FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

意識は脳のバグなのか? 『ホモ・デウス』が示唆するもの

意識は複雑な神経ネットワークの発火によって生み出される、一種の心的汚染物質だ。意識は何もしない。ただそこにあるだけだというのだ。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

『サピエンス全史』の著者が送る新作『ホモ・デウス』を読みました。衝撃的な一文が上記の意識に関するものです。これは、著者の結論ではありませんが、論理的にこう考えざるを得ない部分も多く、人間の意識ってなんなんだろうな? と改めて感じます。 

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

意識より先に脳は動作している

意識の役割について、科学的に研究したもので最も衝撃的なのは、ベンジャミン・リベットによる研究でしょう。彼の研究では、被験者にボタンを押す、指を曲げるなどの動作を依頼し、動かそうと思ったときのタイミングを計測し、同時に脳波計で脳の動きを計測しました。 

マインド・タイム 脳と意識の時間

マインド・タイム 脳と意識の時間

 

驚くべきことに、脳波計が動作の予兆を計測してから0.3秒後に、本人は「動かそう」と意識したことがわかったのです。別のグループの実験では、意思決定に7秒も先立って脳は腕を動かそうという信号を発していました。

自由意志とはいったい何なのか

これが意味することは重大です。一般的に人間は、何かしようと自分で意思決定した結果、行動を起こすと考えられています。ところが、実際は脳が何をするかを決めて、その後に意識が「自分がこれをすると決めた」と感じているということだからです。

 

言ってみれば、自由意志というのは幻覚であり、人間は意識して何かを決定しているわけではないということを示唆します。

 

ホモ・デウスでは、最近の脳研究の結果から、ほとんどの科学者が脳というのは生化学的なコンピュータであり、アルゴリズムに従って動く機械だという立場だということを紹介しています。外部からの入力に基づいて、どうするかを出力する機械だということですね。オペラント条件付けで有名な心理学者、スキナーの行動主義心理学と同じです。

 

これに反論する立場としては、「人間には魂がある」「魂はないが量子力学的なゆらぎが人間の脳を単なる機械とは違うものにしている*1」などがあります。魂がある、というのは各種宗教では一般的な考え方ですが、科学者でこれに同意する人はもはやあまりいないようです。そして、日本の普通の人も、比喩としてではなく実質的に魂があると信じている人はかなり減っているでしょう。

 

脳が生化学的な機械で、組み込まれたアルゴリズムによって動くものだとしたら、そこに自由意志というのはないと考えざるを得ません。では、自由意志があると感じる意識とは何なのでしょうか?

意識とは幻想である

哲学者デカルトは、すべてを廃した上でそれでも考えている自分というものは存在すると説きました。有名な「コギト・エルゴ・スム」ですね。ところが、考えている自分という意識が存在しているからといって、自由意志があるとは限らないのです。

 

たとえば、脳が次に何をするかを決定した上で、意識は後付であたかも自分でそうしようと考えたかのように感じるとしたらどうでしょうか。意識は自分では何も決めていないのに、自分で決めた=自由意志があるかのようにだまされているというわけです。脳が機械であるということと、意識があるということの矛盾は、こう考えると解消されます。

 

分離脳という状態があります。右脳と左脳をつなぐ脳梁が切断されている状態の脳のことです。右脳は左目と左手を扱い、左脳は右目と右手を扱うのですが、左右の目が見られるものを分けて右目だけに「立ってください」という紙を見せて立ち上がらせます。今度は左目に「なぜ立ったのですか?」と聞くと、「座りっぱなしで疲れたからです」と答えるというのです。このように、意識は実際の行動があったあとに、まるで自分の意思でそうしたかのように感じるという不思議があるのです。

 

ではなぜ、後付で理由を感じるような、しかもあたかも自分でそれを決めたかのように感じる意識というものが生まれたのでしょうか?

意識はなぜ生まれた? 

意識が生まれた理由は諸説あり、正直わかっていません。『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』のように、無意識が行ったことを後で把握するために生まれた、という考え方もあります。また、冒頭でホモ・デウスの一節を引用したように、「無意味な心的汚染物質だ」という考え方もあります。ネタバレになりますが、こんな考え方もあります*2

 

ただし、SFでよく描かれるような「AIが意識を獲得して……」というシナリオは、AIが人類を超える上で必須ではないのでしょう。ホモ・デウスの筆者ユヴァル・ノア・ハラリは次のように話しています。

 

知性と意識を混同する人が多い。AIには意識があると考えられがちだが、これは全くの間違いだ。知性とは問題を解決する能力だ。意識は痛みや憎しみ、愛、喜びなどを感じる能力だ。

 

──感情を持つコンピューターをほしいと思ったことはあるか。

 

一般に、人間はコンピューターが感情を持つのではなく、人間の感情をコンピューターに理解してもらいたいと思っている。たとえば医療。多くの人は、「私は絶対AI医師なんかより人間の医者のほうがいい」と思いがちだ。
だが、AI医師は、患者の性格にぴったりなように調整でき、患者の気持ちも理解できる。ひょっとすると、患者の母親よりもよく理解できるかもしれない。全く無意識でね。
感情を持っていなくても、人の感情を理解することはできるんだ。

【人工知能】ユヴァル・ノア・ハラリが語る、AIと人類の未来

 AIが人類を超える上で、知性は重要だが意識は不要。これが、ホモ・デウスで語られる知性のあり方です。本当に、意識や感情というのは何のためにあるのか。意識とは脳のバグなのか、それとも純粋な知性にはない何かを意味しているのか。

 

AIの発展で、知性と意識が分離することで、たいへん面白い時代になってきたと思います。

*1:ロジャー・ペンローズは皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則でこれを主張しています

*2:『ハーモニー』では最終章で無意味な意識というものがなくなり、人類全体が無意識のまま幸せにすごすという世界が描かれています