夏休みで暑いので「これから50年を考えると、こんな考え方や能力が必要になるんじゃないか」と思っていることを、さらさらと書いてみます。それは、科学的思考力と会計、そして統計的発想です。ここまで、科学的思考力と会計力について書いてきました。今回は統計的発想です。
- 100%安全でなければダメ!
- 白黒付けられるという科学への誤解
- そこに存在するかどうかはあくまで確率である
- 波動関数が表す確率的な存在
- 二重スリット実験
- 不思議なことも確率論としては起こり得る
- 厳密に見える科学でさえ確率でしかいえないことがある
100%安全でなければダメ!
ちょうど福島原発処理水の海への排出が話題ですが、こういうときに「100%安全でなければダメ!」と騒ぐ人がいます。言い換えると「少しでも危険や懸念があるならNG」というスタンスです。
科学的にはほぼ安全、心配ないといっても、「本当に害が出る可能性はないのか?」と聞かれたら、誠実な科学者ならば「可能性がゼロとはいえません」と答えるでしょう。それをもって「ほら!危険な可能性を認めた!」というわけです。
これは無敵の論理、悪魔の証明で、だれにもなにかが100%そうであることを証明したり、保証したりはできません。100%でないから反対という理屈がとおるなら、すべての物事には反対できてしまいます。
白黒付けられるという科学への誤解
こういう背景には、実は科学の力をもってすれば何でも白黒付けられるという誤解というか、科学への幻想があるんじゃないかと思っています。まるで、1+1=2であるように、複雑な事柄についても正しく計算すれば、その答えが一意に決まる。そんなふうに科学を信奉しているのではないかと想像します。
しかし、現実の科学はもっともっと確率論的です。経済学のような社会科学については厳密な正解が得られないことは多くの人が分かると思いますが、自然科学系でも確率的にしかいえないことは多くあります。例えば特に薬学などがそうですが「この薬が効く確率は60%、そして重大な副作用はない」ならば効く可能性のある薬として投与してみようというような判断がされるわけです。
いや薬のような実利的なものは、そのメカニズムが曖昧でも要は効けばいいわけだから、確率の話になるんでしょ? 数学を基礎とした物理学とか化学とかは、そんな確率の話じゃなくて、白か黒かがちゃんと決まるでしょ? ぼくも昔はそう思っていました。
そこに存在するかどうかはあくまで確率である
古典物理学では、そこに物があったらたしかに存在します。見えているわけだからあるのです。では、ものすごく小さいものは本当にそこに存在するのでしょうか? 例えば原子とか、原子を構成する陽子とか電子とか。
そりゃあるでしょう。もし小さくて目で見えなくても、見えないだけで存在はしているでしょう? そう思うのが古典的な考え方です。ところが実際には、そこに本当に存在するのかを知ろうとすること自体が、位置と速度を変化させてしまう。そのため、真の意味でそれがどこにあるかのを知ることはできないという考え方が主流になってきました。いわゆる量子力学です。
この位置と速さを同時には知ることができないとことを「ハイゼンベルグの不確定性原理」と呼びます。物体の位置を知るには、物体に光(電波)を当てる必要があります。ところが、小さな物体に光を当てると、その影響で位置が動いてしまうからです。
ハイゼンベルクの不確定性原理とは何か?分かりやすく簡単に解説 | ぷち教養主義
これだけ見ると、単に「分からない」だけで物体は実際にどこかに位置していると思いそうです。物体はAの位置にあるが外からは分からない。知ろうとすると光を当てる必要があり、Aから動いてしまう……のように。
ところが微小な物体は、明確な位置や速度で存在しているわけではなく、あくまで確率的な存在であるとしたのが量子力学なのです。
波動関数が表す確率的な存在
光を当てる=観測しないと場所が分からない微小な物体も、いろいろなパラメータを入れると、どこにどのくらいの確率で存在するかが分かります。これが「波動関数」です。
では波動関数において、何が変化すると物体の存在確率が減少することを表しているのでしょうか。下記がChatGPTによる例示です。
想像してみてください。あなたがビーチにいるとします。海辺に立ち、足元の砂に波が打ち寄せるのを見ています。波が強いところは、水の量が多いところですね。波が弱いところ、つまり波の谷は、水の量が少ないところです。
この海の波を粒子の「存在確率」にたとえてみましょう。波が強いところは、粒子が存在する確率が高いところ。逆に、波が弱いところは、粒子が存在する確率が低いところと言えます。
では、何が波(存在確率)を弱くするのでしょうか。
ビーチに大きな岩があると想像してください。この岩の後ろには、波が少し弱くなっているかもしれませんね。岩が波を遮ってしまうからです。
この岩を「ポテンシャル障壁」と考えてみましょう。粒子はこの障壁の前に来ると、存在する確率が減少します。ちょうど、岩の後ろの波が弱くなるように。
このように、波動関数(海の波)の絶対値が小さくなると、粒子の存在確率が減少します。そして、何か障害物(例:岩)があると、その場所での粒子の存在確率も減少する可能性があります。
二重スリット実験
不確定性原理から、物体の位置を知ることができないため、実利的に位置を確率で知るための方程式が波動方程式で、物体の実際の位置は定まっていると思う人もいそうです。ところが、微小な物体は本当に位置が確率的に存在しているという驚愕なことが分かったのが、二重スリット実験でした。
これは説明するより動画を見てもらったほうが直観的にも分かると思います。
ここで分かるのは、微小な物体は「位置と速さを同時には知ることができない」だけでなく、実際に広い領域に確率的に存在していて、観察すると初めてその位置が確定するということです。
つまり物質は本当に確率的に存在しているわけです。
不思議なことも確率論としては起こり得る
物質の位置は確率的に存在しているとなると、たいへん小さい確率ですが、不思議なことも起こり得ます。例えば、石を壁に向かって投げた場合、普通はぶつかって跳ね返りますが、石の位置は確率の雲のようなものですから、ものすごい低い確率で通り抜けることもあるわけです。
10センチの石をレンガの壁に投げたときに、通り抜ける(トンネルする)確率はどのくらいでしょうか。この確率をざっくり推計させると次のようになりました。
この通り、非常に確率は小さく、事実上ゼロです。ただし興味深いのは、計算上は小さいとはいえ通り抜ける確率があるということです。
↓自分を量子状態にして確率の霧のようにし、望んだ状況になったら観察して波動を収束させることができる人間を描いた小説『宇宙消失』
厳密に見える科学でさえ確率でしかいえないことがある
実際のところ、物理学において確率が意味を持つのは量子効果が働く非常に微細な物体の場合です。でも、このことは物理学において必ず白か黒かが定まると信じていた僕にとっては驚愕の事実でした。物理学においても、確率でしかいえないことがあるなんて!
というわけで、医療やAIはもちろんのこと、一見カチっと計算で決まるように思える物理学の世界でさえ、確率としてしかいえないことがある。これは世界観として、天地がひっくり返るような転換でした。
この衝撃をきっかけとして、世の中には白黒決まるものはほとんとなくて、確率に基づいてしか意思決定できないのが普通なんだと思うようになりました。これが、統計的発想が重要と考える理由です。