米国株の乱高下が続いています。特に2017年からは継続的に上昇してきましたので、不調が精神的にダメージが大きいです。下記は、S&P500の1年間の推移です。2018年は2月に大きく下がったあと、再び上昇して最高値をつけましたが、結局この秋の下落で年初と同じ価格まで下がり、さらに12月の暴落です。現在は少し戻していますが年初価格からマイナスとなっています。
毎月アセットアロケーションをチェックしていますが、このときに総資産が減少しているのを見るのはけっこう辛いですね。こんなときにどう耐えるのがいいでしょうか? 昨年10月にも、暴落時にどうすべきかをまとめています。基本的にはこのときに書いたことを意識して、ノーアクションでいます。
が、今回は、資産が減ったことをどう捉える、どう自分の中で消化するのがいいかを考えてみます。
含み益は本当に利益なのか?(ネタバレ注意)
ここから、『億男』に言及します。まだ読んでいない方は、ネタバレを含みますので、止めておいてください。
この『億男』という小説は映画にもなりましたので、そこそこ有名な小説でしょう。作者の川村元気氏は、1億円くらいの資産は持っているでしょうが、正直、本当に億の資産を持っている人の行動とか考え方かというと、ちょっと違うんじゃないか? と読んでいて思うところもありました。逆に、1億くらいの資産を持つ人って多種多様なんだなぁとも。
さて、この小説の中に、こんなエピソードがあります。
知り合ったお金持ち百瀬と競馬場にいった主人公の一男は、「100万円貸してやるから競馬に賭けてみろ」と言われ、見事、その100万円を元手に1億円まで増やします。
夢を見ているようだった。この世界のすべてが、ゆっくりと、そしてぼんやりと見える。
「あんた億万長者やで!」百瀬が再び一男の肩を抱く。
その瞬間、この世界すべてにピントが合い、現実となる。音が鮮明になる。気付くと、一男はテレビを見つめながら震えていた。膝から下が自分のものではない感覚。力が入らず、経っているのもやっとだった。
1億円を得た一男ですが、その後、「これを3億にしよう!」という百瀬の誘いに乗り、再び今度は本命の馬に1億円をつぎ込みます。ところが、その馬は落馬し、1億円は紙切れになってしまうのです。
「かわいそうやけどこれが競馬や。賭け事っちゅうもんや。また振り出しに戻っただけや。というか、それ以前の問題やったんやけど……」
一男は、競馬で1億円を手にし、そしてそれを失いました。ものすごく興奮し、舞い上がったあと、あっという間にその1億円を失いました。
果たして彼は1億円を持っていたのでしょうか? それとも単に降り出しに戻っただけなのでしょうか? 株式に投下して増やした資産も、時間の長さこそ違っても、似たようなところがあります。株で儲けた金ですから、もちろん株で失うこともあります。数字だけでみれば、これは単に降り出しに戻っただけです。しかし、現実にはこれを受け入れがたいと思う人もいるはずです。
そのあと、更に百瀬は衝撃的なことを言うのです。
「そやから、キミは馬券を今日一日で一回も買うてへんていうことや。あ、ちなみにボクの分はちゃんと買ってたんやで。でも、キミの分は買わんようにボクが黒服のおにいちゃんらに前もって話しておいたんや。だから、万馬券当てて1億円勝ったさっきのレースも、1億円を単勝に突っ込んで負けた今のレースも、馬券は買われてへんかったちゅうことや。金はあくまでキミの頭の中で動いていただけや」
1億円勝って1億円負けて振り出しに戻ったのではなく、そもそも1億円は勝っていないし1億円負けてもいないと。2つとも結果は同じですが、感じ方はけっこう違います。
そして「金はキミの頭の中で動いていただけや」という言葉に、混乱を感じました。どちらでも結果は同じです。ところが、勝ったのも負けたのも現実ではなかったと言われたほうが、なんとなく慰めに近いものを感じました。
この二つはいったい何が違ったのでしょう?
損失回避と機会損失
大勝したのに大敗で勝ち分を失ったのと、実は大勝も大敗も夢のようなものだった。
二つとも、最終的な結果は同じです。違うのは、本当の馬券を買っていたのなら、「勝ったあとに止める選択肢があった」ということです。なぜ勝っているときに止めなかったのか。やめていれば、1億円は手元にあったのに。なぜさらに勝とうとしてしまったのか。そういう後悔です。
どちらも結果は同じなのに、「あのときこうしていれば……」と思えるが故に、後悔を感じるわけです。しかも、これは損を出したからこそ後悔が生まれます。
例えば、最初の1億円勝った賭けで、「やっぱり賭けないでおく」という選択をしたらどうでしょうか。賭けていれば1億円をもらっていました。賭けなかったので1億円をもらえませんでした。でも、その時の心の痛みはそこまで大きくなかったはずです。
利益を取りそこねたことの後悔=心の痛みは小さいものですが、損したときの後悔=心の痛みは大きいのです。結果としては、どちらも1億円を失ったわけですが、いったん1億円勝ったという事実があるだけに、損失を強く感じるのです。この心の動きを、行動経済学では「損失回避性」といいます。
買わなかった株が暴騰したときの後悔
一方で、「全部幻だった」という場合は、「機会損失」に似ています。
たとえば買わなかった株がその後暴騰したときの後悔のようなものです。ぼくの場合でいえば、iPhone 4Sが出た頃、Apple株を買うかどうか迷って結局買いませんでした。ところが、その後Apple株は3倍です。2011年の10月時点の株価を一度も下回ることなく上昇を続けました。
このとき、「Appleを買わない」という選択をしたがゆえに、実質的には大きな利益を取り残ったわけです。言い換えれば、本来得られていた利益を失ったわけです。でも実際には、このことを「あああ、失敗した!買っておけばよかった」とよる眠れないほど後悔したりはしません。
逆に、買った株が3分の1に下がった時は、ものすごく後悔するでしょう。「あああ、失敗した!買わなければよかった。ちょっと前に売っておけばよかった」と。でもこの2つは、得られたはずの利益を失ったということでは同じ話なんですよね。
世の中には買うかどうかという選択さえしなかった投資先もたくさんあります。これらの投資先も、当然何倍にも値上がりしているものがあるわけです。これに対して、「いまから考えれば投資しておけばよかった」と考えるかというと、考えません。これも「投資の検討もしなかった」という意味では同じなんですけどね。
買わなかったことで、得られるはずの利益を得られなかったというのは、いわゆる「機会損失」です。でも、機会損失を損失だと思うことはほとんどありません。
機会損失は、同じく利益を得られなかったということでは確かに損失です。でも、1億円を損したのと、1億円得られる機会を失ったというのは、心の中では「損失回避」と「機会損失」というけっこう違うものとして分類されるのです。
これを混乱とともに、うまく描き出したのが、『億男』のエピソードなのでしょう。