FIer: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIerを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

「価値観をアップデート」することの不思議

最近、「価値観をアップデートしよう」ってよく言われるし聞きます。さらっと聞くと「そうか、時代も変わっているので古い常識にこだわるのをやめて、新しい常識を受け入れよう!」くらいに感じてしまいそうです。意識高い系って感じで。でも、よくよく考えると、古い常識とか新しい常識とかってなんでしょうか?

価値観って流行で変わるのかい?

最初、「価値観をアップデートしよう」という言葉を聞いたときに感じたのは、軽い嫌悪感です。価値観というのは、その人の中で何を大事にするのか、何が重要だと思っているのかの基準です。これは人生の間、さまざまな経験を元に形作られてきたものです。

 

そんな自分自身ともいえるような価値観に対して、どうして「アップデート」を迫れなくてはいけないのでしょうか。しかも、単に更新しようという意味のアップデートではなく、特定の方向に変えようという意味で、「価値観のアップデート」といわれるのです。

 

ここには、ある特定の考え方が絶対的に正しく、あなたの考え方は間違っている。だから考え方を変えてください=アップデート、という、けっこう傲慢な発想があると思うのです。

よくある「アップデートすべき価値観」

では、「あなたの価値観は古くて間違っている」としてアップデートを迫られる内容はどんなものでしょうか。抽象論ではなく、具体的な話で考えると、こういう話はより理解が深まります。最近よくある「アップデートすべき価値観」は、人種平等、男女平等、性差撲滅あたりです。

 

これは、“雑な対応”で炎上した吉野家が、具体的な例になります。

吉野家 採用説明会で外国籍との判断を理由に大学生の参加断る | NHK | 外国人材

吉野家、取締役の不適切発言で謝罪 若手女性向け自社戦略を「生娘をシャブ漬け戦略」 - ITmedia ビジネスオンライン

 

いろんな背景や事情はあるにせよ、「人種を理由に対応するのは許されない」「女性蔑視発言の根底にあったのは古い価値観」というような報道がされています。特に、こうしたことをやらかすのが昭和生まれのオジサンであることをやり玉に挙げて、「価値観がアップデートされていない」という論調になるわけです。

 

ここで面白いのは、女性に参政権もなかった明治時代とか、奴隷制度のあった18世紀のアメリカとかならいざしらず、「人種差別NG」とか「女性差別NG」なんておじさんだって普通に知っていることだということです。さすがに、「女性を馬鹿にして何が悪いの?」という人は相当少ないはずです。何が正義であるかの軸は、だいたい共通しているわけです。

建前が本音になるのがアップデート?

このあたりまで考えて、フームとなりました。「価値観をアップデート」といわれて、自分の価値観を特定の方向に変えさせようとしているのでは? と初めは勘ぐったのですが、少し違うのかもしれません。

 

思うに、「建前は分かるけど、実際はね……」というような意識の持ち方が、ギャップになっている。女性蔑視発言はいけないことになっているけど、それは考えすぎでしょ、みたいな。人種差別はいけないことだけど、そんなに目くじら立てなくても、というように。

 

確かに世の中には、建前として規範があるけど、実態はあんまり守られていないというルールがけっこうあります。ところが、それが時代の流れとともに、守るのが当たり前に変わっていくのです。これは何かの事件がきっかけになることや、法律の厳格化もきっかけになりますが、じわじわと人々の意識が変わることによって、気づけば変わっていたというのもあります。

 

道端にゴミを捨てるという行為も、90年代はまだよく見かけるものでした。当時だってそんなことはいけないことだとみんな知っていましたが、でもなくならなかったのです。クルマの窓から空き缶を捨てるなんてのも、当時はよく見ました。これなんて、人々の意識がだんだん変わったものじゃないでしょうか。

 

残業時間の削減や、有給は消化するものという考え方、育休なども、こちらは法律の定めや活動している人たちの貢献によってだんだん根付いてきました。たかだか20年前は、36協定なんて気にしている人を見たことがなかったですし、どっちかというと残業したのに残業代が支払われないブラック残業のほうが問題だったのです。それがこの10年くらいで、急速に労働環境が整備されました。今は大企業が中心でしょうけど、まずは大企業が取り組み、そして中小企業にも波及していくもの。そう考えると、どんどん世の中はよくなっているともいえます。

