昔からイノベーションに強く関心があって、イノベーションを成し遂げてきた人に話を聞いたり、どうしたらイノベーションを起こせる組織にできるかとか試行錯誤したりしてきました。
そんな中『やわらかな遺伝子』とか『赤の女王』『繁栄』とか優れたサイエンスノンフィクションを書いているマット・リドレーがイノベーションについて本を書いているのを見つけて読んでみました。正直、この人は生物学の人だと思っていたのでイノベーションを題材にするのは意外でしたが、いやはや、すっごくいい本でした。
- 世界を豊かにするのに不人気なイノベーション
- 1:イノベーションはアイデアのセックスである
- 2:最大のイノベーションはコスト低減
- 3:試行錯誤とイノベーション
- 4:イノベーションは帝国では生まれない
- 5:国家はイノベーションを主導しない
- 6:科学はイノベーションの基礎ではない
- 7:知的財産権がイノベーションを阻害する
- 8:業務独占資格
- 9:イノベーションは自由から生まれる
世界を豊かにするのに不人気なイノベーション
世界はどんどん豊かになっていますが、それを主導したのはイノベーションであることに議論の余地はないでしょう。必ずしもGDPと豊かさはイコールではありませんが、GDPを生産面から見た場合、同じ労働力投入でより多くの生産が可能になったのはイノベーションのおかげです。
イノベーションのおかげで、ほんの一瞬の労働で、電灯を1時間つけることができるようになった。
ところが、実はイノベーションは不人気です。「イノベーション」という言葉を嫌う人はいません。そしてイノベーションは数え切れないほど様々なところで人々の生活を良いほうに変えてきました。なのに、新しいものに対する人々の反応は「不安」だったり「嫌悪」だったりします。
現状で既得権のある人たち、つまり投資家、経営者、そして従業員のために、イノベーターは邪魔される。
言われているほど、イノベーションは奨励もされていなければ保護もされていないのです。本書ではイノベーションの実例を複数ジャンルで解説しながら、その根底に何があるのかを読者といっしょに紐解いていきます。解説されているイノベーションの実例を目次から取り上げると次のようになります。
- エネルギー
- 公衆衛生
- 輸送
- 食料
- ローテク(ゼロ、S字パイプ、ブリキ波板、コンテナetc)」
- 通信とコンピュータ
1:イノベーションはアイデアのセックスである
ではどうしたらイノベーションは起きるのか? ここから9個のイノベーションを起こすためのヒントを、本書から抜き出してみましょう。
その1つ目、筆者はイノベーションとは「アイデアのセックス」だとしています。人々が出会ってアイデアを交配する中で、イノベーションが起こる。まさに「イノベーションは都市で起こる」のです。
アイデアが生殖するとき、イノベーションが起こる。人々が出会って、物やサービスや考えを交換する場所で起こる。
これで、イノベーションが孤立している場所や過疎の場所ではなく、交易と交換が盛んな場所で起こる理由の説明がつく。つまり北朝鮮ではなくカリフォルニアであり、フエゴ諸島ではなくルネサンス期のイタリアだ。さらに中国が明王朝のもとで貿易に背を向けたとき、イノベーションの優位性を失った理由の説明もつく。1600年代のアムステルダムや3000年前のフェニキアで、交易の増大とイノベーションの爆発が同時に起こっている説明もつく。
これは別の研究でもよく言われることです。人々が狭いところに集積するほどイノベーションが起きる。下記の記事も書いた通りです。
2:最大のイノベーションはコスト低減
イノベーションというと、誰かがすごい発明をしてそれが世界に広まった……みたいなイメージを持ちがちですが、実際に世界を変えたイノベーションを見ていくと、もっと地味で漸進的なものです。
窒素肥料は世界で最も重要な発明といわれ、人口がこれだけ増加しても食料不足にならないのはこれのおかげです。当時の伝記によると、空気中の窒素を固定して肥料にする手法は「空気からパンを作る」ともいわれました。
ただしこのハーバーによる発明がイノベーションとして実を結んだのは、カール・ボッシュによる低コスト化のおかげなのです。大発明でイノベーションが成り立つのではなく、そのコストを下げる地道な取り組みが重要なわけです。
