FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

肩書きや役職名を気にする人たち

f:id:kuzyo:20181110190725j:plain

先日、昔からの知人と話していて、肩書きとか役職を大事にする人が多い理由がちょっと分かりました。「どうせFacebookとかのSNSでつながるなら、ヒラより部長さんの方がいいですよね?」。彼は当たり前のように言いました。

 

なるほど。

 

SNSに何を求めるかは人によって全然違って、ビジネスSNSとして考えるなら、それは肩書きの高い友達の方が価値が高いでしょう。大きなビジネスチャンスにつながる可能性が高いでしょうから。そして、相手も同じように考えるなら、自分の肩書きも高い方がつながりやすいわけです。

 

何当たり前の事を、と思う人もいるかもしれません。

 

肩書きは希少なものであるが故に、それを持っていることが能力の証明になります。転職のときも、結婚相手探しのときも、ローン審査の時も、肩書きが役割を果たします。確かに肩書きがあると、いろんなところで役には立ちます。相手が肩書きを中心に評価する場合に限っては。

 

転職の際の面接で、相手の肩書きを評価して採用するような採用担当者はレベルが高いとはいえません。相手の肩書きで結婚を考えるような相手は、人間としてどうでしょう。ローンは確かに肩書きが足しになりますが、一律のパッケージの場合のローンですね。

 

本当に相手のことを評価する目がある人は、肩書きなんて実は気にしていません。肩書きが高くても実力がない人がたくさんいることを知っているし、肩書きがなくても優秀な人がいることも知っています。敢えて言えば、肩書きがあるほうが足切りに合わず会うところまでいける可能性が高いというくらいでしょうか。

 

ぼく自身が、相手の肩書きをあまり気にしない人です*1。肩書きの高い人は現場仕事から離れていることが多く、実務能力は必ずしも高くありません。肩書きが高いからといって判断力に優れているわけでもなくて、それは会ってみればけっこう分かります。なので、肩書きが高い人と会う理由は、この人を口説けば大きなビジネスになるかもしれないということしかありません。ビジネスライクな値踏みですね。

 

逆に、自分の肩書きが高いと、同じように見られます。寄ってくる人もいるでしょう。持ち上げて来る人もいます。でもそれは、ぼく自身を評価しているわけではなくて、ビジネス的な視点なんですね。カモが来た!みたいな。

 

そして役でも肩書きをなくしてみたときに、相手がどんな反応をするかで、相手が自分に何を期待していたのかも分かります。ここで態度が変わるような人は、ビジネス的なカモとして見ていたわけです。その場合は、こちらも相手がビジネス的にカモなら付き合いますし、そうでなければ関わることはなくしていくでしょう。

 

いやぁ。肩書きとか役職とかは面白いですね。肩書きが関係ない世界で生きていけるようになりたいと思います。

 

 

 

 

 

*1:あんまり気にはしないのですが、やっぱり昔の知人が出世して偉くなったりすると嬉しいですし、自慢したくもなってしまうのはホントです。