最近、保有地銀の上昇も話題になった井村氏のインタビューを読みました。
2017年に運用益が1億円を超え、現在は55億円に達したという井村氏は、投資家の憧れの一人ではないでしょうか。ただ、
すべてを投資に捧げていると言っても過言ではない毎日だ。株式以外に趣味もなく、『時間や熱量だけは負けない。日本一時間を使っているという自負がある』と言い切る。
という生き方を羨ましいと思うかどうかは人によりそうです。
家族はコスト?
このインタビュー、いろいろな気付きがあって面白いのですが、ちょっと引っかかったのが家族に関するくだりです。
投資に打ち込む環境を作ってくれる家族と過ごす時間は「コミュニティーを維持するコスト」と割り切り、土日も調べものなどに没頭する。
これ、本当は24時間全部投資に使いたいけど、家族というコミュニティを維持するためには時間を咲かなくちゃいけないから割り切るって言っています。つまり家族はコストだというようにぼくには読めました。
別にこうした考え方がいけないとは思いません。でも、思い起こすのは極端なFIREを目指す中で、自家用車や保険を「不要」と言うのと並列で、「家族はコスト」と言う人がたまにいることです。
投資を趣味にできるか
ウォーレン・バフェットなどの伝記を読む限り、投資を最大の趣味としていて、それ自体を生きる目的にしている人はけっこういます。というか、大投資家となったり大事業家となった人は、だいたいそういう人のようにも思います。創業社長の中には、仕事が大好きで大好きで、ゲームのように会社の規模を大きくすることを楽しむ人がけっこういます。投資家もそれに似ているのかも。
こうした投資を趣味にする人の特徴は、お金が実態から乖離して単なる数字でしかなくなることだと思っています。100万円は、ゼロが6個ある数字で、10億円はゼロが9個。この2つはゼロが3個違うだけで、それ以上の意味はない……。そう感じている人が多いのではないか。
普通のお金に対する感覚でいえば、100万円というのは世の中のほとんどの消費財が買える大金で、大金の目安でもあります。10億円というのは世の中のほとんどの人の生涯賃金を超えていて、超保守的な運用でも年間で3000万円くらい手に入る金額です。
でも投資を趣味とする人のほとんどは、100万とか10億円をそういう金額だとは捉えず、単なる数字の羅列だと捉えているように感じるのです。それは大企業の経営者や経理担当者にとって、10億円という数字は帳簿上のものであって、現金の感覚が全然ないのと同じです。
ポジショントークの可能性も?
もっとも、こうした諸々もポジショントークの可能性もあると思っています。
実は2019年ころ、井村さんにお会いしたことがあります。まだ運用資金は2〜3億くらいだったでしょうか。当時はまだ、カリスマ的な個人投資家というよりも、「元お笑い芸人のYouTuber投資家」という肩書で活動していたと記憶しています。
企業の見極め方とかを、ざっくばらんに雑談しましたが、そんなストイックな投資家というイメージはそのときは感じませんでした。ギラギラしている感じもなく、さらっとしているところは最近の投資家っぽいですが、男の子っぽいやんちゃなところもあったように思います。
そんな井村さんも、これから他人の資金を預かって運用するプロのファンドマネージャーを目指すということで、イメージづくりも重要なのでしょう。
初期の段階ではプロ向けに絞る可能性もあるものの、いずれは誰もが資金を投資できるような形で「大きなミッションとして日本の家計に貢献したい」という。
井村さんの資産の増え方を見ると、相当なリスクを取って個別株で勝負してきたことがうかがえます。でも他人のお金で、同じようなリスクの取り方は難しいでしょう。これは要するにレオスのひふみ投信のようなポジションを目指すということでしょうか。
10兆円規模の大型ファンドを目指すということですが、個人で成功しているのに、なぜわざわざファンドマネージャーに転身したいのかは、「日本の家計に貢献したい」という言葉しか、インタビューには出ていませんでした。