FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

Time is Moneyではなく、Money is Timeだったら

先日、「In Time」という映画を見ました。遺伝子操作で永遠の命が実現した未来。人は25歳になると成長がとまるのですが、そこからの寿命は1年だけ。働くと寿命=時間を得ることができ、日々の買い物にも寿命=時間を使うという世界の物語です。

まさに、Time is Moneyではなく、Money is Time。誰しもが同じだけの時間を持っていると言われますが、この世界では、お金持ちとは多くの寿命を持っている人で、貧困者は文字通り、明日生きていられるかわかりません。

 

お金=寿命という世界では、サービスやモノを買うのに残り寿命を使います。映画の中でも、歩くと1時間かかるところを、バスに乗ると運賃が寿命1時間分、というシーンが出てきます。ある意味、究極の選択ですね。

 

この映画では、お金を寿命というもっとシビアなものに置き換えて見せることで、資本主義社会の歪みを見事に描き出しています。例えば貧者はお金の借り入れのように、寿命を借りることができます。しかし、当然そこには利息がかかるんですね。1日分の寿命を借りたら、20%の利息をつけて返さなければなりません。

 

1日で、1.2日分以上の寿命を稼がないと、明日はない、ということです。こうして必死に毎日働いて暮らすわけです。

 

一方で、他人に貸し出せるほどの寿命を持っているお金持ちは、貸出利息だけで寿命がどんどん伸びていきます。ごく一部のお金持ちは、何千年という寿命を持っていて、まさに不老不死を実現しています。一方で、貧者は明日を生きるのにギリギリの賃金で働く毎日という状況です。

 

この、「明日を生きるのにギリギリの賃金」というのは、給料がどうやって決まるかを書いた先日の記事のとおりです。お金を寿命に置き換えることで、資本主義社会の矛盾を肌で感じることができるわけです。

kuzyo.hatenablog.com

 

自分が働くではなく資産を働かせる

さて、この映画からなにか参考にするとしたら何でしょう。ひとつは、自分の時間を使って稼ぐ生活から、自分の資産を働かせて稼ぐ生活に移行しなくてはならないということです。幸いなことに、いまの資本主義は節約さえすれば、お金を貯めることができます。また生活費以上に給与を稼ぐ道もあります。

 

学校に通いスキルを身につけることで、学費以上のリターンを得ることができます。米国では、学費が高騰しており、ローンを使って学校に行くことが普通のため、卒業しても学費の返済で苦しい、つまり学費以上のリターンを稼げないこともあるようですが、日本では現状大学に行くことで学費以上のリターンを得られます。

 

これは新卒一括採用、学歴重視のメリットともいえるでしょう。昨今の流れだと、実力主義へ変化していくかもしれませんが、そうすると学校に行くことも追加リターンも減ってしまうかもしれません。

ピケティの r>g の教訓

もうひとつの教訓は、お金持ちがさらに富むという資本主義の構造自体への課題提起です。最近では、ピケティが r>g*1 で表したように、汗水たらして働くことよりも資産を運用するほうが儲かるという問題です。

 

ピケティは、富裕層への世界的な課税強化を提案していますが、世界のルール自体を富裕層が牛耳っている現状では、これの実現は難しいでしょう。日本の政治状況を見ても、民主主義の国と言いながら、法律や制度は富裕層に有利な方向にシフトを続けているのが実情でしょう。労働組合のような労働者が団結する組織も次第に勢いを失っており、富裕層によるマーケティングによって、格差の拡大を意識しないまま過ごす人が大半になっていくのかもしれません。 

労働が不要になったらどんな世界になるのか

3つめの考察は、AIやロボティクスの進歩が何をもたらすのか? ということです。

 

現在、AIやロボティクスの研究が盛んに行われており、その目的の1つが省力化です。日本では、「人手不足への対応」という大義名分もあり、単純労働や事務労働がAIに置き換わろうとしています。

 

いまの社会や経済を成り立たせるのに、多くの人の労働が不要になったら、どんな世界になるのでしょうか? 誰もが遊んで暮らせる天国のような世界をイメージするのはおそらく間違いです。

 

映画では、人類が不老不死の技術を手にしたのに、なぜがんばって時間を稼がなければ強制的に死が訪れるような世界になったかについて、多くは語られません。ただし、時間富裕層の発言の節々から、拝見を推定することはできます。時間富裕層たちは、時間貧困者に多くの寿命が与えられることで、世界に人間があふれることを極端に恐れています。「働かざるもの生きるべからず」という、一見まっとうに見える論理をもとに、時間貧困者の数が増えないようにコントロールしている社会がこの映画の社会なのでしょう。

 

結局のところ、働く必要もなく豊かな生活を享受しているのは、時間富裕層だけ。富裕層は、その体制を維持するために、貧困者にギリギリの生活となるよう仕向けています。AIやロボティクスがもたらす変革は、これと同じようになる可能性があります。富むのは資本家と、AI/ロボット技術を使いこなすエンジニア、企業家だけ。多くの人々はAI/ロボットに職を奪われ、貧困に甘んじる生活になるかもしれません。

 

なお、映画では自動車は全部電気自動車です。走行音も、モーターらしい高周波音がキーンといっているのがよくできています。ただ、自動車の横転シーンがあるのですが、そこで排気ガスのマフラーらしきものがついているのを見てしまいました。惜しい!

*1:rは利子率、gは経済成長率。経済成長による給料の増加よりも、資産に対するリターンのほうが大きいため、必死に働いて経済成長に貢献しても、給料の増加よりお金持ちが資産を増やすほうが早いということを言っています