FIREといえば、文字通り「経済的に自立して、早期に引退する」ことを指すわけですが、Financial Independent=経済的自立はまぁいいとして、問題になるのがRetirement Early=早期引退のほうです。果たして、FIREしたら全く仕事をしないということなのでしょうか。言い換えると、仕事をしていたらFIREではないのでしょうか?
定義的なもの
まずはFIREムーブメントの発祥の地である米国において、英語版WikipediaのFIRE movementにはどうあるでしょう。
Upon reaching financial independence, paid work becomes optional, allowing for retirement from traditional work decades earlier than the standard retirement age .
経済的に自立すると、有給の仕事は任意となり、標準的な退職年齢よりも数十年早く伝統的な仕事から引退することができます。
ここでのポイントは次の2つです。
- 有給の仕事(Paid Work)は任意
- 伝統的な仕事から引退可能
ひらたくいえば、「カネの為に働く必要はない」ということです。
ジョブ、キャリア、コーリング
ではカネの為に働くとはどういう意味でしょう。イエール大学の組織行動学教授であるエイミー・レズネフスキーは、人々の仕事を3つの種類に分類しました。
- 労働(ジョブ、JOB) 報酬を目的に生活費を稼ぐための手段
- キャリア(CAREER) 経歴や地位名誉、そしてより高度な仕事への道
- 天職(コーリング、CALLING)生きがいとしての仕事
イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話は有名です。また「月に送る仕事」の話は、聞くだけで生きる勇気を与えてくれます*1。
アポロ計画を推進していたケネディ大統領が、NASAを訪れた際に、清掃員に聞きました。
「あなたは何の仕事をしているんですか?」
「わたしは、人類を月に送る仕事をしています」
この「人類を月に送る仕事」というのが、まさに天職としての仕事の捉え方です。お金のために働いているのではなく、世のため世界のために役立つ仕事をしているという実感を持てる仕事のことを指します。
これは仕事の内容によらず、自らの心の持ち方の話でもありますが、『ブルシット・ジョブ』の中でも出てくるように、世の中には報酬は高いけれど、世の中に全く貢献していないと自ら感じるくだらない仕事もたくさんあるわけです。
カネのために働かず、天職を極める
ぼくが考えるFIREとは、「経済的に自立して、カネのために働くのを止める」ということです。
よくあるFIREの種類には、「バリスタFIRE」「コーストFIRE」「リーンFIRE」「ファットFIRE」の4つがあって、これは必要資産額と仕事の有無で分類されることが多いですね。
ただ実際には、完全リタイアできる資産があっても、天職を行うためのFIREというものもあるように思っています。この4分類とは、また違った軸です。お金を得るためではなく、「やりたい仕事だけをやるためにFIREする」というものです。
カネを得る仕事と天職の違い
ぼくはキャリアとしての仕事をリタイアして、やりたい仕事=天職のためにセミリタイアしました。心の奥底では、「カネは得られても、世の中のためになっていない、誇れない仕事」というものがあるんじゃないか?と感じていたからです。先の本でいう「ブルシット・ジョブ」ですね。
低収入だけど世の中に貢献している仕事というのはたくさんあります。いわゆるエッセンシャルワーカーがその代表例です。物流を担っている人たち、コロナなのに店頭に立つ人たち。彼らは低収入であることを嫌ってはいても、世の中にとって重要な仕事であることは間違いありません。看護師さんたち、保育師さんたち、警察官、学校の先生……。仕方なくその仕事についている人もいるでしょうが、その多くは、自分たちの仕事が世の中の役に立っていると感じていて、収入の多寡よりも、その使命感を大事にしています。
一般企業の仕事でも、生産の現場にいる人たちは、これを使う人たちの役に立ちたいという気持ちを持って働いている人がたくさんいます。ところが、それを売る人、会社の業績をマネジメントする人となっていくと、次第に「良いモノよりも売れるモノ」という意識への比重が高まっていきます。
投資信託などの金融商品を見ると、その傾向ははっきりと分かります。設定してすぐに3000億円などのお金を集める投資信託の特徴は、売る人が「売りやすい」「分かりやすい」というものです。強力な営業網と広告で、こうした商品をガンガン売ります。
営業の強い会社は業績も良く、業界トップの会社はたいていは営業とマーケの強い会社です。そしてそういう会社では、往々にして良いモノではなく、売れるモノを作るようなカルチャーになっていきます。良い物を作りたいと、企画や生産の現場が思っても、売れるモノかどうかのほうが優先されるわけです。
金融商品以外でも、一時のトヨタがまさにそうでした。強力な営業網を重視し、いかにコストを下げられるかが製造現場には求められました。ボディ剛性のために欠かせないスポット溶接の数を、いかに減らせるの競争をしていたと聞きます。
良いものを作っても売れなければ会社は存続できず、またせっかく作った良いものは誰も使わないまま終わってしまいます。多くの人が使うようになれば、生産効率も向上してコストも下げることができます。だから、営業力やマーケティングはたいへん重要で毛嫌いしてはいけません。
ところが、営業やマーケが主導権を握り始めた企業は、モノやサービスを作ることではなく、カネを稼ぐことが目的になっていってしまうわけです。いったんこうなった会社は、なかなか元には戻りません。営利企業においては、カネを稼ぐ部署の発言権が強くなり、「売れなくても良い物を」なんて言葉は青臭いものと見なされるからです。創業家から社長が復帰して、「もっと良いクルマ」を目指し始めたトヨタは希有な例だと思います。
ぼくの場合、会社の中でそんな「売れなくても良い物」の火を絶やさないように頑張ってきたつもりでしたが、それも限界。いま振り返れば、「カネ、カネ、カネ!」と変わっていく会社の風土の中で、一人それに対抗するのに疲れたということもあったのでしょう。ならば、一人でカネのためじゃない良いモノを作る仕事をしよう、と思ったわけです。
それがぼくの考えるFIREでした。
*1:ちょっと調べましたが原典不明。ケネディ大統領だという話と、後継者となったジョンソン大統領だという2パターンがあります。また、大統領が「何の仕事をしているの?」と聞くという不自然さもありますが。