「損得で物事を考えだしたらヤバイ」という記事が目に付きました。人は大人になるに従って、打算的に、「これは得か」「これは無駄じゃないか」という視点でものを見るようになります。いわゆる「コスパ厨」な感じですね。
でもよくよく考えたら、「好きか嫌いか」「気が向くかどうか」で選べばいいという話です。あまり打算で計算しないほうがいいと。
自分自身を振り返って、そうだよなぁと思うところがありました。例えば、昇進して給料が上がり肩書が付くチャンスがあります。でも、昇進すれば楽しい現場の仕事を離れてだんだん管理と会議がメインになっていきます。これをどう捉えるか。
打算的に考えれば、昇進ですよね。でも、それが本当に好きだったのか? 気が向いていたのかでいうと、半々というところでした。給料が上がるのはラッキー。肩書や権限もあるにこしたことはありません。でも自分が本当にしたいことかどうかは思い半分。実際、管理職や経営層の仕事というのは、狭き門で経験したくでもそれができる人はごく僅かです。めったにないチャンスというのは、打算的な話だけではなく、新たな経験ができるだろうということが魅力でした。
実際、新しい経験ができるという点では正解でした。人材育成や管理の難しさ、事業計画の立て方、新規事業への投資の考え方、撤退の考え方、M&Aの判断基準、ガバナンスやコンプライアンスへの対応方法、etc.
また、新規事業計画を考えるときもそうでした。市場環境と技術動向を見据えて、最も期待利益が大きいジャンルと方法で取り組む計画を立てました。実際、取り組んでちょうどこのジャンルがブームになり、見極めは間違ってはいなかったと今でも思います。
ただし、それが本当に自分がやりたかったことかというと疑問が残るのです。もし事業責任者ではなく現場で行う身だったら、この事業に携わりたいと思うかどうかというとノーでした。事業立案者の中にそんな気持ちがあったのでは、現場で実行する人たちも疑問を持ってしまうというのもあったもかもしれません。今思えば。
資本主義社会におけるサラリーマンというのは、よくもわるくも打算的に考えることを強いられます。株式会社は営利団体であり、打算的に儲けることを最優先で求められるからです。社会に貢献すること、人々を幸せにすることも、もちろん求められますが、そっちが優先ではありません。社会に貢献するけど儲からない事業は承認されず、社会に害は成さないけど儲かる事業が選ばれる。それが資本主義の営利企業です。
これを唯一覆せるのは、オーナーだけなんですね。
オーナーは、必ずしも儲かることを打算的に決めていく必要がありません。儲からなくても、自分がやりたいと思ったらやれるわけです。しかも、できれば従業員などがいない一人会社が最適です。従業員の生活は保証しなくてはならないし、昇給もしてあげたい。そうなると、どこかで打算的に考えざるを得ないからです。
損得と感情を止揚して考えてみます。なぜ損得を気にするか? それは自分の生活を良くしたり、本当にやりたいことを実現するためにお金が必要だと考えるからです。だから、「得」だったとしてもそれによって生活が悪化したり、やりたいことから離れていくなら、それは底の浅い打算だと言えるでしょう。
お金は効果が逓減していくものですので、どこかでお金の損得よりも感情を優先したほうが、総合的な満足度が高まるタイミングが来ます。僕の場合は、それがセミリタイア可能と考えられるだけの資産が貯まったタイミングでした。そういうことです。