FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

不労所得とは何なのか なぜ嫌われる?

f:id:kuzyo:20211107130805j:plain「不労所得で生活するなんてけしからん」。FIREがブームになるにつれ、こういう批判を目にするようになりました。しかし、はて不労所得といったい何なのでしょうか? 考えてみました。

労働しないで所得を得る

まずは字面から。不労所得とは、「労働をせずに所得を得ること」という意味でしょう。では、「労働」とは何で、「所得」とは何でしょうか。

 

まず「所得」は、辞書的には「自分のものとなった品物・金銭や利益・収入」のことを指しますが、この文脈では一般的に「金銭」のことを指すと思われます。

 

次に「労働」は、辞書的には「体を使って働くこと。特に、賃金・報酬を得るために、体力や知力を使って働くこと。」ですが、こちらも文脈としては、賃金や報酬を得るために体力や知力を使って働くことを指すと考えられます。

 

つまり、労働所得とは、「賃金や報酬を得るために体力や知力を使って働いて得た金銭」のことで、不労所得とは、その反対になります。

実際には「労働」は他人から賃金を得ることを指す

辞書的な意味からもう少し踏み込んでみます。一般に、家庭菜園で野菜を育てたりDIYで家具を作ったりすることは「労働」とはいいません。「家事労働」なんて言葉もありますが、これもわざわざ言葉を作らなければ労働と見なされないわけで、基本的には労働でイメージするのは、会社で働いて給与をもらったり、事業を行って他者から支払いを得る行為を指すのではないでしょうか。

 

「労働法」なんて法律がありますが、これなんて会社で働く人のことを「労働者」として、その労働者を守るための法律なわけです。不労所得においても、イメージされる労働は、この「働いて他人から金銭を得る」ことを指すわけです。

銀行員や機関投資家は「労働」していないのか?

不労所得だって立派な労働だよ!という意見の中には、こんな反論があります。銀行員や機関投資家だって投資業務をやって所得を得ているじゃないか。個人投資家だって同じだ——というものです。

 

先の観点でいうと、この2つの違いが分かります。確かに個人投資家と機関投資家がやっていることは似たようなものですが、個人投資家が自分のために投資を行っているのに対し、機関投資家は他人のために投資をおこない、その対価として所得を得ています。

 

なるほど、不労所得の議論でも、「何をやっているか」ではなく「誰のためにやっているか」が重要な論点のようです。

投資はギャンブルで社会に貢献していないのか?

不労所得を批判する文脈においては、「投資なんてギャンブルで、社会に貢献していない」という意見も聞きます。でも、銀行員や機関投資家がやっていることと、個人投資家がやっていることは、本質的に同じであることを考えると、この批判は的外れです。

 

銀行がやっている金融——余っているお金を集めて必要としている人に渡す、ことを不要だという人はいないでしょう。この金融こそが、資本主義の根幹でもあるのです。機関投資家がやっていることは、もう少し複雑かもしれません。

 

銀行のように、お金を持っている人とお金を必要としている人の間にリスクを取る第三者が入る仕組みを間接金融といいます。一方、お金を必要とする人が直接持っている人からお金を貸してもらう仕組みが直接金融です。株式や社債などは、この直接金融にあたります。機関投資家は、その間を仲介する仕事だということです。

 

このように見れば、株を買っている投資家は、銀行と同じように、必要なところにお金が行き渡るための金融の根幹に貢献していることが分かります。

 

では直接企業に出資するのではなく、すでに誰がが持っている株式を買ったり売ったりするトレーダーはどうでしょうか。実はこちらは、上記の直接金融を成り立たせるために重要な役割を果たしていると考えることができます。

 

投資家が企業に出資するには、その価値が適正かどうかを知れること、またスムーズに売買できる場があることが重要です。これを実現しているのがトレーダーなわけです。短期間で売買を繰り返すことにより、その企業の株価はいくらが適切なのかが導き出されます。また、出資した投資家が持ち分を処分するときに、買ってくれる相手を自分で探さなくてもこうしたトレーダーが引き受け手となって流動性を提供してくれます。

 

大きな金融という枠組みの中では、個人投資家だって重要な役割を果たしているわけです。

身体を動かしたり知的判断をしないと不道徳なのか

「不労所得」につきものの見方として、あの人は自分で身体を動かすこともなく、何かを考えることもなく、誰かに任せっきりで所得を得ている。ケシカラン——というものがあります。これはどうでしょう。

