FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

目的達成のために金融機関を動かすのは正義なのか

先日、ある大手金融機関の若手と話をしていて考えさせられることがありました。彼女は20代後半で、大学では環境保護を学び、地球環境をなんとかするために金融機関を志望したのだといいます。就職してからも、金融機関での仕事を通じていかに社会を良くするかに心を砕いてきたといいます。一見美談のようなこの話、どう思います?

金融機関はいろいろなところに影響を及ぼせる

まず前提というか現実の話として、金融機関はほとんどの企業の命運を握っています。金融機関にそっぽを向かれたら、企業は立ち行かなくなります。特に、厳しい状況にある企業にとっては、融資が滞ったら即倒産にもなりかねません。

 

だからこそ、コロナ禍真っ最中の中、飲食店に対する酒の提供停止要請において、「金融機関に事業者への働きかけを行う」と述べた西村経済再生担当相は大ブーイングを受けたわけです。

www3.nhk.or.jp

「コロナ禍において酒の提供を止める」ことが正義だったとしても、それを「金融機関を通じて実行する」ことは許されないと、みんなが判断したということです。

SDGsのやり方

では翻って、SDGsやESGの手法はどうでしょうか。SDGsがいう17の国際目標は、それぞれがトレードオフの関係にあって、何かを犠牲にしなければ実現できないことを除けば、素晴らしいお題目です。

 

ところがSDGsの実現においては、金融機関が大きな役割を果たしていることは意外と知られていません。SDGsの前身「MDGs」は資金不足のために失敗しました。その反省を生かして、「民間資金を活用する」ことを目指したのがSDGsです。

 

金融機関を巻き込んで、SDGsに合致する企業には資金を提供する、SDGsに反する企業には資金を提供しない。そうすることで、国はカネを出さずに、SDGsを推進できると踏みました。

 

実際、金融機関は監督省庁の後押しもあり、この流れに乗ります。企業の資金需要に応える立場から、資金需要につけこんでSDGsが望ましいとする社会へ向けた後押しをする立場に変わったのです。

SDGs/ESG金融に関する金融機関の取り組み

 

これを美しい言葉でいうと、次のようになります。

金融機関は、これまで、資金ニーズが発現した個人や企業に対し、待ち受け型で、回収が見込める顧客を中心に資金支援する経済合理性重視のファイナンス支援者であったと言える。現在は、資金ニーズに加え、根源的ニーズ充足や本業支援にまで踏み込み、予見型で、将来性が期待できる顧客を支援する成果創出プロモーターを目指す動きが広がりつつある。今後は、資本主義社会のひずみを打破するための新たな経済モデルへの転換がグローバルで叫ばれる状況を踏まえ、現在の経済モデル構築の一翼を担った金融機関は、金融仲介機能や信用創造機能の“進化”を通じた新たな社会や地域モデルの共創パートナーの立ち位置を目指すべきと考える。

【連載】SDGs達成に向けた今後の金融機関の在り方

市場の要望に応えるのではなく、SDGsの実現のために融資をコントロールするという宣言なわけです。

 

同様のことがCO2絡みでも置きています。主にEUが、機関投資家に対して投資先企業の温室効果ガス排出量の開示と、今後の方針を示すよう、規制をかけたのです。開示規制「SFDR」です。すると機関投資家は、投資先企業にもそれを促します。開示して削減方針を示さなければ、株を買わないよ(売るよ)というわけです。

金融機関は圧力をかけていいの?悪いの?

翻って、先のコロナ禍で不正義と言われた金融機関の行動は何だったでしょうか。

  • 「コロナ禍において酒の提供を止める」ことが正義だったとしても、それを「金融機関を通じて実行する」ことは許されない

ところが、SDGsやCOP21では、次の行動が是とされています。

  • 「SDGs実現や地球温暖化阻止」のためなら、それを「金融機関を通じて実現させる」ことは推奨される

今回の記事で「コロナ禍で酒の提供を止めることが正しいかどうか」や「SDGs実現や地球温暖化阻止」が正しいかどうかは議論していないことに注意してください。このいずれもが正しいとしても、一方は金融機関を通じて実現することはNGで、他方は推奨されているというわけです。

 

ぼくはリバタリアンですが、すべてに対して市場が万能だとは思っていません。特に環境問題は、市場だけでは解決が難しい問題の1つです。そのためには国際的な規制も必要だろうし、税制で誘導することも必要でしょう。しかし、それを金融機関を通じて実行するのはおかしな話だと思います。

 

まずSDGsにしてもCOP21にしても、国民的な議論の結果、または民主主義の結果として法律が作られたものではありません。一部の人たちが、半ば密室の中で決定して、それをメディアから教育から、そして金融機関までに広めているものです。誤解なきように書きますが、SDGsもGHGにしても僕は懐疑論者でも反対論者でもありません。そうではなく、プロセスのことを言っています。

 

さらに金融機関側が「我々は良いことをしている」と思い込んで行動していることも問題です。よりよい社会の実現のためには、それを推進する企業にはお金を貸すけど、邪魔する企業にはお金を貸さない。これが今後の金融機関が目指す道だ――。そういうことを言っているわけです。果たして「よりよい社会の実現」とは何かを、金融機関が判断していいのでしょうか?

 

冒頭の話に戻ると、彼女は金融機関がさまざまな企業の命綱を握っていると本能的に理解していたのでしょう。だから、環境保護のためには金融機関で働くことが効果的だと思っていたし、実際にそのために仕事もしてきた。しかし最大の問題は、自分自身が「良いこと」をしていると思い込んでいることで、「何が善なのかを特権的地位を背景に独善的に決めている」とは全く思っていないことだと思うのです。

 

www.kuzyofire.com

www.kuzyofire.com