中川淳一郎氏の『節約する人に貧しい人はいない』を読みました。実はこの本、節約術を語る本であるとともに、本人は2020年にセミリタイアすることを宣言している「セミリタイア本」でもありました。
目次から
本書の目次から一部抜粋すると次の感じです。
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節約と 衣・食・住 ~見栄を張るから貧しくなる~
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「他人からどう見られるか」をなぜそこまで気にするのか
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生活は収入に応じる必要はない
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私がいかに家賃を払ってきたか
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見栄っ張りの妻を持った男の悲哀
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人間の体はデカくても大抵185㎝。部屋は必要以上広くなくてよい
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オフィスの場所に見栄を張ってどんな効果があるのか
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名刺に見栄を張る人とは仕事をしたくない
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クレジットカードは最も安いクラスでいい
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人を見た目で判断する人はまわりから「差別主義者」と思われる
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格好は基本3種類で十分
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1000円カットのすごい実力
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高い日用品は一度試すとその後の人生のトクになる
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大体の野菜・肉・魚の相場は知っておかねばならない
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ビジネスクラスとエコノミークラスは1時間あたり、1分間あたりの金額で比べてみる
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グリーン車の機能と値段の関係を考える
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時計と靴で上質な男に見せるのはセコい
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コース料理は量が多くてお得は噓である
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「行きつけの店」があることの幸福
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趣味を楽しさではなく、収入に応じて選んでいないか?
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家具・インテリアにカネをかけないという価値観を獲得する
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自宅料理をウマくするフライパンとミル
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専用ロースターがあれば自宅焼肉は6000円レベルの店よりウマくなる
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常識を持つことがカネを生む。だから発泡酒は飲まない
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最強の移動手段は自転車
なんとなく目次から内容は分かると思いますが、ポイントを貯めたり細かな技を使ってコツコツ節約するのではなく、「生活レベルを上げない」ことに主眼をおいた節約術になっています。節約術というよりも、心構えという感じでしょうか。
生活レベルを決める基準は家の格
例えば、生活レベルに最も影響するのは「家」だと著者はいいます。
かかるお金のすべての基準は「家の格」──この定理はここでも生きてくる
大きな家、豪華な家は当然ものすごくコストがかかりますし、しかもそれは一回だけの出費ではなく継続します。家が大きくなれば、モノも増えてしまいます。高額な家に住むと、周りの人もそのコストを負担できる人たちなので、自然とお金を使うライフスタイルが身についてしまいます。
いかに家の格を上げないか。それが生活レベルを抑えることにつながり、節約に直結すると説きます。
そのため、「家賃やローンの返済額は収入の30%」というよく言われる説明にも否定的です。これでは使いすぎだし、収入が上がる=高い家に住む ことになってしまうからです。
著者のモノに対する考え方はミニマリスト的ですね。例えば服は数着しか持っていないことを書いています。家具やインテリアも貰い物などが中心でかかっていません。逆に、コミュニケーションにお金を使うことには肯定的です。
何に金を使うかは人それぞれ
著者のいうことは理解できますが、まぁ何に金を使うかはその人の価値観次第ですね。ほかのすべてを犠牲にしても、死ぬまでに豪邸に住みたかったといって、退職金で大きな一軒家を建てた人を知っています。カップラーメンを食べながらも、車だけは憧れだったスーパーカーを維持している人もいます。ファッションこそが生きる理由で、素敵な服や靴、カバンに包まれていたいという人もいます。本だけにはお金をケチらず全部買う、という人もいます。
ポイントは、収入に見合わない出費をしないということ。そして、著者もいうように、「1万円程度なら……」と感じるようになってしまったら危険信号です。
「過去に大金だと思った金額」が低ければ低いほど、この「金銭感覚」はお安くなる
実はコミュニケーションも好きではない人
本書の後半には、もう少し働いて2020年になったらセミリタイアするという宣言が出てきます。
私は2020年に引退することをなんとなく決めてしまったのだ。その時47歳。 65歳定年が当たり前になってはいるため、早いとは思われるかもしれないが、もうカネを稼ぐのに疲れてしまったのである。節約の話をし続けて最後のオチがそこかよといった話だが、言いたいのは「カネに縛られた生活はしたくない」ということ
本書にはさりげなく、「5000万円の定期預金を作らされた」などの逸話も出てきており、かなりの資産が貯まっていることをほのめかしています。さらに、具体的な生活費や貯蓄割合などは書かれていませんが、きっとコストを抑えた生活をしているのでしょう。
だから「カネに縛られた生活をしたくない」ので「セミリタイアする」というのはよく分かります。面白いのは、節約生活の中でもたとえば外食などには金をケチるなということが書かれており、それは高級レストランで食べるという意味ではなく、コミュニケーションのためだとしていることです。そのため、どんな場合に割り勘で、どんな場合に奢りがいいのかなども考察しています。
しかし著者にとって、そのコミュニケーションは人生の生きがいではなく、基本的に営業活動のようです。まぁ打算的ということですね。だから、セミリタイアしたら、苦痛なコミュニケーションを終わりにできるという話です。
カネというものは他人とのコミュニケーションを成立させることにより、ようやく降ってくるものである。そのコミュニケーション自体が苦痛なのであれば、それはカネを獲得できないということに
20代の当たり前と、苦しさを感じている40代
見栄を張らない、コミュニケーションにお金を使う、などは40代の人にとっては目からウロコのアドバイスかもしれません。しかし、いまの10代、20代はすでにその境地に達しています。右肩上がりで給料が伸びるという幻想も持っていないので、家を広く豪華なものにアップデートしていくという感覚もありません。
モノは所有するものではなく、サービスとして受けるものだというのもこの世代には当たり前になってきています。だからこそ、不用品はメルカリなどですぐに売却してしまいますし。
一方で、モノが欠乏している時代に育った団塊世代はとにかくモノを買い溜めます。そして、それを見て育った団塊ジュニア世代も、モノを買うことが豊かさであるという思いがどこかに刻み込まれています。
ところが、時代の流れはモノからサービスへと切り替わりました。その価値観の転換に最も苦しんでいるのが団塊ジュニア世代の40代なのかもしれません。
そして仕事観についても、仕事自体を価値のあるものと考えるか、仕事は金を稼ぐためのものと考えるかの狭間で揺れています。そして、金を稼ぐものと割り切ることもできない人が、セミリタイアして価値のある仕事だけをしていこうという発想になるのですね。