このところ、毎日のように税金を払っているように感じます。5月は、固定資産税、自動車税、法人都民税均等割が毎年やってきます。さらに、今年は、固定資産取得税の支払いが重なりました。
そして6月になったら、昨年の確定申告をやった結果に基づいて、住民税の支払いが始まります。
源泉されていないことの良し悪し
日本では普通の人が普通に暮らしている限り、税金をほとんど意識することがありません。源泉徴収されているからです。
給料であれば、税金を源泉徴収された残りが支払われます。株取引なら利益が出たときに税金を引いた残りが入金されます(特定口座)。これは確かに便利です。事務コストがかからず、後の税払いのために資金をとっておく必要もありません。
一方で、このせいで「自分がいくら税金を払っているのか」について、本当に無頓着になります。
ものによって違う税率
税金の種類が山のようにあって、それぞれで税率が違い、軽減のための特例がたくさんあるのも問題です。例えば給与所得は累進課税ですが、譲渡税は固定税率です。個人の収入は累進課税ですが、法人の利益にかかる法人税は(基本的に)固定税率です。
損益の通算ができるかもかなり違います。株と投資信託は損益を通算できますが、FXや先物などとは通算できません。
昨日、元トレーダーの国会議員、藤巻健史氏が「ビットコインETFが生まれたらその税制はどうなるのか?」というTweetをしていました。そう、現在日本では仮想通貨の利益は雑所得(損益通算できない総合課税の累進課税)に分類されますが、ETFは20%の分離課税だからです。
日本も遅れをとってぇあいけない。この点は明後日の財政金融委員会で金融庁に聞いてみる。暗号通貨ETFができれば、それは20%分離課税のはず。ETFの税制は外形で決まるものであり何が入っているかでは決まらないはずだからだ。これは国税に聞いてみる。
— 藤巻健史【全国比例・維新 参院選2019 候補】 (@fujimaki_takesi) 2019年5月28日
ETFまでいかなくても、投資信託の中に入れ込んでも、税金は変わりますね。不動産投資も普通にやると給料などと損益通算可能な事業所得だったりしますが、これを投資信託にくるむとREITとなり、利益は20%の分離課税になるのです。
税を計算する箱はいろいろあり、税率もさまざまですが、金融商品はパッケージし直すことで扱いを変えることが可能なのです。昔からの税制が、現在の状況に対応できないでいます。
節税の実態は箱の変更
世の中で「節税」と言われる方法は、税制優遇策をうまく使うという話と、税金の箱を変えることで安くするというのがほとんどです。
例えば、個人で不動産投資をすると給与と合算の累進課税なので税率が高い。そこで、法人を作って運営することで法人税という固定税率に切り替えるのです。これが箱の切り替えです。
箱が複数あって税率が違うので、こんなテクニックが出てくるわけで、元の税制がシンプルだったらこんな調整をやる必要はありません。
税の目的は、外部性への対応と再分配
そもそも税金には、意味の違う2つの目的があります。
1つは外部性への対応です。通常の経済では、取引は売った人と買った人の2者で完結します。ところが、外部性のある経済では、その他の人たちに影響が及んでしまうのです。
正の外部性というのは、他にプラスの影響が及んでしまうことです。例えば、自分の身を守るために各自がボディガードを雇ったらどうなるでしょう。その街はボディガードが数多くいて、治安自体が向上します。すると、何人かは「自分はボディガードを雇わなくても大丈夫だ」と考えてしまうかもしれません。いわゆるフリーライダーです。誰もがフリーライダーを目指すと街の治安は悪化しますし、だからといってボディガードを雇うのを強要することもできません。
このジレンマを解決するには、全員から強制的にお金を徴収して、街の治安を維持する活動を行う主体が必要です。それが国や自治体というわけです。警察や消防、防衛などがそうです。
同様に負の外部性もあります。公害が有名な例ですが、工場から製品を作るために大気や河を汚染する場合があります。これは直接誰かの財産を侵害しない限り、そのままでは止めることが難しくなります。これらも、国が規制することで、負の外部性を克服できるようになるわけです。
こうした外部性への対応には、最低限、何らか国のような存在が必要だということを否定する人はいません。
また何を所有して構わないのかといったルール*1、独占を防ぐためのルールと審判として、国は必要です。
ミルトン・フリードマンは『資本主義と自由』の中でこう言っています。
「ゲームのルールを決める議論の場として、また決められたルールを解釈し施行する審判役として、政府は必要不可欠である。
- 作者: ミルトン・フリードマン,村井章子
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富の再配分の目的は?
