FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

『効率的な利他主義宣言!』に見る、目の前の人を助けるか、多くの人を助けるか

先日、『効率的な利他主義宣言!』を読みました。慈善活動、つまり人助けというのは世界を良くするという意味でも、自分自身が幸福になるという意味でも大切なことです。では、どうしたら最も合理的に慈善活動を行えるのか? という問いへの答えを示した本になります。

〈効果的な利他主義〉宣言! ――慈善活動への科学的アプローチ

〈効果的な利他主義〉宣言! ――慈善活動への科学的アプローチ

 

病気で苦しんでいる人を救うために医者になるべきか?

本書には、人を助けるために医学の道に進もうとしている、グレッグ・ルイスという青年が登場します。彼は、高い給料よりも世界をより良くするという倫理観に基づいて、医者になるという夢を追いました。

 

高校の授業でオールAを取り、英国生物学オリンピックで国の代表を務めたあと、彼は夢を追い、ケンブリッジ大学で医学を学んだ。彼は大学でも才能を発揮し、21歳の若さで論文を発表した。ところが、医師として歩み始めると、彼は自分が実際にどんな影響を及ぼしているのか、疑問を持ち始めた。 

彼は病院で毎日何人もの命を救い、病気を癒やしきました。まさに目の前の人を助け続けたのです。

 

ここまでならばよくある美談ですが、彼は「他の職業ではなく医師を仕事に選ぶことで、自分はいったいどれだけ世の中にとってよいことをしているのだろう?」と考え始めたのです。

 

彼は統計を用いて、一人の医師が救う命の数がどれだけなのか調べ始めました。疫学者のジョン・バンカーの研究によると、アメリカの医師がもたらす便益の合計は22億QALY*1。アメリカの医師の数は87万人あまりなので、一人の医師は2500QALYを提供していることになります。命を救うことの便益は平均で35.5QALY相当だと見積もられており、つまり平均で70人の命を救っていくことになります。

 

グレッグの考察はさらに続きます。この数字は単なる平均だからです。自分が医師になることによってどれだけ追加の便益が生まれるかを知るためには、医師が1人増えることの「限界便益」を考えなくてはならないからです。

 

つまり、地域に医師がいなければ、ほかの誰かが人命救助を行います。また、すべての医師がバリバリ人命救助をしているわけでもありません。医師が一人増えたとしても追加で70人の命が救われるわけではなく、その医師は軽い病気を治療する仕事しか残っていないかもしれないのです。

 

こうした限界便益を基に統計的に再計算したところ、グレッグは、医師が一人増えることで増加する便益は4QALYだということに気づきました。平均の10分の1くらいになってしまったわけです。

 

限界便益は、どこで働くかによっても変わります。アメリカであれば医師が一人増えても救える命が大きく増加するわけではありません。でも、それが貧困国なら? 医師の数が絶対的に足りない国々ならば、平均の70人よりも多くの命を救える可能性が高いわけです。

医者が必要とされる貧困国に行くか、それともイギリスで働くか

ではグレッグは貧困国に行って医師として活躍したのか。ところがグレッグの決断はイギリスで医師として働き続けるというものでした。

 

彼は別の道を選んだのです。それは「寄付するために稼ぐ」という道でした。

ほとんどの人は「影響力のある」キャリアを選ぼうとするとき、この選択肢を検討しない。しかし、時間とお金はふつう交換可能だ。なので、仕事自体を通じて直接人々の役に立つキャリアだけが最高のキャリアだと決めつける道理はない。本気で世の中のためによいことをしようと思うなら、「寄付するために稼ぐ」という道も検討すべきだ。

グレッグの選択肢は次のようなものでした。

  • 富裕国で医師として働く 一生で2人の命を救うのに相当する貢献
  • 最貧困国で医師として働く 一生で140人の命を救うのに相当する貢献
  • 富裕国で働き稼ぎの一部を寄付 1年で19人の命を救うのに相当する貢献

本書には、命を救うもっとも安上がりな方法の一つとして、マラリア予防の蚊帳の配布が出てきます。これは3400ドルかけて560個の蚊帳を配布し、平均で一人の命をマラリアから救えるという調査結果が出ています。

 

結局、グレッグは最も稼げる分野として腫瘍内科を専門とすることを決意しました。

まずは収入の1割くらいから寄付をはじめました。でも、寄付したお金がまったく惜しくないことに気づいて、少しずつ割合を増やしていきました。今では5割近くを寄付していますが、むしろ今までよりよい人生が送れています。世界をもっとよくしたいと思っていた17歳の自分に恥じない生き方をしている気分ですよ。 

目の前の人を助けるか、多くの人を助けるか 

このグレッグの逸話を読んだときに、思い出したのがアメリカドラマ「SUITS」の主人公、マイクです。

SUITS/スーツ シーズン6 バリューパック [DVD]

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ネタバレになるので具体的な話は書きませんが、彼は目の前の人を救うことと、自分が弁護士になって多くの人を救うことの板挟みになります。ドラマらしく、どちらか一方を選べ! ということです。

 

揺れるマイク。目の前で困っている人を優先して、弁護士になることを諦めたり、逆になったり行ったり来たり。結果はドラマらしいもので終わるのですが、さて、 目の前の苦しんでいる人をどう考えたらいいのでしょうか?

 

合理的に考えれば、目の前の人は諦めて、より大きな目的のために行動すべきです。合計で救える人数も異なるし、そもそも目の前の人は「たまたま」出会ってしまっただけであって、最も救うべきだから助けているというわけではありません。

 

そういえば、『民王』でも、すべての国民に平等に恩恵が行くように政策を考える官僚に対し、「総理になっても、目の前で困っている一人、救えないのか」と嘆くシーンがありました。

民王 (文春文庫)

民王 (文春文庫)

 

これもよくよく考えれば、たまたま総理の目についたらえこひいきしてもらえるということでしかありません。総理がやるべきことは、たまたま出会った人を優先して助けるのではなく、平等に、最大多数の人を助けるために努力することです。それが合理的というものでしょう。

人間は合理的には動かない 

おそらく、先の英国の医師グレッグの考え方を、なんかしっくりこないと思った人が多いのではないでしょうか。確かに自分で命を救うよりも、金を稼いでそれを寄付することでより多くの命を救えます。でも、多くの人はそれでは「人のためになってる」という実感は得にくいでしょうし、周りの人の評価も医師のほうが上でしょう。特に日本では、たくさん金を稼いで寄付をするなんていうと偽善者とさえ言われかねません。

 

SUITSにせよ民王にせよ、合理的に数値化して最大の効果を求めるよりも、何気ない目の前のことを重視するプロットになっているのは、それが人の心に訴えかけるものがあるからです。

 

ドライにいえば、目の前の実際に見えているものを過剰に重要に感じるというバイアスが、人間にはあるのでしょう。いったん関わってしまえば、ほかのものとは同一には感じられなくなるのです。なかなか人間の心理は面白いものです。

*1:人間の健康に関する便益を計算できる指標にしたもの。生活の質と、寿命という観点から計算する。例えば、余命5年の40歳の患者に抗レトロウイルス治療を施して、寿命が5年伸び、生活の質が50%から90%に改善したとすると、(90%ー40%)×5年 + (90%×5年)で、6.5QALYと計算される。