FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で自由主義者、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

九条のプロフィール記事 FIREは自由の話だ


久しぶりに、自己紹介記事を書いてみました。しかも投資観点ではなく「FIRE観点」です。FIREという概念に対して、ぼくがどんなふうに考えているのか、分かるようにまとめたつもりです。

はじめに FIREは自由の話だ

ぼくにとってFIREは、お金の話である前に自由の話です。給料、肩書き、売上、ノルマ。そういう勝ち負けのゲームから降りて、自分の時間と判断を取り戻す。そのために会社を辞めました。

 

もともとはITの世界で働き、役員もやりました。株式、ETF、債券、暗号資産、太陽光、不動産、マイクロ法人、税金、社会保障まで手を出しているのは、手広いからではありません。自由を守るには、制度ごと理解する必要があるからです。投資は金儲けの道具というより、人生の主導権を取り戻す技術だと思っています。

 

ブログ「FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記」では、匿名・資産額非公開のまま、思考の流れだけはできるだけ書いてきました。誰が言ったかではなく、何を言ったかで読まれたいからです。FIREを夢として売る気はありません。自由に生きるコストと、降りた後の現実を、できるだけ正直に書く。それが九条です。

 

もちろん、自由には代償があります。安定収入は消えるし、会社の肩書きもなくなる。会社に残っていれば、自分が何者かを会社が説明してくれます。でも降りた人間には、それがありません。FIREは上がりではなく、むしろ説明のつかない側に回ることです。それでもそちらを選んだのは、他人が決めた評価軸で生き続けるより、よほど筋がいいと思ったからです。

 

ぼくは投資が好きだからFIREしたわけでもありません。逆です。自由を確保するために、投資を使ってきたのです。株も、債券も、暗号資産も、太陽光も、不動産も、法人も、全部「何を買えば儲かるか」より先に、「どうすれば人生の主導権を失わずに済むか」という問いの延長にあります。

 

だから、この先に書くのは成功譚ではありません。ITの世界で働き、本を読み、投資を覚え、会社の上まで行き、そこから降りてきた話です。読んで「羨ましい」と思ってもらう必要はない。ただ、こういう降り方をする人間がいるのかと分かってもらえれば、それで十分です。

20代 本とコンピュータで頭ができた

ぼくの土台は、投資ではありません。本とコンピュータです。もっと言えば、「仕組みが世界をどう変えるのか」を考えるのが好きな人間でした。若い頃にいちばん惹かれたのは、金儲けの方法ではなく、インターネットやコンピュータが人間の認識や社会の形をどう変えていくのか、という話でした。

 

20代前半は、まだネットがいまほど空気のようではなかった時代です。Webページを作り、Perlで言葉遊びのプログラムを書いて公開していました。コンピュータに惹かれたのは、便利な道具だったからではありません。人間の知性や社会の構造そのものを作り替える力があると感じたからです。その関心は自然とハードウェアにも向かい、CPUやアーキテクチャ、Intelのようなプレイヤーがどう世界を変えるのかまで追うようになりました。ぼくは昔から、表面のUIより、その奥にある構造のほうが気になるタイプでした。

 

同じことはモバイルにも言えました。iモードの時代、面白かったのは端末の進化そのものより、その上にどんな課金や流通の仕組みが乗るかでした。技術だけで世の中は変わらない。設計された経済圏まで含めて初めて世界が動く。その感覚はこの頃に叩き込まれました。読書も同じです。SF、物理、数学、経済、金融を、専門家になるためではなく世界の見え方を増やすために読んでいた。一つの分野を深掘るより、複数のレイヤーをつないで考えるほうが好きだったのです。

 

だから、あとから投資の世界に入っても、最初から「銘柄を当てたい」とはあまり思いませんでした。それより、なぜ市場はそう動くのか、なぜ人はそこで間違えるのか、なぜ制度はそう設計されているのかが気になった。九条という人間を雑に言えば、金の匂いに敏い人ではなく、構造の匂いに敏い人です。20代で作られたこの癖が、結局いまもずっと残っています。

30代 会社で働きながら、投資を覚えた

30代に入ると、関心は自然とお金に向かいました。ただし、豪遊や勝ち負けのためではありません。会社で働いていると、給料は思ったほど自由をくれない。増えれば少し楽になるが、会社に行かなければ止まる。だったら、行かなくても回る仕組みを作るしかない。投資を本格的に考え始めたのは、そのためです。

