこは人それぞれですね。