『働かないってワクワクしない?』は、確かに禁断の書だと思います。
勤労のモラルは奴隷のモラルである。そして、現代社会に奴隷は必要ない。 バートランド・ラッセル『怠惰称賛』
一体全体、いつから働くのが当たり前になったのでしょう? Wikipediaを見ていたら、意外なことが分かりました。
日本国憲法においては日本国憲法第27条第1項に勤労の権利と並んで置かれた義務規定であり、教育・納税と並ぶ日本国民の三大義務とされているものである。なお、日本国憲法の改正前の憲法、いわゆる大日本帝国憲法(明治憲法)にはこの規定はない。 (勤労の義務 - Wikipedia)
なんと日本国憲法には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と書かれているのですね。しかも、これに則って罰則を定めた法律はありませんが、例えば働けるのに働かない人には生活保護も給付されないという立て付けになっており、不労所得者を非難する意味合いもあるようです。
ちなみに合衆国憲法には「勤労の義務」に相当するものはないようです。逆に、旧ソ連と北朝鮮の憲法には、相当するものがあります。
ぼくの記憶では、ヨーロッパでの宗教改革の結果、勤労を尊ぶ人々が資本主義の流れと合わさって、倹約や労働に励み、社会の近代化を推し進めたものだと思っていました。これはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のあらましです。
ところが、これも必ずしも一般的ではないようで、プロテスタンティズムの精神はヨーロッパではなく合衆国のほうに引き継がれているようです。
アメリカとヨーロッパでは自由時間の哲学が対照的である。アメリカでは、企業哲学が自由時間の生活をも支配する。自由時間は息抜きと休息の時間で、翌日の仕事のために活力を充電するときである。ヨーロッパでは、自由時間は自由時間のために存在し、仕事のためにあるのではない。休暇の主な目的は自由時間を楽しむことであって、充電のためではない。(働かないって、ワクワクしない?)
この「自由時間は休息の時間で、翌日の仕事のために充電する時間」という考え方は、日本でもある程度普及しているように思います。例えば、副業を解禁するか否か、というような議論の際に、「土日や夜間に副業に精を出して、翌日の仕事に支障がでてはこまる」というようなことを言う人がいます。この背景には、土日や夜間は翌日の仕事のために休息するものという前提があるのでしょう。
ぼくは、翌日の仕事に影響が出るのはよくないが、だからといって勤務時間外に何をしようと本人の自由でしょ? と思う人間です。「出来が多少悪くても生活は保証してやるから、24時間会社の言う通りにしろ」というパターナリズムよりも、「仕事で求められる成果は出すから好きなようにやらせてくれ。仕事時間以外に口は出すな」という一見ドライな資本主義的発想のほうがしっくりときます。
さて、もう少し歴史的に労働礼賛を追ってみようと思ったら、同志社大学の橘木俊詔教授が書いた「人はなぜ働くのか」が検索で見つかりました。
これによると、古代ギリシャでは「労働は奴隷がすること」という冒頭のバートランド・ラッセルと同じ考え方をしていたようです。ところがキリスト教の思想では、生活に必要なものを得るために働くことは貴重なことだとしており、その後のプロテスタンティズム的な労働観につながっていきます。それが産業革命による工場などの労働者需要とリンクして資本主義が発達していくという流れです。
一方で、マルクス主義も労働を重要なものに位置づけます。モノの価値を費やされた労働によって測るという考え方もそうですし、労働者が連携して、労働をしない資本家を倒そうという考え方は、当然労働の賛美につながります。
一方で、古代中国では陶淵明の「桃源郷」があり、そこでは人は働くだけでなく、悠然と余暇を楽しむゆとりのあることが肝要だとされていました。さらに日本では仏教的労働観、儒教的労働観が、労働礼賛につながっていったようです。
簡単に歴史を見てみると、社会や経済の情勢によって労働観も変わっていくものだなと感じます。AIが急速な発展を見せる現在では、ベーシックインカム(BI)の議論も盛んです。ベーシックインカムに反対な人のロジックとして、「労働意欲が阻害される」という理由を挙げる人も多いようですが、そもそもなぜ労働しなくてはいけないのか? という労働礼賛への疑問が、ベーシックインカムの背景にあることに気づいていないのでしょう。
多くの人々は、仕事や会社が嫌いでも、高い給与が惜しくて、引退するまで同じ会社で働き続ける。
成功とは?
よく笑い、たくさん愛すること
聡明な人々の尊敬と子どもたちの親愛を得ること
正直な批評家に認められ、偽りの友人の裏切りに耐えること
美を賞賛すること
他人の中の最高のものを見つけること
見返りのことなど一切考えずに自分を献身的に捧げること
健康な子ども、救われた魂、美しい庭、改善された社会状況を通して、世界をほんの少しよくすること
熱心に遊んで笑い、思い切り歌うこと
あなたが生きているおかげで、たった一人でも慰められた人がいると知っていること
これが成功するということだ