 

ここでも入り口は「おすすめ銘柄」ではなく、投資理論や金融の本でした。効率的市場仮説、分散投資、現代ポートフォリオ理論、不確実性、行動ファイナンス。人は市場でなぜ負けるのか、何が分かって何が分からないのかを先に押さえたかった。ぼくは市場を出し抜けるほど自分が賢いとは思っていない。だから、勘ではなく確率とエビデンスを味方につけるしかないと思っていました。

 

とはいえ、30代のぼくは今よりずっと攻めていました。労働収入があるなら、金融資産側はフルインベストで当たり前。場合によっては少しレバレッジをかけてもいい、とさえ思っていた。あの頃は「資産を守る」より「自由の種を一気に育てる」局面だったのです。守る前に、まず十分な規模まで育てないと話になりませんでした。

 

この時期に、お金は消費の点数ではなく時間の前払いに見えるようになりました。1万円で何が買えるかではなく、将来どれだけ会社から距離を取れるかを考える。給与も賞与も生活を飾るためではなく、自由を買う原資に見えてきた。投資を覚えると会社との距離感も変わります。明日辞めても即死しないという感覚は、人をずいぶん自由にする。30代のぼくは、会社に残りながら、少しずつ会社だけに人生を握られない人間になっていきました。これが、後に本当に降りるための助走になりました。

30代後半 出世して分かった、会社の限界

会社で偉くなれば自由になれる。これは半分本当で、半分嘘です。確かに権限は増える。でも同時に、守るものと説明責任も増える。現場の仕事は遠のき、代わりに増えるのは調整と管理です。ぼくの場合も、上に行くほど「自分がやりたかった仕事」からは離れていきました。

 

若い頃は、もっと上に行けば好きに決められると思っていました。ところが実際の会社はそんな単純なものではありません。部下の希望、上司の期待、他部署の事情、予算、株主の目線。会社はみんなの都合が交差する場所であって、そこを通す以上、自分のやりたいことだけで動ける場面は意外と少ない。役員になって増えたのは、自由よりも調整でした。

 

さらに厄介なのは、株式会社は利益を増やすための装置だということです。社員が何をやりたいか、どんな仕事に意味を感じるかより先に、売上と利益が問われる。社長ですら株主の意向で動き、場合によってはすげ替えられる。他の役員を説得できず、本意ではない方針で進まざるを得ないこともある。つまり、出世の先に絶対的な自由があるわけではない。オーナーでない限り、最後は資本の論理から逃げられません。

 

ここでぼくの中で何が起きたかというと、仕事そのものより年収や評価が気になり始めたのです。これはかなり危険な兆候でした。仕事が面白いからやるのではなく、期待に応えるため、収入を維持するためにやっている。そうなった時点で、会社との関係はかなり変質している。自分の時間を売っている感覚が、急に生々しくなるからです。

 

その頃には、投資で作った資産もかなり育っていました。ならば、一度降りてもいいんじゃないか。会社のレールの上で「もっと上へ」を続けるより、自分の人生のハンドルを握り直したほうがいいんじゃないか。そう考える土台が、ようやく揃ってきました。次の章で書く2018年の決断は、思いつきではなく、この時期にじわじわ積もった違和感の結論でした。

2018年 降りると決めて、ブログを書き始めた

2018年の初頭、ぼくは具体的な計算を始めました。資産はいくらあるのか。生活費はいくらかかるのか。運用だけでどこまで耐えられるのか。FIREというと夢の話にされがちですが、実際にやる段になると、やることはずいぶん地味です。資産と支出を並べて、死ぬまで持つのかを計算する。ロマンも何もありません。むしろ、そこを曖昧にしたまま「自由になりたい」と言うのは、ちょっと甘いと思っています。

 

とはいえ、理屈だけで割り切れる話でもありません。資産を取り崩して生きていくことには、やはり独特の恐怖があります。給料が入ってくる側から、資産が減っていく側に回るわけですから。しかも会社を辞めるということは、収入だけでなく、肩書きや所属や社会的な説明まで手放すことでもある。ぼくはもともと見栄や権力欲がかなり薄い人間だったので、その点は自分でも驚くほどあっさり見切れたのですが、それでもゼロではありませんでした。

 