 

ちなみに日本国憲法には「勤労の義務」というものがありますが、これは世界でも珍しく、日本以外では旧ソ連と北朝鮮の憲法にしか存在していないそうです。それどころか、GHQのマッカーサー草案にもなかったそうです。

 GHQのいわゆるマッカーサー草案には、「勤労の義務」がなかった。また、帝国議会に提出された帝国憲法改正案第25条にも「勤労の義務」はなかった。参考までに条項を載せておく。

 

帝国憲法改正案第二十五条 すべて国民は、勤労の権利を有する。

 賃金、就業時間その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

 児童は、これを酷使してはならない。

本当は怖い「勤労の義務」 | 源法律研修所

 

ところが、これに社会党が反対し、旧ソ連のイデオロギーであった「働かざる者は食うべからず」を憲法に明記しろと迫り、これが通ったのだそうです。

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身体を動かさず頭を働かせなくても「不労所得」とは呼ばれない方法

ちなみに、自分で身体を動かしたり頭を働かせる労働をしなくても、「不労所得」と呼ばれない方法があります。

 

例えば、企業の会長職などはどうでしょうか。実務は役員に任せており、会社の大きな舵取りは社長に任せ、自分は会長として気が向いたときに人事権を振るうだけの人っています。この人は、自分で身体を動かすことも考えることもする必要なく、所得を得ているのですが、不労所得なのでしょうか。

 

不労所得と呼ばれる投資家も、自身の関与度はさまざまで、投信などを購入してファンドマネージャーに任せっきりで自分は何もしないという人もいれば、自ら銘柄やチャートを分析して日々売買注文を出すという人もいます。後者は下手をすると普通のサラリーマンよりも忙しくて大きなプレッシャーにさらされているわけで、もしかしたらこれを不労所得を得ているという人は少ないかもしれませんが、世間の認識では不労所得者となりそうです。

 

ここでの違いは、どうやら他人のために働いて所得を得ているかどうかという点ではなさそうです。おそらく、「社会的地位」の問題なのでしょう。この言葉は曖昧模糊としていますが、「社会の中に確立された、人々の名誉や威信を伴う位置」とされています。要は、多くの人が「あの人はすごいよね」と感じるようなポジションにいるかどうかだというわけです。

 

つまり、自分で身体や頭を動かしているかどうかとは別に、何らかの組織で上位のポジションについていれば、認められるというわけです。それは数ヶ月に1回出席する政府のナントカ委員かもしれませんし、実質席があるだけの会長職かもしれません。しかしそれで所得を得ていれば、不労所得とは呼ばれないわけです。

お金がお金を生むのが卑しいのか

もう一つ、お金がお金を生むこと自体が卑しいという考え方があります。例えば、文筆家や漫画家が仕事をやめて過去の印税で生活していても、あまり不労所得だ!とは言われないでしょう。知的財産によってお金を得ているからです。

 

また土地や建物などを持っている大家さんも、不労所得と大家業の中間に見られることが多そうです。一応、お金がお金を生んでいるのではなく、間に不動産が入ることで「大家業」と見られるからでしょう。

 

古来イスラムやキリスト教の話を持ち出すまでもなく、お金を貸して利子を取るという行為は蔑まされてきました。先の金融の重要性を考えれば、金貸しが嫌われる理由なんてないし、国家公認である銀行員が尊敬されることが多いのを考えると、これは不可解です。

 

ニーズがあるところに供給ありという意味では、蔑む理由なんてないと思うのですが、貧富の差の拡大や特定民族の伸張を防ぐために政治的に禁止されてきたというのが真相ではないかと、最近は思っています。日本でも「金貸し」という表現は蔑称ですね。

 

ピケティの「r>g」が有名になりましたが、これは労働による蓄財よりも、投資による蓄財のほうが効率がいいということを表しています。さらに、得られる金額が肉体に制約される労働とは違い、投資は資金があるだけ利益を生み出せます。このことから格差が拡大するのは必然だとし、理屈がシンプルなだけに世間にも受け入れられました。

 

当然、こうなると政治的に投資家は抑圧されます。税制でも社会的な立場でも不利な状況に追い込まれるわけです。つらつらと考えてきましたが、どうやらこのあたりが「不労所得!」と呼ばれて働かない投資家が嫌われる理由なんじゃないかと思っています。

 

 

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