世界で最も著名な投資家といえば、誰でしょうか? 未公開企業投資で大成功している孫正義でしょうか、バリュー投資で永らく成績を残してきたバフェットでしょうか、はたまた世界最大のヘッジファンドを率いるレイ・ダリオでしょうか?
実は、1990年から現在にかけて、驚異的なパフォーマンスを残しているヘッジファンドがあります。数学者ジム・シモンズが率いるヘッジファンド「ルネサンス・テクノロジー」の基幹ファンド「メダリオン」です。そのパフォーマンスは、下記の表を見ると分かりますが、驚異的としかいいようがありません。
手数料差し引き前の年平均収益率は、驚異の66.1%。そこから資産の5%の手数料と、利益の44%の成功報酬を差し引いても、平均収益率は39.1%にのぼります。これは、ジョージ・ソロスやピーター・リンチといった引退してしまった大物投資家の成績と比べてもトップです。敢えて言うなら、過去の投資実績が44%だと自称する孫正義氏ですが、これは手数料差し引き前の値です。
このルネサンス・テクノロジーのメダリオンがいかにすさまじいパフォーマンスを出してきたかが分かります。いったいどんな手法を使い、誰がどうやって運営しているのか。この秘密に包まれたヘッジファンドを徹底取材して、これらの片鱗を描き出したのが、本書『最も賢い億万長者』です。
謎に満ちたルネサンス・テクノロジー
なぜこれだけのパフォーマンスが出ているのにもかかわらず、ルネサンス・テクノロジーがあまり知られていないかといえば、彼が極端な秘密主義を取っているからです。自分たちの投資手法が外部に漏れることで、リターンの源泉が細ることを嫌い、ファンドの出資者にもその手法の詳細は明かされていませんでした。
さらに、当初20%だった成功報酬率を2001年に36%に引き上げ、さらに44%に引き上げ、2003年には外部の投資家を基幹ファンド「メダリオン」から追い出し始めました。規模が大きくなると成績が下がることを恐れており、運用資産額は100億ドルに抑え、自社の社員だけが投資できるヘッジファンドとしたのです。
そのため、驚異的なリターンを上げながらも、外部にそのパフォーマンスをアピールする必要がなく、極端な秘密主義を続けているわけです。本書は、その秘密のヘッジファンドの内側に切り込んだという点で、非常に貴重な一冊です。
定量ファンドの草分け
メダリオンが稼働を始めたのは1988年と、もう33年も前になります。メダリオンが当時から集めていたのは博士号を持つ数学者たち。今でこそ、クオンツと呼ばれる計量分析を行う科学者が金融機関に所属するのは当たり前ですが、当時は金融マンといえば営業マンであり、企業を分析する人たちであり、経済を読む人たちでした。
ジム・シモンズ自身が数学者であり、幾何学の分野で「リーマン多様体における極小代数多様体」という論文で知られており、世界でも傑出した幾何学者の一人です。国防分析研究所「IDA」で暗号解読にも従事していました。そんな彼が同様の数学者を雇い、40歳を過ぎてから立ち上げたのが、このルネサンス・テクノロジーでした。
優れたヘッジファンドのマネージャーは、徹底的に企業を分析したり(バフェット)、経済の行く末について独自の嗅覚を持っていたり(ソロス)などの特徴がありますが、シモンズのアプローチは全く違います。
それは、過去のデータを徹底的に集めて分析し、隠れたトレンドを見つけ出して投資するという手法でした。投資先企業の利益や売上はもちろん、財務諸表を見ることもなく、経済の行く末を予想することもありません。大量のデータをもとに、将来を予測しようというこうした手法は、要するにテクニカル分析の一種です。
投資先の企業名さえも知らなかったり、なぜその株価が上がるのかも理解する必要はなく、データとアルゴリズムが示すシグナルを信じてひたすら売買するというのが、基本的なスタンスです。
第一ステップは、過去の価格データの中に異常なパターンを見つけること。第二ステップは、そのアノマリーが統計的に有意で、時間経過にかかわらず一貫していて、ランダムでないのを確かめること。第三ステップは、特定されたその価格の挙動を合理的な方法で説明できるかどうかを見極めることである。
効率的市場仮説では、発表されたすべての情報は瞬時に市場参加者に周知され、参加者はすべて合理的に振る舞うので、現在付いている価格は合理的な価格であり、そこに歪みはないとされています。ただし、これが100%当てはまっていると考える人は誰もおらず、実際は情報は順次投資家に周知されていきますし、投資家は全く合理的ではなく、結果、現在の価格も合理的ではありません。
では、合理性と外れた価格変動がどんなときに起こるのか。例えば、「金曜日と同じ値動きが翌週月曜日も続き、火曜日になると以前のトレンドに回帰することが多かった」といいます*1。こうした、特定のタイミングで特定の銘柄が予測可能な動きをすることをアノマリーと呼びます。
シモンズたちは、こうしたアノマリーの統計的な検証はしましたが、なぜそうなるのかという理由については気にしませんでした。統計的に有意であれば、それで儲けることができ、理由はどうでもいい。そういうスタンスです。
ただし、理屈が付かない、つまり合理的ではないシグナルは採用しませんでした。
「取引規模÷三日前の価格変動、それは採用だ。だが、Aから始まる略号の銘柄が儲かるといったような、無意味なものは採用しない」
