FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

四半期決算か半期かリアルタイムか?

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トランプ大統領が、上場企業の決算発表を四半期単位ではなく半期ごとにすべきだと発言したことで、決算発表のあり方について議論が起こっています。

 

上場企業の決算に関わったことのある人であれば、経営陣がいかに四半期決算にこだわり、数字を「作る」ことをしているか、よくわかっていると思います。四半期ごとの増収増益や計画値の達成のために、できることは何でもするというのが上場企業の当たり前です。

 

粉飾決算に手を染めるのはさすがにごくごく限られた会社だけでしょうが、いろいろな手法によって四半期決算に化粧を施します。期をまたぐ売上があれば、2つに分割して該当四半期で一部だけでも売上にしたり、決算セールならぬ決算押し込みとして赤字に近い価格でも「○月中の決定であれば」と押し込んだり、中長期で必要な投資であっても「来月まで凍結」したり、採用も「入社は来月で」としたり。

 

デューク大学のキャンベル・ハーベイ教授(金融論)とその同僚らが上場企業の最高財務責任者(CFO)を対象に実施した2003年の調査では、78%が四半期目標を達成するためなら長期的な価値を犠牲にすると回答した。CFOの多くは短期的な利益見通し達成のため、投資の削減、将来的に利益をもたらすプロジェクト開始の延期、売り上げ前倒し計上などもすると認めた。

 「本当に驚いたのは、78%が利益目標達成のために(長期的な)価値を犠牲にすると認めたことだ」とハーベイ教授は話す。

jp.wsj.com

そもそも四半期決算は、投資家にタイムリーな情報を提供するために行っているもののはずです。年1回の決算発表では、想定していたよりも大幅に悪い財務内容だったりすることもあるかもしれません。

 

しかし、その四半期決算でよい数字を出したいが故に、長期的な企業価値向上にブレーキをかけるような策をとることが、当たり前のように行われているのも事実でしょう。

 

先のWSJの記事では、斬新なアイデアも紹介されています。

ハーベイ教授とオハイオ州立大学で金融論を教えるイツァーク・ベンデービッド教授にはさらに思い切ったアイデアがある。企業は資産、負債、売上高、経費といった基本的財務情報を毎日、あるいはリアルタイムで更新すべきというものだ。

昨今では、売上はSalesforceなどで管理し、コストはERPや会計情報システムで管理しているところが多くなっています。特に上場企業であれば、売上やコストは発生したらすぐにシステムへの登録が求められ、リアルタイムに状況が見られるのが普通になってきていると思います。 

 

リアルタイムにP/LやB/Sを出力する機能はERP側では持っていないと思いますが、必要なデータは揃っているのが実際のところです。技術的には、基本的な財務情報をリアルタイムで公開することも、可能でしょう。

 

決算情報と株価との関係で、問題となるのは大きく2つだと思います。一つは、四半期決算をお化粧したいが故に、追い込まれた経営陣が粉飾に手を染めること。これは、リアルタイム公開で防げるかどうかは怪しいと思います。多くの企業では、年間予算を立てて少なくとも月次の予算に落とし込んでいるしょう。リアルタイムで情報を公開しても、年間予算との差異が生じているなら、なんとかギャップを隠したいと思い、粉飾や長期的に不利益になる行動に走らせるインセンティブは残ります。

 

もう一つは、四半期決算が投資家の想定と大きく異なったときに発生する株価の乱高下です。一つの企業で株価の大幅下落が発生すると、VaRによるリスク低減売りや、さまざまなアルゴリズム取引により、市場全体に影響が広がる可能性があります。リスク=ボラティリティという観点でも、リアルタイムに企業の財務情報を公開することで、投資家想定をゆるやかに修正することができ、株価の暴落を穏やかにすることができるかもしれません。

 

こう考えると、基礎的財務情報のリアルタイム公開というのは、アイデアとしては面白く、実現すると株式投資のあり方を大きく変えるかもしれません。

 

また、業務を推進するにあたり、予算および実行計画というのはたいへん重要なものですが、それが本当に長期的な価値の実現に貢献しているのかは再検討する意味があるのかもしれません。少なくとも、予算数値を外部の投資家に、「売上・利益見通し」として発表する必要があるのかは、大いに疑問です。