セミリタイアに必要な資産のシミュレーションを行うときに、大きな分岐点となるのが、「死ぬまでに資産を使い切るべきかどうか」だと思います。使い切っていいのであれば必要な資産は少なくなりますし、残す前提だと運用利回りで生活できるだけの資産が必要になります。
リバタリアン的には遺産は不要
ぼくはかなりリバタリアン的な考えを持っているのですが、リバタリアンにおいても相続の是非は意見が分かれるところです。少なくともリバタリアンであれば、自己所有権は譲れない要素です。自分の身体に対する自己所有権を持つという意味から、何ものにも拘束されない自由が重要になります。また、自分の財産に対する自己所有権という意味から、国家がそれを強制的に取り上げる税に対しては必要最低限にすべきだと考えます。
ところが相続は難しいところです。なぜなら本人が死んでしまっているので、所有権の拠り所がないと考えられるからです。リバタリアンの啓蒙者として有名な森村進氏は、自己所有権論によると遺産に対して正当な権限を故人も遺族も持たないと言っています。
ぼくもこの考えには同感で、ラディカルにいうと相続税を100%にしてしまってもいいのではないかと思っています。相続税を100%にしたら生前贈与してしまうのだから意味がないという人もいますが、それは徴税力を上げるためには意味がないのであって、リバタリアン的には、財産をいつだれにどのくらい分けるのかを決められることは重要です。
老人が使いもしない資産を溜め込んでおくよりも、早くから若者に贈与してしまったほうが、有意義に利用されるだろうし経済の循環的にもいいんじゃないかとも思います。
死ぬ前に使い切ったら悲惨
相続をどうしたい、という観点を除くと、「死ぬまでに資産を使い切る計画」の最大のネックは、計画よりも長生きしてしまう可能性があることです。老後、身体も不自由になった状態で、資産も全部使い切ってしまい、野垂れ死ぬというシナリオは想像もしたくないですね。
いわゆる長生きリスクがあるわけです。
60歳まで働いてリタイアするのであれば、資産で生きていくのは最長でも40年程度*1。ところが45歳でリタイアした場合、資産で55年も生きていかなければいけません。計画の狂いの影響が大きいわけです。
リスク資産の下振れのバッファとして
現金を取り崩して生活していく場合は、何歳まで生きられるかがほぼ分かるわけですが、資産を投資に回す場合は不確実性が高まります。国債に投資するなど、ノーリスクで収益だけ入ってくる状態は作れますが、それでは配当や分配金だけで生活するのはむずかしいでしょう。
株式などへ資産の一部を振り分けた場合、そのリターンだけで生活していける可能性も出てきますが、一方で成績が下振れした場合は悲惨です。そのことを考えると、100歳までに資産がゼロになる計画はリスキーだと思います。
長生き保険は使えるか?
セミリタイアを前提としなくても、こうした長生きリスクは多くの人が不安に思うところのようで、保険会社も「長生き保険」というものを用意しています。例えば日本生命が提供する「グラン・エイジ」という保険では、毎月50,790円を50歳から70歳まで払い込むことで、70歳以降年間60万円を死ぬまで受け取ることができます。
しかし果たしてこれは割に合うのか? また次回、検証してみたいと思います。
↓検証してみました。
*1:現在の日本では100歳を超えると急速に死亡率が高まり、100歳まで生きている確率は男性で1.645%、女性で7.037%です。100歳まで生きる計画を作っておけば、ほぼ大丈夫だという根拠はここです。ただし、今後の技術革新次第ではどうなるかわかりません