フリッツ・ハーバーによる圧力と触媒を使って空気中から窒素を固定する方法の発見は、すばらしい発明だった。しかし、最終的に社会が支払える価格でアンモニアを大量生産できるようにしたのは、カール・ボッシュが長年にわたって、問題を一つひとつ克服し、ほかの業界から新しいアイデアを借用しながら、懸命に行った実験である。
3:試行錯誤とイノベーション
イノベーションは数多くの失敗の中から生まれます。そのため「失敗を許容するカルチャーがあるか」はイノベーションを生み出す上で重要です。
たいていの発明家は、物事を「とにかく試すこと」を続ける必要があると知る。だから誤りへの寛容が極めて重要だ。例えば鉄道やインターネットなどの新しいテクノロジーができたばかりの数年は、財をなすより破産した起業家のほうがはるかに多いことは注目に値する。
アメリカは失敗に厳しくないことで知られます。一部の州には「家産差し押さえ免除」によって起業家が事業に失敗しても原則して家を保有し続けられるという仕組みもあります。家産差し押さえ免除のある州のほうがない州よりも、イノベーションが多く見られるという証拠もあるそうです。
一方で、日本のような伽藍構造の社会では、失敗が致命的なことになりがちです。そうなると、確度の高いことにしか取り組めず、つまりイノベーションは起こりにくくなります。
4:イノベーションは帝国では生まれない
イノベーションは都市で生まれますが、逆に帝国では生まれません。
「帝国」はイノベーションが苦手であることだ。裕福で教養のあるエリートがいても、帝国は発明を緩やかに減少させ、それが最終的に帝国破滅の原因になる。エジプト、ペルシア、ローマ、ビザンティン、元、アステカ、インカ、ハプスブルグ、明、オスマン、ロシア、そしてイギリスといった帝国はすべて、このことを裏付けている。
ことイノベーションについていえば、分割統治のほうが統一統治よりもいいようです。ルネサンス期がまさにそうですし、中国でもイノベーション爆発は戦国時代に起きました。
そしてもともとの米国もそうでした。実は州が強かったんですよねん。ただ最近は連邦政府が強くなって帝国化が進んだことで、イノベーションにはネガティブになってきているようです。
米国は一枚岩の帝国ではなく、起業家は自分たちのプロジェクトに適した州に自由に移動していた。最近は連邦政府が強くなり、それと時を同じくして、多くのアメリカ人が、なぜこの国は昔ほどイノベーションの動きが速やかでないのかと疑問に思っている。
5:国家はイノベーションを主導しない
意外に思う人もいるかもしれませんが、イノベーションにおいて国家は主人公ではありません。
「大富裕化」の背後にあるテクノロジーやアイデアが、政府に負うところはほとんど、またはまったくない。19世紀、イギリスをはじめヨーロッパ諸国が新しい鉄道、鋼鉄、電気、織物、その他多くのテクノロジーを開発したとき、政府は遅ればせながらの規制や基準をつくる機関、または顧客としてのほかは、ほとんど役割を果たさなかった。
インターネットはどうなんだ? と思う人もいそうです。
政府が国防高等研究計画所(DARPA)のコンピュータのネットワーク化に資金を提供したとき、意図的に世界規模のインターネットを作る出すことを目指したとは、誰も主張していない。それどころか、インターネットがようやく軌道に乗ったのは、国防総省の手を逃れて、大学と企業に活用されるようになってからのことだ。
政府がイノベーションに関与しないということはありません。ただし、政府がイノベーションを目指して取り組んだものなだいたい失敗しているというのが現実だということです。
ちなみにアポロ計画のような有人宇宙探査はまさに国家が主導したプロジェクトですが、著者はこれらは「イノベーションとはまだ言えない」としています。というのも、人類個人にとって役に立たなければならず、そして何かの仕事を遂行するのに時間やエネルギー、またはコストを節約できるものがイノベーションだからです。
政府主導の宇宙計画は科学上の素晴らしい取り組みであり、また探査とエンタメとしては有益ですが、人類を豊かにするイノベーションとはまだ言えないでしょう。
