FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

節約の考え方について

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FIREと切って切れないのが節約です。極限まで生活を切り詰めて、収入を投資に回すFIRE達成者のことがたびたび話題になりますが、さて、節約とはいったいなんでしょうか。僕がよく気にしているのは、 「安いものを買う」か「安く買う」かの違いです。

「安いものを買う」か「安く買う」か

何かを買うときに、「安いものを買う」という選択肢は常にあります。水道水を節約したり、電気を節約するのも同じです*1。夕方になって値引きシールが貼られた食材を買うというのもそうですね。

 

これは、少なからず、「質を落とす」ということにつながります。高いモノが必ずしも質がいいわけではありませんし、価格と質の関係は正比例しないので、ある一点を超えると価格の上昇幅ほどの質の向上は見込めません。それでも、たいていの場合、安いモノは質が落ちます。

 

これはもちろん人生の選択肢です。その質に満足していて、必ずしもより上質なものを求めないで生きていくというも、一つの選択です。

 

でも、ぼく自身は違った観点で考えています。同じものを安く買うにはどうすればいいか? という視点です。

 

例えば、全く同じモノを現金で買うのと、還元率3%のクレジットカードで買うのとでは、3%のポイントがもらえるだけでなく、実際の支払いまで1カ月くらい時間があるので、期限の利益も得ることができます。

 

値札のまま買うのではなく、そのとき実施されているキャンペーンを活用すれば、10%、20%くらい安く買うことも可能です。正規のお店で買うのではなく、オークションやフリマを活用すれば、同じモノが半値くらいで買えることもあります。これが、「安く買う」の意味です。

 

だから、キャンペーンなどをやっているからといって、モノを買うことはありません。欲しいものがあったときに、それを安く買う方法は考えますが、今安く買えるからといってモノを買うことは基本的にないのです。ふるさと納税くらい安ければ、必ず必要になる食料品などを買いますが、それ以外ではあまりセールを活用すことはありません。楽天マラソンに今ひとつ乗り気にならないのもそのせいですね。

金で買える幸せもある

さて、幸せにお金のあるなしは関係ない——。そんな考え方もありますね。これは一面で真実ではあります。一面で、というのは、お金があるからといって幸せになるとは限りませんが、お金がないのはたいていの場合、不幸につながるからです。

 

お金というのは、実際にはそれ自体に使い道があるわけではなく、何らかのモノやサービスに交換して初めて価値を持ちます。何のモノもサービスもいらない。何もなくても幸せだ。そういう生き方もあるでしょう。

 

ただ、モノやサービスをうまく使えば、人生は充実しますし、より自由に生きることができます。「貨幣は鋳造された自由である」とドストエフスキーがいうように、世の中には、「お金がないせいでできないこと」というのもたくさんあるのです。

 

なので、お金の価値を正しく認めるなら、価格に見合った質のものを買うというのは、非常に大事なことだと思うのです。

コストパフォーマンス

一時期、「コスパ」という言葉が流行りました。値段に比べて質がいい。これがだいたいのコストパフォーマンスの定義です。ただし、値段は誰にとっても明確ですが、パフォーマンスの方は、実は非常に定義が難しい。

 

パフォーマンス=質は、誰にとっても同じではなく、人によって、シチュエーションによって、タイミングによって変わってしまいます。単にそのときのニーズを満たすためだけなら、使い捨てる前提で格安のものを買うのもありです。ただし、長期間にわたって使い続けるなら、実は高級品を買ったほうがコスパがいいこともあり得ます。

 

ただ一つ思うのは、実際に良いモノを使ってみないと、その本当の価値は分からないということです。格安のモノと、一般的なモノと、高級品と、最上級品。これらは値段はもちろん違いますが、多くの場合質も違っています。

 

そしてこの質の違いは、最上級に近いモノを実際に使ってみないと、違いが分からないというところに難しさがあります。いったん上から下まで使ってみれば、「この状況ならば、これでも十分」だということが分かるようになります。そうした経験なしには、最上級品は「単に高いだけ」で「何が良いのか分からない」モノに見えたりするわけです。

浪費と吝嗇

節約に関連する言葉として「浪費」と「吝嗇」があります。浪費とは「必要ないのにカネを使う行為」を指します。必要なモノやサービスを受けるためではなく、お金を使うこと自体が目的になっている場合、それは浪費と呼ばれます。

 

見栄のために、つまり「こんなにお金を持っているんだぞ」「こんなにお金を使えるんだぞ」と周りにアピールするためにお金を使う行為が代表例ですね。

 

反対に「吝嗇」は、平たく言うとケチです。極めてネガティブな表現ですが、基本的には、必要なのにお金やモノを出さないことを指します。似た言葉に、金銭を貯め込むことに執着する人を「守銭奴」と呼んだりもします。

 

なるほど、必要がないのにお金を使うのが浪費で、必要なことにもお金を使わないのが吝嗇ということなのでしょう。ただし、ちょっと気をつけなくてはいけないのは、何が「必要」なのかは、かなり人によって違うということです。

 

人によっては、夕食後、まだ電車があるのにタクシーで帰るのは「必要が無い」ことで浪費だと考えるでしょうし、逆に30分かけて歩いて帰るのは「必要なこと」にもお金を出さないケチなのかもしれません。「どちらも状況によってあり得るよね」と幅広く捉えるひともいるでしょう。タクシーで帰ることで時間を節約できるので有意義だ、と考える人もいれば、歩いて帰ることが運動になるのでお金と関係なくいいと考える人もいます。

 

 

「節約」というとテクニックのように見られがちですが、それはお金の使い方自体を表していて、さらにいうなら、何が必要なことなのかについての根本的な考え方を指しているのです。

 

お金持ちならタクシーを使う……と考える人もいるかもしれませんが、お金持ちの中にも「無駄なカネは使わない」というポリシーの人は多くいます。お金のあるなしにかかわらず、何が必要と考えるかは、その人のお金に対する考え方が色濃く表れています。まさに人生哲学です。

 

こう考えてみると、投資などで稼ぐ方は、リスクの取り方を除けば比較的誰でも似通った価値観ですが、使う方は本当に人生哲学が現れます。お金は、稼ぐよりも使う方が難しいとはよく言ったものです。

 

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*1:サステイナビリティへの貢献として、できるだけ消費するエネルギーや資源を減らすという観点では、これはもちろんありです。ただ、節約とは別の観点ですね。