こうしたアノマリーは、それが外部に知られた途端効力を失います。アノマリーを使って収益を上げる行為は、アノマリーを消費する行為でもあり、多くの人がそれに従って取引すれば、聖杯は失われるのです。このことも、ルネサンスが極端な秘密主義を取っている理由でしょう。
結局のところ市場には勝てない
ルネサンスの投資手法が33年にもわたり、39%という驚異的なリターンを上げ続けていることは、テクニカル分析にもチャンスがあることを意味しているように思うかもしれません。
しかし、いわゆるチャートを見るテクニカル分析とは違い、ルネサンスが投資のシグナルとしているものは、単体銘柄の株価指標だけではなく、そのほかの経済指標も含んだ大量のデータ間の相関関係です。さらに、当初はある程度長期の投資を行っていたルネサンスも、コンピュータの性能が上がるにつれて、よりアノマリーが出やすい短期の取引にフォーカスしてきています。
しかも、このシグナルが当たる確率というのは「50%をわずかに上回る程度」だというのです。
ルネサンスは、独自のデータ、強力なコンピュータ、特別な才能を持った人材、トレーディングやリスク管理の専門的能力を備えていながらも、取引のうち収益を上げているのは五〇パーセントをわずかに上回る分のみで、市場より高い利回りを目指すことがいかに困難か、そしてほとんどの投資家にとっていかにバカげているかがよく分かる。
思えば、ソロスやピーター・リンチの時代に比べるとコンピュータの進歩は著しく、いまやファンダメンタルズ系の投資も成果を上げられなくなってきました。
企業経営者を質問攻めにしたり、バランスシートを精査したり、本能と直観に頼って世界経済の大きな変化に賭けたりといった、かつては頼りになっていた投資戦術も、徐々にほとんど成果を上げなくなっているようだった。
メダリオン運営幹部のバーレカンプはこういいます。
「収益報告などの経済ニュースが必ず市場を動かすことは否定しない。問題は、あまりにも多くの投資家がその手のニュースに注目しすぎていて、彼らの運用成績がほぼすべて平均のすぐそばに集まっていることだ」(メダリオン運営幹部のバーレカンプ)
結局、ルネサンスのような一部のヘッジファンドがあまりに高度な投資手法を使っていることから、企業分析をしっかり行うといった伝統的な手法の優位性はほぼ消え失せています。では、メダリオンのようなわずかな歪みを見つける以外の手法はもう残されていないのでしょうか?
そうでもありません。例えば、下記のような例が記されています。
今日、優位に立っているのは、素早い行動を取る投資会社である。2018年8月下旬、癌治療薬を開発する小企業ゲロン・コーポレーションの株価が、パートナーであるジョンソン・エンド・ジョンソンの求人情報がネットに上がった直後に二五パーセント急騰した。その求人から察するに、この二つの企業が開発している薬剤に関して規制当局がまもなく重要な決定を下すようだと受け止められたのだ。そのニュースを逃さなかったのは、求人情報などのリアルタイムの情報を自動的に瞬時に探し出すテクノロジーを持った投資会社だけだった。
なるほど。いまや、経済ニュースやメディアニュースでは全然遅くて、特定の企業の求人情報が掲載された瞬間に、それをトリガーとして株価が急騰するような時代になってきているのです。
このような時代においては、ファンダメンタルズ分析や経済の分析も、チャートの形を見て投資を判断するテクニカル分析と大差ないものになってきているのかもしれません。
チャレンジャーとしてのジム・シモンズ
本書は、謎に満ちたルネサンス・テクノロジーの内幕を描いた本であるとともに、創設者であるジム・シモンズの伝記とも言える内容になっています。下記のジム・シモンズの経歴を見ると、そうそうたるもので、40歳に金融の世界に転身したときは、なぜ一流数学者として名声を博しているのに、その座を投げ打って全く違う世界へいくのか? と周囲に怪訝がられました。
- 26歳 IDAの暗号解読者
- 30歳 NY州立大学ストニーブルック校の数学科を率いる
- 36歳 幾何学分野の革新的論文を発表
- 40歳 ヘッジファンド立ち上げ
- 50歳 メダリオン・ファンド立ち上げ
- 88歳 現在
しかし別の見方をすれば、40歳にして大きなジョブチェンジを果たしたともいえます。これはFIREを志す人にとっても、1つのモデルケースかもしれません。これまでのキャリアをいったんリセットし、新たなことを学び直して第二の人生を歩んでいるからです。
もちろんそれは簡単な決断ではなく、本書はジム・シモンズの悩みと葛藤のストーリーでもあります。
「人生、やるべきだと思ったことじゃなくて、やりたいことをやれ。この教訓をいっときも忘れたことはない」
人生は往々にして、誰かに何かを期待され、それに応えるという「やるべきこと」が中心の生き方になりがちです。そんな中で、「やりたいことをやれ」というジム・シモンズの言葉には、勇気をもらえるではありませんか。
www.kuzyofire.com
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*1:これは1900年前後に見られてたアノマリーで、現在は解消されてしまっている可能性が大です