それでも決めたのは、もう十分に考えたと思えたからです。迷いながら会社にしがみつくより、自分で決めて降りたほうがまだましだと思った。一度その線を越えると、腹は据わりました。社長に伝えるのはさすがに緊張しましたが、言ってしまうと不思議なくらいスッキリした。失うものもある一方で、心につかえていたものが取れた感覚のほうが大きかったのを覚えています。

 

同じ日に始めたのが、このブログです。理由は単純で、これから自分が何を考え、どう動き、どう投資するのかを残しておきたかったからです。昔から日記は書いていたのですが、感情ばかりで、何をしたのかが残っていなかった。投資も同じで、過去に何をどう判断したのか、後から振り返ろうとしても案外分からない。これはまずい、と思ったのです。

 

だからブログでは、結論だけでなく思考の流れを書くことにしました。ほとんど前提知識のない人が読んでも分かるように書く。未来の自分が読んでも分かるように書く。匿名でやっているのも同じ理由です。肩書きや資産額や顔ではなく、何を考えている人間なのかだけを読んでほしかった。2018年にぼくが降りたのは会社のレールですが、その代わりに乗ったのは、こうして言葉で自分を残していくレールだったのかもしれません。

2018年から2023年 FIREを名乗りながら、まだ働いていた

ここで少しややこしいのですが、ぼくは2018年に「全部やめた」わけではありません。その秋に管理業務から降り、以後は好きな仕事だけをやる、という形に切り替えました。言ってみれば、サラリーマンを本業から趣味に近いものへ変えた感じです。お金のために何でも引き受けるのではなく、その仕事自体に意味があるならやる。意味が薄いならやらない。FIを達成すると、仕事は義務ではなくフィルターを通して選ぶものに変わります。

 

この感覚は、世間のFIRE像とは少し違うかもしれません。ぼくにとって重要だったのは、早期退職そのものではなく、やりたくもない仕事から離脱できることでした。だからしばらくは、働いていても気分としてはすでにFIRE済みでした。実際、FIREというよりFIerのほうがしっくりくる時期でもあったと思います。要するに、雇われ仕事を完全否定したかったのではなく、雇われるかどうかを自分で決められる状態が欲しかったのです。

 

結果的にこの5年は、かなり面白い時期になりました。コロナで完全リモートワークに切り替わったこともあって、会社員でありながら時間の自由はかなり大きくなった。会社に籍を置きつつ、生活はほぼセミリタイア後の実験場のようなものです。運用のほうも悪くなく、2018年にFIREを決めたときに比べて資産はさらに増えた。引き出しながらでも回る、という感触を現実の数字で確かめられたのは大きかったですね。

 

そしてこの時期に、ぼくの関心は株だけでは済まなくなっていきました。債券、暗号資産、太陽光、不動産、マイクロ法人。手を広げたというより、自由を守ろうとすると自然にそこまで行ってしまうのです。資産クラスを分け、収入源を分け、値動きの違うものを持つ。会社員を続けながらも、自分の生活を会社の給料一本に戻さない形を少しずつ固めていきました。

 

この5年間でよく分かったのは、FIがあると仕事の意味が変わるということでした。働くか辞めるかの二択ではなく、続けるけれど飲み込まれない、という中間の形が取れる。好きな仕事だけを残して、いらない部分を切る。ぼくにとってこの5年は、その形が本当に成り立つのかを試した期間でした。そして、かなりの部分で「成り立つ」と分かった。だからこそ次に、会社員という地位を手放す決断ができたのです。

2023年 会社を辞めて、完全FIREに入った

2023年、ぼくはついにサラリーマンを辞めました。とはいえ、気分としては急に別人になったわけではありません。すでに5年かけて助走していたので、心理的にはその延長です。ただ、制度の世界ではここが本番でした。会社員でなくなると、これまで会社が勝手に処理してくれていたものが、一斉にこちらへ飛んできます。健康保険、年金、税金、退職金、iDeCo、法人の使い方。要するに、完全FIRE後は「自由になった」というより、まず「全部自分で決める側に回った」という感じでした。

 

ここで面白かったのは、FIRE後の論点が投資そのものではあまりなかったことです。資産運用はもちろん大事なのですが、実際の生活では、どの月に退職するのが有利か、失業保険はどうなるか、健康保険はどう選ぶか、国民年金と厚生年金はどう考えるか、iDeCoはどう受け取るか、小規模企業共済はどう使うか、退職所得控除をどう活かすか、といった制度の話のほうがずっと具体的でした。自由というのは、制度から解放されることではありません。制度を理解した上で、自分に有利な形を選べることです。

