「天国のような牢獄」とは、うまいことを言います。
新しいチャレンジも成長もなく、淡々とこれまでと同じように仕事をする。いや、もしかしたら窓際族で、「今日は会社に行って何をしようかな?」と思って毎日を過ごしているのかもしれません。
給与はそうそう下がることはないので、淡々と働いていればこれまで同様のお金が入ってくるという点では天国です。一方で、会社には行かなくちゃならないんですよね。遊んで暮らすわけでもなく、仕事はしなくてはなりません。自由がない、これは牢獄です。
そして仕事を頑張って成果を出しても、給与が上がったりポジションが上がることもありません。人はなにかの目的のためになら頑張れるものです。多くのサラリーマンは、昇進や昇給のためにがんばります。それがないとなると、現在のポジションを守ることが最優先になるわけです。つまり、失敗のないようチャレンジはせず、怒られない程度に仕事をする、と。
もちろん、一段上の人なら、昇進や昇給のためではなく、「世の中に貢献したい」とか「自分が実現したいことを成し遂げたい」というのが仕事の目標になります。ところが、サラリーマンというのはそういうことよりも、与えられた仕事をこなして会社から求められたKPIを達成することに喜びを感じるように慣らされてしまうんですね。長年の間に。
いわば、自分の行動規範を、生きる目的を、外部である「会社」に与えられて生きていることが当たり前になってしまっているのだと思います。そして、一緒に働く仲間が同じように会社から評価されるために頑張る様を見て、自分も同じような価値観になってしまいます。
「奴隷」が相互模倣の虜囚であるとすれば、「貴族」は、自分の外側にいかなる参照項も持たない自立者です。「外界を必要としないもの」「行動を起こすために外的刺激を必要としないもの」、それがニーチェのいう「貴族」
とはいっても、人は生きていかなくてはなりません。お金が必要です。安定した収入を保障してくれる(と信じている)会社というのは、頼るしかない存在です。ほかに収入がない限り。
実際、資産からの収入だけでも食べていけるな、と思えなければ、なんとか会社にしがみついて、この天国のような牢獄で暮らすしかないと思っていたかもしれません。お金を貯めるとともに、資産の運用を続けてきてよかったと思います。