人生で最も重要で貴重なものというと、「時間」が挙がることが多いでしょう。お金などに比べても、時間の価値は大きく、富める人も貧しい人も同じだけしか持っていないものだからです。
ところが時間があっても、それを有意義に使うためには重要なものがあります。「パッション」です。
今何に打ち込みたいか
パッションとは別の言い方をすれば、「今何に打ち込みたいか」という気持ちのことです。これは生きる原動力であり、お金と時間を費やす先だともいえます。パッションを完全に失ってしまった人生とは、「生きていても仕方ない」という諦めの境地だということです。
人生のステージ、ステージ、そしてタイミングでパッションの持ちようは大きく変わります。社会人になりたての頃は、多くの人が仕事に対してパッションを持っていたのではないでしょうか。そしてある時はそれが恋愛に変わったり、スポーツになったり、旅行になったり、モノを買うことになったりします。何か学問や投資かもしれません。
パッションの持続時間は決して長くない
中には物心ついてからずっと一つの物事に打ち込んできたという人もいると思います。でも、ぼくの場合はパッションの持続時間はそれほど長くないんですね。
長く続いても2〜3年。そこから先は惰性になったり、頻度が急速に落ちたりします。熱しやすく覚めやすいたちのようです。
だから大事にしていることは、その時生まれたパッションを大事にすることです。「これをやりたい」という気持ちは、もしかしたら二度と戻ってこないかもしれません。夜寝る間も惜しんでなにかに取り組むということは、それが社会的に意義があろうとなかろうと、人生の中では貴重なことです。
一時期、Ingressにハマっていたときは夜な夜な都内各地に遠征していました。多くは自転車で、恵比寿のガーデンプレイスに向かってポータルを書き換えたり、靖国神社を探索して職務質問を受けたこともありました。
ランニングにハマっていたときは、毎日のように走っていました。走ること自体も楽しいし、日に日に体力がついてタイムが上がっていくのも快感でした。自動車にハマって、アフターパーツの交換を重ねたり、峠や首都高、サーキットでタイムアタックを繰り返した時期もあります。ゲームにハマって、食事も忘れてのめり込んだこともあります。このときは趣味が講じて、そのゲームの攻略本を執筆する機会までいただきました。
でも、こうしたパッションは長くは続かないのです。
人生のときどきでできること、やりたいことは違ってくる
パッションというのは、そのときどきの環境に応じて、そして身体的な制約によって変わってきます。20代の頃はエクストリームスポーツにかなりのめり込みましたが、さすがに30代に入ると怖さを感じるようになりました。
40代に入ると、普段は気づかなくても、身体の反応速度が遅くなってきていることを、極限のスポーツでは感じるようになります。それを悔しいと思うときもありますが、逆にそうなると楽しさ自体も薄れてきます。パッションが薄れてくるということです。
セミリタイアを目指すにあたっては、もちろん資産構築が大事です。お金がかかる趣味があった場合、泣く泣く諦めて貯金に回す選択をすべきときもあります。それでも、もしパッションが高まっているのなら、費用がかかってもそのときに取り組んだほうが、結局のところ後悔しないように思います。
最も望ましいのは、うまくパッションをコントロールして、費用がかからない何かにのめり込むこと。そして、仕事や投資、節約など、資産構築につながるようなことにパッションを感じられるようになればベストですね。
時間は有限だがパッションはもっと大事かも
時間は有限。だから大事に使うということはよく言われます。でも、時間がたっぷりあってもパッションが残っていない人生なんて、つまらないものです。もし何か熱中できるものを見つけたら、パッションを感じたら、他のものを捨てて、そこに打ち込みたいものです。
このとき、捨てるものがお金ならなんとかなります。また逆に、仕事が惰性になっているなら、資産さえ十分にあれば仕事を捨てることができます。これが、セミリタイアすることの本質の一つなんじゃないかと思っていたりします。