 

ぼくがこのあたりを細かく調べて書いているのは、節税テクニックが好きだからではありません。ここを雑にやると、せっかく作った自由が削られるからです。会社員時代は、税や社保の最適化をある程度会社が肩代わりしてくれます。でも降りたあとは、自分が設計者にならないといけない。ぼくはマイクロ法人も使っていたので、個人と法人をどうつなぐかまで含めて、ようやく本当の意味で「自分の人生のB/SとP/Lを自分で組む」段階に入ったのだと思います。

 

このあたりになると、FIREはますます夢のある話ではなくなります。退職したら海の見える家でのんびり、みたいな話では全然ない。むしろ、制度の穴やつながりを一つずつ確認しながら、自分の生活基盤を作り直す作業です。ただ、ぼくはこういう面倒くさいことを苦にしない。というより、むしろ少し面白がっている。たぶんこの性格が、完全FIREにはかなり向いていたのでしょう。

 

退職後に見えたのは、自由とは「何もしなくていいこと」ではなく、「自分で決めた結果を引き受けること」だということでした。会社員という地位を手放すと、守られなくなる代わりに、自分で組める範囲は一気に広がる。ぼくが欲しかったのは、まさにその状態だったのだと思います。

FIRE後 自由になって、暇にはならなかった

FIREすると暇になる、孤独になる、社会から切れる。よく言われる話ですが、ぼくの実感はだいぶ違います。暇どころか、むしろ忙しい。仕事をしていた頃にはまとまって取れなかった時間が一気に手に入るので、読書も、ブログも、ゲームも、スポーツも、旅行も、全部やろうとすると簡単に一日が終わります。やりたいことがある人間にとって、自由時間は余るものではなく、いくらあっても足りないものです。

 

会社を辞めたことで人間関係がゼロになったかというと、それも違いました。もともと会社の外にも付き合いはありましたし、Xで交流してきた人たちとのつながりは、退職後むしろ濃くなった気がします。本名も、どんな仕事をしているかも知らないのに、互いに何を考え何をしているかはよく分かる。そういう関係は、会社の利害でつながった関係より、意外とフラットで心地いい。オフ会で会うと、学生時代のサークルに近い空気さえあります。仕事でも家族でもない、もう一つの居場所がちゃんとできたのです。

 

日々の過ごし方も、いわゆる隠居っぽくはありません。ブログを書き、制度を調べ、本を読み、AIやテックの動向を追い、ロードバイクに乗り、ゲームをし、アニメを見る。ぼくの中では、こういうものは全部つながっています。生産的かどうかで物事を切り分ける感覚があまりない。面白いもの、ハマれるもの、考えたくなるものがあるなら、それは十分に価値がある。お金を稼いでいないから価値がない、なんて発想のほうが、よほど貧しいと思っています。

 

だからFIRE後のぼくは、何者でもなくなったというより、ようやく自分の輪郭がはっきりしてきた感覚があります。会社員という肩書きが消えると、残るのは「何に時間を使う人間か」だけです。そこで残ったのが、本を読み、仕組みを考え、投資し、制度を調べ、人と会い、面白いものを面白がる人間だった。たぶん、ぼくは最初からそういう人だったのでしょう。会社に入っているあいだは、それが少し見えにくくなっていただけで。

おわりに FIREを夢として売る気はない

ここまで書いてきたように、ぼくはFIREを成功の証明だとは思っていません。むしろ、勝ち負けの土俵から降りることです。だから人に勧めたいわけでもないし、憧れとして売りたいわけでもない。向く人もいれば、向かない人もいる。ただ、会社に所属し続けることだけが人生の正解ではない、ということははっきり言えます。

 

ぼくがやってきたのは、投資でお金を増やすことそのものではなく、自分の人生の主導権を少しずつ取り戻すことでした。本を読み、仕組みを考え、資産を作り、会社を降り、制度を理解し、自由な時間の使い方を試してきた。その結果わかったのは、自由は気分ではなく設計だということです。

 

FIREを夢として語る気はありません。でも、こういう生き方もあると示す意味はあると思っています。会社の評価軸から降りても、人はちゃんと生きていける。むしろ、そちらのほうがよく見える景色もある。それを自分の人生で証明していくことが、たぶんこれからの九条の仕事なのだと思います。

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