誰も反対できない建前は怖い

世の中には、誰も反対できない建前というものがあります。その集大成がSDGsです。

  1. 貧困をなくそう
  2. 飢餓をゼロに
  3. すべての人に健康と福祉を
  4. 質の高い教育をみんなに
  5. ジェンダー平等を実現しよう
  6. 安全な水とトイレを世界中に
  7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに
  8. 働きがいも経済成長も
  9. 産業と技術革新の基盤をつくろう
  10. 人や国の不平等をなくそう
  11. 住み続けられるまちづくりを
  12. つくる責任 つかう責任
  13. 気候変動に具体的な対策を
  14. 海の豊かさをまもろう
  15. 陸の豊かさもまもろう
  16. 平和と公正をすべての人に
  17. パートナーシップで目標を達成しよう

ただし、これらは建前であって、実際にそれを実現するために行動する段階では、妥協して折り合いをつけて大人な対応をせざるを得ません。なぜなら実行にはトレードオフがつきものであり、すべてを満足させる解決策はないからです。

 

例えば、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」と「気候変動に具体的な対策を」の2つを取ってみても、これに反対する人はいない建前としては完璧な内容ですが、両方を実現することはできないことは誰でも分かります*1。だから、実行は漸進的な妥協案にならざるを得ないのです。それが分からないとグレタ氏になってしまいます。

 

誰もが「これは正しい」と思っている建前を、本音に変えていく。それが価値観のアップデートなのだとしたら、それ自体はいいことでしょう。だって、正しいけどできなかったことが、できるようになったことを意味するわけだから。

動物虐待について“価値観をアップデート”し続けるとどうなるか

でも、価値観を振りかざしても、実際には実行不能なことというのがまだまだあることは忘れてはいけません。例えば、まだ建前としても共有されていないかもしれませんが、動物虐待について考えてみましょう。

 

動物虐待自体に反対する人はいないでしょう。生き物である限り、不要な殺傷は禁じるべきだし苦痛を感じるような殺し方をすべきでもありません。そんな文脈の中で、一部の国では下記のようなことが行われてきました。

  • クジラ漁の禁止
  • 毛皮生産の禁止
  • フォアグラの禁止

では次に起こるのは何でしょうか。例えば、米国カリフォルニア州では動物愛護の観点から制定された法律によって、豚肉の価格が60%上昇すると予想されています。

nordot.app

ちきりん氏はVoicyで「牛肉が毛皮になる日」という放送をしており、こちらは動物愛護の観点だけでなく環境保護の観点から、牛肉は毛皮のように禁止される運命になるのではないかといっています。

voicy.jp

環境問題といえば、CO2排出量が大イシューなわけですが、一人の人間の食事を賄うのに、穀物であれば少量で済むところ、肉は大量の資源を消費します。一般に「1kgのステーキの生産には11kgの穀物が必要」とされており、人が肉を食べるのをやめて穀物で生活するようになれば、環境負荷は大きく下がるわけです。

 

いまのところ動物愛護とかの話は哺乳類がメインですが、これがほかに広がらない理由はありません。例えば、多くの人が魚は意識もなく殺されても何も感じていないと思っているようですが、下記の書籍によると、行動から推察すると魚も痛みを感じているのではないかと見られています。

この話の行き着く先は、地球環境にとって人間は害悪でしかないから、いないほうがいいという価値観です。「地球環境を守ろう」という建前的な価値観を、どこまで実際に守るべきかというのは、意外と難しいものなわけです。

 

まぁでも、(多少寂しいところがあるにしても)毛皮を禁止したりフォアグラを禁止したり畜産における豚や牛の環境改善がなされたりしても、人間の暮らしに大きく影響しないのであれば、それは世の中がよくなったということだと思います。

 

冒頭の「価値観のアップデート」に戻ります。自分が建前として認識していた価値観が、実際に実行可能だと認識し、行動が変容することを「価値観のアップデート」と呼ぶのであれば、それは価値観を変えるというようりも、現状認識をアップデートすることに近いわけです。なるほど、そういう意味ならば自分も積極的に(カッコ付きの)「価値観のアップデート」に勤しまなくては、と思うのでした。

 

*1:または両方を実現すると、ほかの事柄に大きな影響が出る。