ただ、富の再分配は、目的がちょっと違います。これは、お金を持っている人から持っていない人に移し替えるということです。貧富の差を減らすということですね。個人についてもそうですし、儲かっている東京から地方へ、というのもあります。
なぜこれが必要なのでしょう。下記のRootport氏の記事にあるように、いくつかの説があります。
まずは「治安の改善」です。社会不安を防ぐため、ということです。貧富の差が大きくなると、階層分断が起きます。お金持ちは金持ち階層となり、貧乏人はずっと貧乏階層です。貧乏階層が存在することは、社会に恒常的に不安定にさせる可能性があります。
下記は、日本の失業率と犯罪発生率の関係についての2010年の研究です。こと、治安という意味では、みんなが中流家庭だと思っているのが望ましい。そういうことでしょう。
県別データではさらに、失業率よりも貧困率の方が犯罪の発生率に大きな影響を与えるという興味深い結果が多くの罪種で確認された。これは、貧困率が失業率よりも合法的行動と犯罪行動の間の代替に直面している人の経済的状況を反映しているか、犯罪が相対的な所得格差によって引き起こされている可能性を示唆している。
もう一つは経済効果です。製品というのは買う人がいて初めて成り立つもので、買う側にお金がなければ、モノは売れず、給料も上がりません。そして、世の中の製品の多くは富裕層向けではなく、普通の人向けに作られているのです。
RootPort氏が指摘しているように、貧困層は金融的に信用がなく、借金ができない、または借金しても返せなくなる可能性が高いというのも問題です。レイ・ダリオが言うように経済成長というのは、債務サイクルで回るものだからです。
富の再配分への批判
そうは言っても富の再配分については、俯瞰した視点ではなく、個々人の感覚で議論されることも多いものです。「(俺は金を持っているから)税金を取られるのは嫌だ」「(俺は貧乏だから)貧困層を支援する政策をすべきだ」などなど。
日本は民主主義国家なので、貧困層が増えて、その人たちが組織的に選挙にいけば、貧困層を支援する政策を持った議員が当選するでしょう*2。こうして、治安や経済の観点ではなく、「金持ちはケシカラン。金を取ってやれ」というような感情論で、富の再分配が肯定される可能性もあります。
一方で、持つもの持たざるものに関係なく、自由主義の観点から過剰な富の再配分を嫌い人も多くいます。
資本主義は、個人が自分の資産を持つことを前提とします。これは国家といえども取り上げてはいけないもので、強引に勝手に取り上げてしまうような政府は共産主義といいます。また自由主義は、自分の資産の使い方を持ち主が自由に決められることを前提としています。本人の意志とは関係なく、資産を取り上げるというのは、自由主義にも反することになります。
米国では、この資本主義・自由主義の観点から富の再配分政策に否定的です。一方で、福祉国家と呼ばれる国々は、積極的です。Wikipediaには、完全雇用と社会保障の観点から、各国の福祉国家的政策をマッピングした図が載っています。
夜警国家か福祉国家か
先の外部性への対応は必ず必要なものです。この安全保障や治安維持など最低限必要なものだけを行う国家を「夜警国家」と言います。一方で、年金や健康保険などの社会保障を行ったり、解雇規制などで完全雇用を目指す国を福祉国家と呼びます。
問題は、福祉国家については国によってスタンスがかなり違うことです。つまり、これが正解という解はありません。
だから、税の議論をするときは、日本はどこまで福祉国家を目指すんだっけ? ということを頭の片隅に置いておく必要がありますね。