先日「GOETHE」のWebに掲載されたダイナースのクレジットカード広告記事が炎上しました。現在はすでに取り下げられているので、状況を記した記事を貼っておきます。
今回問題になったのは他のカードを貶める表現が多かったこと。
「通販サイトのカードでいばられてもね(笑)。」「男性が交通系の機能がついたカメラ屋さんのカードで支払っていたときは、気まずく感じてしまって見ないふりをしました(笑)。 」「百貨店とかスーパーとかのカードしか持っていないと、『この人は何にもこだわらない人なんだろうな』と思っちゃう。 」……これらの発言には他社のカードやその所有者を貶めるような意図が含まれており、その一方で、ダイナースカードを所有する男性は素敵、と賞賛するというオチだった。
さてここで考えたのは、クレジットカードはステータスを表すものか? ということです。
外部へのシグナルとしてのステータス
ステータスとは端的にいえば社会的地位を指します。収入や生活水準、人間関係、所属先を総合的に示します。Wikipediaによると「近代社会では、職業が地位の主な規定要因」となっています。
ただ実態としてのステータスという言葉は「社会的地位を外部に示すもの」として使われているというのが実感です。
- 都内の豪邸に住んでいる
- 高級車に乗っている
- オーダーメイドのスーツを着ている
- 弁護士バッジを付けている
- 大企業の管理職の名刺を持っている
いわば、 外部からその人を判断できる情報をステータスと呼ぶのでしょう。逆に、銀行に1億円の預金があっても、それが分かるように示せない限りステータスとはいいません。そして、収入や資産規模をダイレクトに示すのは、かなり嫌らしいことで、遠まわしにそれを誇る手段がステータスです。
ステータスの意味は、外部へのシグナルです。ステータスをうまく使うと「収入はいくら?」「どこに勤めているの?」「職業は?」と聞かなくても、外見からそれを察することができます。そういう意味でも、結婚相手の収入や、取引先の人の権限などをそれとなく知るシグナルとしてステータスは有用なわけです。
ちなみに上記の記事によると、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットは、アメックスの最下位のグリーンカードを利用しているそうです。このレベルになると、別にクレジットカードでステータスを象徴させなくても、誰でもステータスを知っているということです。
クレジットカードはステータス?
ではクレジットカードはステータスになるのでしょうか? 通常カード、ゴールドカード、プラチナカード、ブラックカードなどなど、クレジットカードはいろいろな種類があって、上位のカードほど取得が難しいとされています。収入や勤務先、職業など一般的にステータスの指標となるものをカード会社が審査して、一定のステータスが認められる場合だけ、上位のカードが取得できるというのがもともともシステムでした。
これがうまく機能していれば、ゴールドカードを持っている=ステータスが高い と見てもおかしくなかったはずです。
ところが、カード業界でもインフレが進んでいます。ゴールドカードなんて実際のステータスに関係なく簡単に取得できるものが増えていますし、プラチナカードもかなりステータスが低下してきました。クレジットカードがステータスの指標として機能しなくなっているというのが現状です。
となると、高位のクレジットカードを持っている=ステータスが高いという図式も崩壊します。まだ上位カードを持っている人を見ると、高いステータスの人だと勘違いする人(GOETHEに出てきた美人秘書とか)もいるのでしょうが、敏感な人はクレジットカードをステータスの道具として見なくなってきています。
だから、クレジットカードの別の要素、例えばお得感を重視して、BICCAMERA Suicaカードを持ったり、楽天カードを持ったりしてきているのです。実際のステータスが高い人、例えばぼくの友人に東証一部上場企業の取締役がいますが、彼もメインカードは楽天カードです。
じゃぼくは?
自分自身は、そもそもステータスを誇示する必要をあまり感じていません。
仕事の有能さと、収入や勤め先などはあまり関係ないことを実感していますし、ステータスによって判断するような人と何かを深くやることもないと思っているからです。そんなわけで、クレジットカードは機能性が最重要です。
ただし、ビジュアルとしての面白さがクレジットカードにもあります。盤面のデザインが優れているとか、素材がプラスティックではなく金属だとか、そういうものには惹かれます。ステータスがどうということではなく、デザイン、オリジナリティやユニークさが魅力なのです。
そういえば、腕時計もそうです。ステータスアイテムとしての腕時計には興味がありませんが、純粋にかっこいいとか高機能な腕時計には惹かれます。正直、値段の多寡は関係ありません。自動車もそうですね。機能性やデザイン、歴史には惹かれますが、それを買って維持していられるということが示すステータス・シンボルとしての自動車には興味がありません。
価値の多様化によって、特に都会では、ぼくのような人が増えてきているように思います。