FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で自由主義者、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

規制のある業界とない業界


最近、金融関係の調べ物をしてつくづく思うことがあります。それはあまりに規制が多いこと。銀行にせよ証券にせよ、規制、規制、規制です。でも、ぼくが働いてきた業界は、実はほとんど規制のないところでした。それぞれで感じたことを書いてみます。

規制が強いと役所を向く

まず規制が強ければ強いほど、事業者はユーザーのほうではなく役所のほうを向くということです。役所が設けた規制を守らなければ、事業が継続できないというのはもちろんあるのですが、実はそこに役所が上位にたつ仕掛けがいろいろあります。

 

例えば、一口に「コンプライアンス」といっても法律はあまり明確ではありません。当然、その解釈には幅が出ます。これを「絶対に大丈夫な安全域でいこう」とするか「ちょっと心配だから役所と事前にネゴっておこう」か「形式的に守ってればいいでしょ」か「役所上等!文句あるならかかってこい」とやるかは、かなり企業のカルチャーによって変わります。

 

投信とかの購入時やIPO時の書類について、「読みました」ボタンを連打すればOKのところと、PDFを開いて最後までスクロールしなければ次に進めないところとあります。これはユーザーを保護するためのコンプライアンスを、無闇に厳格に適用した結果、かえってユーザーの利便性を損ねているいい例だと思ったりします。

 

さて、法の解釈に幅があると、役所は最終決定権を持ちます。グレーな領域でおそるおそる事業をしていると、いざ役所から「ダメ!」と言われるとアウトなわけですから、どうしても役所に頭が上がらなくなります。「上に目を付けられるとやっかいだ」こんな本音を話す人も実際にけっこういます。

 

規制が強いということは、参入障壁があるということです。つまり外部から新規参入がそうそう入ってこない。となると、既存プレーヤーは現在の競合との力関係だけを意識すればOKになります。いわば、暗黙の談合の元でしっかり利益が上げられてしまうわけです。

 

携帯業界がその典型ですね。電波が獲得できなければ事業ができない規制業界で、現在の3キャリアは横並びのプランを設けて巨額の利益を上げ続けています。菅政権のもとで横槍は入りましたが、あれも役人が強い力を見せつけただけともいえます。

 

現在は楽天モバイルが新規参入プレーヤーとして入ってきましたが、なかなか前途多難ですね。こういう半ば談合状態の業界は、新規参入がかき回さないとダメなので楽天には期待しているのですが、どうにも微妙だったりするのが残念なところです。

規制が弱いと顧客を向く

逆に、ぼくがこれまで事業をやってきた領域は、ほとんど規制がない業界でした。正直、ほとんど法律の話を聞いたことがありません。もちろん、会計とか人事労務とかのバックオフィスでは毎年法改正があってそれの対応をやっていましたが、事業自体には大した規制もありませんでした。

 

そのためとにかく顧客のほうだけを向いて、サービスや製品を磨くことになります。新規参入も容易なので、既存の競合のことを見すぎてもいけません。現在の競合に勝ったところで、すぐに新規のプレーヤーが襲ってくるのです。

 

こうしたところで20年くらいやってきたので、別の業界の話を聞くと本当に驚きます。自動車業界などは、お上と争って世界で戦える企業が育ってきた業界なので自主独立の機運が強いと思うのですが、それでも国際的な規制に振り回されています。いわゆる排出ガス規制とかですね。

 

昨今の自動車の進化のほとんどが、この排出ガス規制に対応するためだといっても過言ではないというくらい、規制に影響されるビジネスなわけです。

 

さらに補助金の問題もあります。規制の少ない業界では補助金もあまりありません。一方で、規制が多いと補助金もたくさん出てきます。いま僕がやっている太陽光発電なんかもその最たるものかもしれません。

 

これはビジネス自体がFITという固定買取制度で成り立っています。いわば補助金の塊ですね。規制があるから補助金があって、補助金があるから成り立っているという、まさに官製ビジネスです。

 

ただこのくらい裾野が広い分野になると、役人のさじ加減でどうというよりも、物事が動くときは法律が作られる感じで、まだこっちのほうがフェアじゃないかと思ったりはします。

規制は必要か否か

では規制は必用なのでしょうか。ぼくはリバタリアンなので、基本的にはほとんどの規制に反対です。国家が民間に口を出して良くなったことはなく、民間には口も手も出さないほうがうまくいくというのが、基本的な考え方です。

 

産業育成なんて国がやるべきことじゃなない。もし特定の産業を育成させたいなら、補助金を付けるとかではなく、その分野の規制を撤廃することから始めるべきです。

 

補助金がなくなれば、かなりの公的支出は減らせます。つまり財政は健全化し、税金を減らすことも可能になります。昨今の岸田政権は、何か政策を打ち上げるたびに、「それには補助金が必用だ」→「そのためには財源が必用だ」→「そのためには増税だ」となっていて、増税のために政策を作っているんじゃないか? と思うくらい。

 

一定の評価を受けた東京都の「少子化対策5000円」にしても、いったん取った税金をもう一度配るのではなく、扶養控除を5000円分増やして減税してくれれば、そのほうが簡単だと思うわけです。

 

2015年に消費税の軽減税率を導入した欧州では、その複雑さから徴税コストが問題になりました。100円の消費税を集めるのに数十円のコストが掛かるとも言われました。少子化対策5000円にしても、同様のことがいえます。なぜコストを掛けて税金を集めて、それをまたコストをかけて配るのか? ということです。

 

リバタリアンは原理主義に陥りがちですが、ぼくはすべての規制が不要とは思いません。それでも、いかに規制を減らすか、いかに税金を減らすか、いかに補助金を減らすかは、常に意識していないといけないと思うわけです。

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