6:科学はイノベーションの基礎ではない
もう一つ意外なのは、科学はイノベーションの基礎ではないと筆者が位置づけていることです。
最近、科学が発明の母であり、これは科学に資金供給するための主要な理由であるという見解を採用する傾向が、政治家の間で強まりつつあることには、疑いの余地がない。私がこれを残念に思うのは、歴史を読み間違えているからだけでなく、科学の価値を下げているからでもある。
(略)科学は文句なしに人間が生み出した最大の成果であり、どんな文明社会においても、豊かで熱心な支援に値するが、それ自体価値ある目標としてであって、イノベーションを促す方法としてではない。科学は種子ではなく果実として捉えるべきである。
これは大発明=イノベーションではなく、さまざまな発明が多くの人による改良や低コスト化によって、人々の役に立つものに変わっていくプロセス自体がイノベーションであるという主張とも整合しています。
7:知的財産権がイノベーションを阻害する
著作権法の保護を訴える人のほとんどは、著作権法があるからこそ発明やイノベーションが生まれたと主張しています。ところが実例を見ると、著作権法によってイノベーションが促進された証拠はありません。
(著作権の権利期間延長で)本の執筆や映画製作、音楽づくりが爆発的に増えたという兆候はほとんどない。たいていの人は、お金だけでなく影響力や名声を求めて、芸術作品をつくり出す。シェイクスピアは著作権を保護されず、彼の戯曲は海賊版が数多く出回ったが、それでも彼は書いた。
特許で守られていない分野には、イノベーションが少ないという証拠はない。
(略)複数事業部制の会社、研究開発部門、百貨店、チェーン店、フランチャイズ、統計的工程管理、ジャストインタイム方式の在庫管理、等々。同様に、自動変速装置パワーステアリング、ボールペン、セロファン、ジャイロコンパス、ジェットエンジン、磁気記録、安全カミソリ、ファスナーなどのテクノロジーはどれも、有効な方法では特許を認められていない。
全体としてみれば、特許と著作権はイノベーションに必要であることも、役立つことも、はっきり示されていない。(略)特許と著作権が実際にイノベーションを阻害している証拠はたくさんある。リンゼイとテレスが言うように、知的財産保持者は「イノベーションと成長の足手まといであり、知的財産法が宣言している目的とは正反対である。
これはアカデミックは科学技術が基本的にオープンアクセスであり、ソフトウェア開発においてもオープンソースのほうがイノベーティブだということと整合しているでしょう。
著作権法は現状、ディズニーのような企業の利権を守るための法律であり、イノベーションの阻害要因の側面のほうが強い。このことについては、下記の本もたいへん詳細に振れています。
8:業務独占資格
イノベーションの阻害要因はほかにもあって、例えば独占業務のライセンスです。身近なところでは、タクシー業界がUberのようなライドシェアを排除していることが挙げられるでしょうか。
有資格者に職を限定する業務独占資格が増えると、起業家による現状破壊が遅れがちである。私たちは事実上、中世にしばしば商業を独占し抑制したギルドを、再構築しているのだ。
こちらについてはリバタリアン的な経済学者も常に批判しています。下記の記事でもまとめました。
9:イノベーションは自由から生まれる
最後に、筆者がイノベーションを生み出すための秘伝のソースとして挙げるのが「自由」です。どうしたらイノベーションを促進できるのか? それは経済産業省による計画と補助金ではなく規制緩和です。そして失敗した人へ再度チャレンジすることを推奨する社会環境です。
イノベーションを生み出す秘伝のソースの主な材料は「自由」だ。交換し、実験し、想像し、投資し、失敗する自由であり、統治者や聖職者や泥棒による奪取と制約からの自由であり、消費者の立場からすえると、自分が好きなイノベーションに報い、そうでないものを拒む自由だ。
自由主義者は、以前から自由こそが繁栄につながるといってきました。でもなぜ自由が増加すると人類が繁栄するのかは明確ではありませんでした。でも、自由→イノベーション→繁栄 とつながる流れがここにはあります。イノベーションはそのミッシング・リンクなわけです。