FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

自己責任と公正世界仮説 「被害者にはそうなる理由」があったのか?

投資において相場が下落したり、事件が起こったりするたびに囁かれる言葉があります。「投資は自己責任だから」――。表面的には、そのとおりだよねと感じることも多いこの言葉ですが、実は意外と奥が深い。今日は、「自己責任と公正世界仮説」について考えてみます。

試合で負けたのは「強い気持ち」や「努力」がなかったからなのか

激戦の上、試合で勝利した選手へのインタビューで、「誰よりも強い気持ちで勝つことを願っていた」とか「努力の結果がここに現れた」みたいな発言をする選手がいます。本人は、特に深く考えることなくこの言葉を言っているのでしょう。

 

でも実はこの言葉、意外と攻撃的なのです。

 

負けた相手の立場にとって考えてみましょう。これは「負けたのは、気持ちが弱かったからだ」「負けたのは努力が足りなかったからだ」と言われているようなものです。敗者の気持ちになってみれば、「実力の差です」「運が良かった」と言われたほうがいっそスッキリする気もします。

 

ではなぜこういう言葉が、ごくごく普通に使われるのか。その背景には「正義は最後には勝つ」というようなジャンプの漫画的な刷り込みがあるように感じています。強い思いを抱いていれば最後には勝利する、ひたすら努力すればいつかは報われる。それ自体は悪い考えではないのですが、因果が逆転するとこうなります。

 

「勝ったのは正義だからだ」「勝ったのは努力したからだ」。このように、良い行いをした人は報われるという考え方を、「公正世界仮説」といいます。

公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)

公正世界仮説とは、

人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。

公正世界仮説 - Wikipedia

というものです。「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考えます。これは、未来に対してポジティブな見方をできる考え方である一方、次のような問題も生じます。

公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「罪」を非難する犠牲者非難をしがちである。

例えば「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、日本のことわざにもこの公正世界仮説が反映された言葉がある。

公正世界仮説 - Wikipedia

実は、この公正世界仮説のことを意識せず、バイアスだと思うこともなく、普通にこうした考えを持っている人もたくさんいます。

 

そして、これが一番出てくるのが、実は事業や投資で失敗した人に対する反応ではないかと思うのです。

投資詐欺にあっても「自己責任」?

投資はよく「自己責任」だと言われます。この本来の意味は、

  • 個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う

という意味でしょう。これは民主主義の前提でもあって、自分の選択の結果を相手のせいにすることはできません。

 

投資における自己責任とは、元本も保障されていないしリターンがどれだけかも分からない株式投資において、期待しただけのリターンが出なくても自己責任だというのが基本です。ここで、間に証券営業マンがいたからといって、「儲かると言ったじゃないか!損失を補填せよ!」みたいにいったら、それは「自己責任だ」と返すしかないわけです。

 

ただしそこには制約もあって、Wikipediaでは次のようにされています。

何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を制限・強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。

ここで考えてみましょう。部屋に監禁されて無理やり契約させられた投資は「自己責任」でしょうか? 10%で運用するというので預けたらお金を持って逃げられてしまったのは「自己責任」でしょうか。さらにいえば、家に泥棒が入って金庫の中のお金を盗まれてしまったのは「自己責任」でしょうか。

 

これらを「自己責任だ」と断じる人は、まさに公正世界仮説にともなうバイアスの下にあります。先の例はいずれも単なる犯罪であり、それを自己責任だというのは、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」のと似たようなものだと、ぼくは思います。

グラデーション

といっても、この自己責任の幅はスキームによってさまざまです。こと証券投資については、予期できない損失であっても、全て投資家が負担するというのが普通だからです。

 

例えば、株式投資において、オーナーである株主が委任した経営者が粉飾決算を行っていて会社が倒産しても、多くの場合、それは経営者の行いを見抜けなかった株主の責任となります。経営者に対しては、株主集団訴訟なんかを起こすでしょうけど、その損失はやっぱり自己責任なのです。

 

ところが、投資用に購入した家が最初の説明と違って壊れていたとしましょう。これはクレームと返金の対象ですし、その責任も含めて、仲介業者である不動産屋が高い仲介手数料を取っています。自己責任といえなくもないですが、約束と違うよね、と言って返金をもとめてしかるべき内容です。

 

さらに、クラウドファンディングのような仕組みはどうでしょうか。クラウドファンディング事業者は、善管注意義務を持っており、募集時の説明と異なる目的に資金が利用されるなどの不正流用がなされないように監督する義務があります。ここで貸付先がお金をもってトンズラした場合、それはやっぱり犯罪であって、投資家の自己責任ではないでしょう。

 

このように、仕組みによって投資家の責任は異なってくるはずです。誰がどこまで責任を負っているのかを理解せず、何でも「投資は自己責任」で済ますのは、公正世界仮説に基づく心理バイアスなのではないでしょうか。

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