FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

「貨幣は鋳造された自由である」とドストエフスキーは書いた

 「貨幣は鋳造された自由である」という名言が、たびたびブログやTwitterに登場することがあります。なるほど、セミリタイアを志す人間にとっては、まさにそのとおり。自由とは何なのかの本質に迫る言葉です。

死の家の記録 (新潮文庫)

死の家の記録 (新潮文庫)

 

 「死の家の記録」に登場

この言葉はロシアの文豪、ドストエフスキーによるもの。では、どこに出てくるのかというと、「死の家の記録」という小説です。「ペトラシェフスキー会のメンバーとして逮捕されたドストエフスキーは、オムスク監獄で囚人として4年間過ごした。「死の家の記録」は実質上、ドストエフスキー自身の獄中体験記録とも言える。」(Wikipedia

 

それでは、具体的にどんな文脈でこの言葉が出てくるのでしょうか。これは監獄の囚人という、自由を奪われた人たちの心情を表した言葉でした。

金(かね)は鋳造された自由である、だから完全に自由を奪われた人間にとっては、それは普通の十倍も尊いものである。金がポケットの中でじゃらじゃらしてさえすれば、たとえそれを使うことはできなくても、もうなかば気持ちが休まるのである。

 

ところが、金というものはいついかなるところでも使うことができるし、まして禁断の木の実は倍もおいしい。獄内では酒を手に入れることさえできた。パイプをもつことは厳重に禁じられていたが、それでもみな煙草を吸っていた。金と煙草が囚人たちを壊血病などのさまざまな病気から救っていたのだった。

 

ときどき夜遅く抜き打ち検査が行われて、禁制品はことごとく引き上げられた。そして――金はどんなにうまくかくされても、やはりときには検査官に見つけ出されることがあった。一つにはこのために、貯めておくよりは、飲んでしまったほうがましだということになり、獄内に酒が持ち込まれることになるのである。

 

その貧しさのために、金も獄外とはまったく違う価値をもっていた。大きな面倒なしごとの報酬もせいぜい半コペイカ銅貨が何枚かだった。金貸しをやってかなりいいかせぎをしてる者も何人かいた。使いすぎたり、あるいは空っけつになった囚人は、なけなしの品を金貸しのところへ持っていって、法外な利息で何枚かの銅貨を借りた。

 この文章から何を受け取るか

この引用だけを見ても、ドストエフスキーの意図は、実はけっこうイメージしていた内容とは違うかもしれませんね。

  • 自由は失っても、金はほしい
  • 自由は失っても、金が利用できないところはない
  • 金は貯め込んでも失うリスクがある
  • 金を稼ぐ方法はさまざまだが、どんな状況でも金貸しはいる

こんなことが、ストレートに読み取れることでしょうか。