ぼくがセミリタイアを強く意識し始めたころ、セミリタイアの情報を各所で探しました。まだFIREという言葉も一般的ではなく「早期リタイア」とか「リタイア」「セミリタイア」という表現が使われていた2018年くらいです。
その中で、考察の深さと内容の面白さに惹かれたのが、下記きりんさんが書いていた「きりんの自由研究」です。久しぶりに読み返そうと思って調べたら、サイトはすでに消失。こうした素晴らしいコンテンツが読めなくなってしまうのが、紙の本に比べてインターネットのもったいないところ。
ただ、Webアーカイブでも読めるようだし、僕はオンラインフィードリーダーのfeedlyを開いたら、全文RSSで出力されていたコンテンツを読むことができました。今回は、その「きりんの自由研究」の(おそらく)最後のエントリー「ピボットリタイアという考え方」および「早期リタイア後のロールモデルについての結論」から、FIRE後のロールモデルについて。
FIREしたらどんな毎日を”送ってほしい”のか
FIREは多くの人に気になるワードだけあって、(ぼくも含めて)「FIRE済み」だという人がFIRE後の生活を語ると、「そんなのは本当のFIREではない!」と主張する人がSNSなどに登場します。
別に本人がFIREだと思っていれば、それでいいんじゃないかとも思うのですが、誤ったFIREの概念を広めないでほしいとか、マーケティング用語としてのFIREに金の匂いがするという話もあり、意外とここはみんな関心がある領域だったりします。
月刊ビッグトゥモロウという雑誌が「セミリタイアの実際に迫る!」といった特集を表紙で大きく見出しにしてあったので、ページをめくってみた。すると不動産を沢山管理している人、アフィリエイトで生計を立てている2人のセミリタイア者の生活について書かれていた。彼らは不労所得と謳いつつ日々忙しく収益物件の管理に勤しんでおられた。いやそれセミリタイアじゃなくて個人事業主だろ。
「早期リタイア後のロールモデルについての結論」
じゃあFIREって何よ? という話ですが、これをもっと広い「リタイア」に広げると、その類型、ロールモデルがあまりに広いことに驚きます。
FIRE後のロールモデル
「きりんの自由研究」の「早期リタイア後のロールモデルについての結論」では、下記のような類型が示されています。確かにだいたいこれに当てはまるかな? という感じ
- 没頭できる遊びを追求し続ける人
- 静かな生活を追求する人
- ノブレス・オブリージュ型の人
- 信仰を追求する人
- 快楽の追求をする人
- 興味の無限探求をする人
- 放浪を続ける人
分かりにくいものを解説すると、「ノブレス・オブリージュ型の人」というのは社会貢献型です。ビル・ゲイツとかが典型でしょうか。
これらの人々は、政治家・宗教家・社会活動家など、なにかしらの社会的イデオロギーに携わる事になる。多くの場合、その信念によりフルタイムで携わる事になる。
「早期リタイア後のロールモデルについての結論」
というわけで、全然暇ではなく、働いていたころよりも忙しい感じですね。そういえば、ぼくの元上司も早期退職後、NPOで外国人支援をやっています。まさにノブレス・オブリージュ型といえる感じです。
「興味の無限探求をする人」は「没頭できる遊びを追求し続ける人」と何が違うのでしょうか。後者はいわゆるライフワークを見つけてそれに没頭する人。対して前者はつまみ食いです。
自分の知的好奇心にまかせて世の中の様々な事をつまみ食いしていく人々だ。判断基準は好奇心である。
「早期リタイア後のロールモデルについての結論」
実はぼくは一番ここに当てはまる気がしています。趣味にしても投資にしても、一つのことを極めるというよりも、興味の赴くがままにいろんなことに手を出すタイプ。現代は専門家の時代なので、ルネサンス期のような博学の天才というのは生まれにくい時代だと思うのですが、複数ジャンルを横断していることの良さもあるんじゃないかと思ったりして。
ちなみに「没頭できる遊びを追求し続ける人」は、ライフワークを仕事の中に見出す人も多く、その場合は早期リタイアとかFIREとかするのではなく、ひたすら仕事が楽しいってことになります。
早期リタイアする人と単なるリタイアする人の違い
実はロールモデルの別バージョンとして、「早期でないリタイア」というのがあります。いわゆる仕事を勤め上げて定年退職した人です。金銭的に余裕があれば、定年延長とか再就職とかもせず、そのままリタイアした人です。
とはいえ、こういう人は早期リタイアとかFIREとかとは決定的に違う点があります。それは、彼らが朝から晩までテレビを見て老後を過ごすのをなんとも思っていないこと。
彼・彼女らの中に人生の新たなプロジェクトを必要としない人が結構な割合いる。多数派かもしれない。私の世代にはちょっと信じられないが、60代以降はテレビを見ているだけで満足した人生を消化するという特殊能力が備わっている人が実際に多数おり、20年以上を多少のアクティビティとテレビで乗り切るつもりの人が結構いる。
「ピボットリタイアという考え方」
いるいる。確かにいる。定年退職したらテレビだけてみて毎日を過ごす人。確かに悠々自適ではあるし、静かな生活ではあるけれど、これは早期退職者やFIREとは全く違う人生だとも思います。なんだかんだいって、早期退職したい人はなにかやりたいことがあるはず。それが「静かな生活」だとしても。
資本主義的な価値観から脱却できるか
きりん氏は、セミリタイア・FIREの定義が人によってバラバラで、確固たるロールモデルが存在しないことについて、次のように説明しています。まず現代は資本主義的な正解、ロールモデルが存在します。こうやると出世して権力も得られてお金も名誉も得られますよ~というベストプラクティスです。これは誰でも実行可能ではないかもしれませんが、確かにそれは正しいよね、くらいの共通認識はあるものです。
きりん氏はこれを「資本主義的な価値観」と呼びます。
一方、セミリタイア・FIREは、この資本主義的な価値観からの脱却です。
だってこれらは食い扶持を確保するためのスマートな選択であって、それ以外のための方法論では無いからだ。
現代社会の1種のゴールに到達したあと、それまでの方法論が一切通じなくなる。現代社会のルールにフィットしようとした人ほど、ゴールに近い人ほど、これに当惑する事になる。得意なゲームはもう終わってしまったのだから。もちろんゲームを続けて蓄えたパンの数を100個から10万個にすることもできるのかもしれないが、私は御免被りたい。
「早期リタイア後のロールモデルについての結論」
だからこそ、セミリタイア・FIRE後は自分なりの生き方を模索しなくてはならないし、そのためにも先に挙げたようないくつかのロールモデルがあるわけです。そうでないと、セミリタイア・FIREと言いながら同じ資本主義的なゲームを続けてしまうからです。冒頭の「それってただの個人事業主だろ」という話ですし、FIREをウリにして金儲けをしようとしている人への違和感がそこにあります。
そう、セミリタイア・FIREは人生の上がりなんかじゃ全然なくて、資本主義的なゲームのルールからの卒業なのです。だからFIREしたのに金儲けに精を出している人を見ると違和感を感じるのでしょう。そして、資本主義ルール卒業後のゲームのルールは自分で作るしかないのです。
だから「リタイア者はどんなに他者から後ろ指さされても「『うるせーバカ、こちとら別のゲームをやってんだよ』とうそぶく必要があるということだ。」ときりん氏は言うのです。