新型コロナがもたらした社会的変化の1つは、「あれ、出社しなくても仕事できるじゃん」という発見です。リモートワークに強制的に慣れたということですね。このことから、コロナ以後になっても、安くて環境のいい郊外に住むようにライフスタイルが変わる、なんて言われていたりします。
でも、本当にそうでしょうか?
都市についてのエビデンス
広い地球の中で、ほとんどの人が都市部に住んでいるということは、イメージされているよりも極端です。しかも、都市部の人口増加ペースは、世界的に加速しています。
- 日本人の過半数は、東京・名古屋・関西の3大都市圏に住んでいる
- 米国2億4300万人は、国土の3%を占める都市に住んでいる(全人口は3.28億人)
- 途上国では、都市人口が毎月500万人ずつ増えている
総務省の調査によると、昭和22年には15%に過ぎなかった都市人口は、約70年後の平成27年には50%超まで増加しています。
高い生産性をもたらす都市
なぜ人は都市に住むのでしょうか。『都市は人類最高の発明である』によると、人は都市に集まって住んだほうが、生産性が格段に向上するというのです。
人口100万人以上の大都市に住む米国人は、小さな都市圏に住む米国人より5割生産性が高い(労働者の教育、経験、産業、IQを考慮しても、都市に住む人のほうが生産性が高い)
教育、経験、産業、IQを考慮しても――とあるとおり、教育レベルの高い人が都市に出てくるから、とか、高付加価値の産業(IT産業とか)が都市には多いからとか、IQの高い人が都市に流入するから、とか、考えられる要素を加味しても、それでも都市で働くほうが生産性が高まります。
その理由は、他の人の近くで働くことで、交流によるイノベーションの活性化、情報交換による効率性の向上が大きいようです。この本では、スーパーマーケットのスター級レジ係の例を挙げています。それによると、同じシフトでスター級レジ係が働いていると、それだけで平均的なレジ係の生産性も大幅に高まったというのです。
このことは、より知識産業であるほど効果を発揮します。
金持ちは飾り立てた壁のでかいオフィスに閉じこもるものだが、トレーディングフロアでは、世界で最高の金持ちの一部は顔を突き合わせて仕事をしている。金持ちトレーダーは、他人との近接性からくる知識のためにプライバシーを捨てているのだ。
インターネットは距離の効果を消すのか
でも昨今はzoomなどのテレビ会議のように、ネットを使ったコミュニケーションが(強制的に)全盛です。こうしたテクノロジーによって、近接性による生産性の向上効果は、距離が離れていても発揮するようになったのでしょうか。
いや、別にインターネットが生まれたのは去年や一昨年ではありません。さらにいうなら、もっともっと以前から、テクノロジーは距離を越えたコラボレーションを可能にしてきました。電話が発明されたとき、これで顔を突き合わせなくても仕事ができると思った人は多かったはずです。それは一面では真実ですが、実際には、さらに人々は近くに集まって仕事をするようになりました。
電子的な交流と対面交流は相補的だということも分かる。経済学の用語でいうと、それは代替物ではなく相補物なのだ。電話の通話は、圧倒的に地理的に近い人々の間で交わされている。おそらくは、対面の人間関係は電話でしゃべる需要をかえって増やすからだろう。そして国がもっと都市的になると、電子コミュニケーションもかえって増える。
遠距離コミュニケーションを可能にするテクノロジーが発達するほど、そうした技術を開発する人々は密集して仕事をするわけです。
イノベーションがシリコンバレーのような場所に集積するのは、アイデアは大陸や大洋を越えるよりは、廊下や街路を超えるほうが容易だからだ。
結局のところ、電話やネットを介して離れたところでできる仕事というのは、単純作業かルーティンであって、そこにイノベーションを求めるのなら、顔を突き合わせることが必要だということです。
インターネットと長距離電話のおかげで、基本的な作業なら家でもできる。でも一人で働くと、人的資本の最も価値ある形態を蓄積するのは困難になる。
ずっと評論家は、新しいコミュニケーション手段で都市生活は消えると予想してきたが、実際は逆だった。本書は、そう結論しています。
労働市場のポートフォリオ
イノベーションの実現のためには、リスクを取ったトライが可能な環境と、高度に専門分化した人材が活躍できることが必要です。この2つも、都市だからこそ可能になります。
田舎では、雇用の種類は少なく、高度な産業があったとしても、単一雇用主に依存している場合があります。つまり、そこの調子が悪くなったり、クビになったりしたら、やっていけないわけです。一方で、大規模な都市は違います。
世界で最も重要な市場は労働市場であり、これはある人間がその人的資本を金融資本を持つ人々に貸す市場だ。だが、都市は、労働者と資本家の取引を可能にするだけではない。それは広範な種類の仕事を、しばしば何千も提供する。大都市は雇用主の多様化したポートフォリオなのだ。
こうした多様なポートフォリオは、高度に専門分化された仕事を可能にします。田舎の医師は、一人で内科から外科までの役をこなさなければなりません。特定領域に特化した専門家は、人口が多い都市でないと存在できないのです。
例えば、日本の感染症専門医はわずか960名だとされています。これは人口13万人あたり1名です。そしてこの960名が満遍なく全国に散らばっていることはあり得ません。近接性による知識交換を求めて、当然多くの感染症専門医は近くに住んでいるはずです。
フェルミ推定で有名なピアノ調教師も、日本ピアノ調律師協会の登録者はわずか3000名だそうです。これは人口4万人あたり1人ということになります。いかに多様な専門人材のポートフォリオを備えられるか。それを考えると、都市の威力がわかります。
エコロジカルフットプリント
都市の利点は生産性の向上にとどまりません。人類が向き合わざるを得ない環境問題についても、都市のメリットは小さくありません。人間活動が環境に与える負荷を、1人あたりで表したエコロジカルフットプリントは、明らかに都市のほうが小さくなります。
移動のための運転が不要なので、ガソリン使用量も減ります。電気、ガス、水道、通信といった社会インフラの構築費用も、密集した都市のほうが圧倒的に小さくなります。過疎化に悩む地方が、コンパクトシティを構想するのも、こうした理由です。
自然豊かな郊外でのんびりとくらすほうが、一見環境に優しいように感じてしまいますが、実際は逆だということです。
都市の強化は簡単には止まらない
そんなわけで、新型コロナの影響はたいへん大きく、ITも進歩し、さらにテレワークを多くの人が経験したわけですが、それでも都市のメリットを打ち消すほどではないでしょう。
人類はこれまでもさまざまな感染症と戦い、それに打ち勝ってきました。今回の新型コロナでも、生活スタイルの一部はたしかに変わるかもしれません。それでも、集団で集まることで情報交換を行いイノベーションを起こすという、人間が生来持っている特徴は変わらないでしょう。
投資観点でいえば、このくらいのことで都市部の不動産の魅力は落ちないのではないか。そんなふうに考えています。