FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

これから50年、必要になる考え方や能力について(1)科学的思考力


夏休みで暑いので「これから50年を考えると、こんな考え方や能力が必要になるんじゃないか」と思っていることを、さらさらと書いてみます。それは、科学的思考力と会計、そして統計的発想です。

AI時代には知識ではなく考え方が重要になる

現在はLLMに代表されるAIによって、大きな時代の転換期にあるといえます。

 

産業革命を持ち出すまでもなく、革新的なテクノロジーは人間の仕事を大きく変革させ、必要な能力も変化しました。蒸気機関が普及する前なら、頑丈で力強い肉体というのは働く人にとって最重要の能力だったでしょう。ところがそれが機械に置き換わると、肉体的な力強さは最重要の能力ではなくなっていきました。

 

20世紀は、アルビン・トフラーのいう第三の波が情報革命を起こしました。世の中は工業社会から知識社会、情報社会に移行し、工業社会において工場労働者として重宝された能力も、次第に時代遅れになってきています。

 

知識社会においては、当初はその専門性や専門的知識が重要で、知識を蓄えていちいち辞書を引かなくても内容を覚えている人が評価されました。学校の勉強もその方向でした。頭のいい人を指して「歩く辞典」なんて言われたのが典型です。

 

ところがネットの進展は、単なる物知りの価値を下げ「ググればOK」の時代になりました。そしてChatGPTに代表されるAIの時代では、さらに知識自体の価値は下がりました。知識は調べれば簡単に手に入ります。その応用さえAIは自在にこなすようになるでしょう。

 

そんな時代にあって重要な能力は「考え方自体」ではないか? 物事をどう捉え、どう問題を構造化するか、それが知識以上に重要になるのではないか? と思うのです。

その1:科学的思考力

そんな考え方にはいくつかの枠組みがあります。そのうちの一つが「科学的思考力」です。何やら広い意味合いに見えるかもしれませんが、実はシンプルな話で観察、推論、実験、証拠に基づく結論を導き出すための思考プロセスや方法を指します。

観察とデータの収集:

状況や現象を注意深く観察し、これに関連するデータを収集します。定量的なデータ(数値)や定性的なデータ(記述)の両方の形をとります。

仮説の構築:

収集したデータや観察に基づき、可能な説明や予測を立てます。仮説は、テスト可能で、証拠によって支持されるか否定される明確なものにします。

実験とテスト:

仮説を検証するための実験やテストを設計し、実施します。これは、仮説が正しいかどうかを明らかにする証拠を得るために行います。

分析と解釈:

実験やテストから得られたデータを分析し、結果を検証します。その結果によって仮説を支持するか否定するかを解釈します。

再評価と改訂:

結果や方法に疑問を持ち、他の可能な解釈を考慮し、自分自身のバイアスを認識する能力です。新しい証拠が得られた場合、先行する仮説や結論を再評価し、必要に応じて改訂します。

コミュニケーションと共有:

結果を他者と共有し、その方法と結論を明確に伝える能力です。これには、他者からのフィードバックを受け入れ、結果を改善する柔軟性も含まれます。

 

これはそういう教育を受けた人には当たり前ですが、そうでない人にはまったく当たり前ではないようです。ぼく自身は大学でこれを叩き込まれました。仮説を立てて実験し、結果を検証する。結果が正しいかどうかは、データで議論できるもので、新しいデータが出てくれば、当然結果もアップデートしなくてはなりません。

 

科学においては、これらは当然なのですが、意外なくらい人文系ではこういうプロセスを踏みません。というか、実験ができないという障壁によって、科学のようなクリアなプロセスを踏めないのです。数学を広く活用する経済学も、実験ができないために主義主張がぶつかり合ってしまい、データに基づいての議論にならない場合があります。

 

昨今、データサイエンティストなどももてはやされていますが、単にビッグデータを分析すれば意味のあるものが出てくると思っていると肩透かしを食うのではないでしょうか。結局のところ、重要なのは仮説です。

 

アインシュタインは次のように言ったとされています。

もし私に1時間で問題を解決する時間があれば、そのうちの55分は問題の定義に使い、残りの5分で解決策を見つけるために使うだろう。

単にゴミのようなデータが大量にあってもダメで、何が問題なのかを明確にできれば、解決策は簡単に出てくるということです。

どうやって科学的思考力を身につけるのか

ではどうやったら科学的思考力を身に着けられるのでしょうか。実は「この本を読めばOK」というものではないと思っています。こうした考え方というのは、単にそれを知っていれば使えるというものではなく、自然のその枠組に基づいて頭が動くまで、トレーニングすることが必要だからです。

 

ぼくはこれを最も簡単に身につける方法は、そうした科学系の大学で学ぶことではないかと思っています。実際に観察して仮説を立て、実験計画を立案し、実験を行い、結果を分析する。この一連のプロセスを何度も何度も繰り返すことで、身につくのではないかと思っています。

ロジックとエビデンスそのもの

そしてこれはロジックとエビデンスそのものだとも思っています。仮説というのはロジックです。これこれこういう理由で、こうなるはずだというのが仮説。そして、この仮説に基づいて実験してみて、出てきたデータがエビデンスです。これを分析して解釈し、仮説が棄却されないならロジックも正ということ。

 

世の中の多くの物事は、数学のように定理の上に重ねた記号操作のロジックだけで結論が出るものではありません。定理自体もあやふやなら、ロジックといってもそこかしこに単純化や仮定が入った上で組立っているものです。だからこそ、それが本当に世の中を示しているかは、データ、エビデンスが必要なわけです。

 

ほんと、大学に行って一番良かったと思うのは、知識を身に着けたことではなく、こういった科学的思考力を身につけたことです。何が正しくて何が正しくないか、物事を改善するには何をしたらいいのか。そうした根本の枠組みとして、科学的思考力はたいへん重要なものなのですから。

 

さて第2回は、科学的思考力に続き、会計の考え方について書いてみようと思います。

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