FIer: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIerを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

失敗の文化と挑戦の文化

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ぼくはIT業界が長い人間なので、「まぁやってみよう!」というのが普通の感覚です。ところが最近銀行の人などと仕事をすると、ガチガチに縛られたルールの中で、できることできないことを自ら制限している人が本当に多いなぁと感じることが増えました。

 

これは「挑戦の文化」と「失敗の文化」そのものかな、と思うわけです。

挑戦の文化

挑戦の文化とは、うまく行くか行かないかは不確実だけど、まずはチャレンジしてみよう!というのを推奨する風土のことです。IT業界ではこれが普通で、逆にチャレンジのないオペレーショナルな行動は低い評価しか得られません。

 

根本にあるのは、「今顧客は何に困っているのか」「何を変えたらもっと良くなるか」という視点です。このチャレンジというのは必ずしも新技術を開発しようというようなものだけではありません。例えば、ほかで使われている仕組みを持ってきて応用するとか、オペレーションを改善して効率化するとか、価格そのものを根本的に見直してしまう(無料にするとか、従量制にするとか)とかもあります。

 

ぼくの好きな言葉に、ロバート・A・ハインラインが言った、

世界が進歩したのは、怠け者がもっと簡単な方法を探そうとしたからだ。 

というものがありますが、挑戦の文化ではまさにこれが求められます。

 

もちろん既存のビジネスのやり方ではない方法を探して取り組むということなので、業界からは「ディスラプター(破壊者)」と呼ばれたりして表に陰に妨害を受けたりもするわけですが、それでも「世の中を少しでももっと良くしよう」という思いを持って取り組んでいる人がほとんどです。

失敗の文化

一方の失敗の文化では、できる限り失敗しないことが最重要視されます。うまくいくかどうか分からないことには手を出さない。既存の枠組みをいかにうまく守るが評価の対象です。

 

こういった業界にはいくつか特徴があります。その1つは、ビジネスモデルが確立されていて事業者がだいたいそれなりにの儲けを出しているということ。大企業、中堅企業、下請けというようなプラミッド構造ができていて、最も儲かるのは大企業ですが、その下もちゃんと利益を出していける。そんな安定した構図があることです。

 

さらに2つ目として、多くの場合は規制によって守られています。政府の規制は、当初は「利用者を保護するため」という名目で始まりますが、結局のところ他業者が参入できない壁となり、既存の事業者が安定して利益を出すための「壁(モート)」となるわけす。

www.kuzyofire.com

 

ルールをどう捉えるか

この挑戦の文化と失敗の文化は油と水で、なかなかに折り合うことはありません。例えば法律やルールに対する考え方もそうです。

 

挑戦の文化においては、実現したいことを法律やルールが阻んでいたら、その背景にある意図は尊重しつつも、抜け道を探し実現方法を探ります。昨今だと、資金の送金を銀行以外にも可能にした資金決済法を逆手に取って、一時預かりの形で資金を手元に滞留させることで預金に近いことを可能にしてしまう資金移動業者なども、その例かと。

 

法律的にグレーであっても、それに反した時に支払う罰金が、反することによって得られる利益より小さいならやってしまえ、という発想もあります。これが刑事罰に関することならさすがに厳しいですが、民事罰の話なら似た話は意外とあるものです。

 

YouTubeがスタートしたとき、著作権侵害の温床と言われたわけですが、訴訟を抱えながらもサービスを継続し、和解金などを払いつつも世界最大の動画プラットフォームへと成長しました。これは「法的にグレー」なときに、ならやってみようと考えると、グレーならばダメだと捉えるかの例でもあります。

coralcap.co

 

法律がおかしいなら、実態に即していないのなら、法律自体を変えてしまおう。こんな発想をするかどうかも異なります。国内ではヤフーがこうしたロビイング専門の部署を持っていますし、ソフトバンクがADSL、携帯事業で電波行政に対して激しい攻撃を行ったのも、挑戦の文化らしいといえますね。

 

自動車業界でも、海外メーカーはルール自体を変えることに積極的です。自動車業界の法律やルールで最も大きいのは、環境への影響を抑えるためのCAFE(企業別平均燃費基準)あたりでしょう。これをクリアするにはガソリンエンジン車ではどうにもならず、少なくともHVが必要で、さらに不足分は他社から買ってくることになります。

 

ところがこのルールの改正にあたっては、「欧州メーカーに有利に変更されている」といった話が常に聞こえてくるわけです。トヨタのHVが微妙に不利な計算方法に変わっていたりするわけですね。

 

これはルールを作るほうが圧倒的に強い立場であり、ルールを受け入れる側は弱い立場だということでもあります。議員に働きかけて自社に都合のよいようルールを変えさせることを是とするかどうかが、このあたりに現れています。

伽藍とバザール

この挑戦の文化と失敗の文化は、1997年にエリック・レイモンドが表した「伽藍とバザール」にも似ています。これはオープンソースソフトウェア(OSS)をバザールと表現し、既存の手法を伽藍と呼んで対比させたものです。いまのアジャイルとかの源流ともいえるでしょう。 

この「伽藍とバザール」を、閉鎖空間と開放空間と定義し、ゲームのルールが異なると解釈したのが橘玲です。

それを 「伽藍とバザール」 で説明しよう。

伽藍というのは、お寺のお堂とか教会の聖堂のように、壁に囲まれた閉鎖的な場所だ。それに対してバザールは、誰でも自由に商品を売り買いできる開放的な空間をいう。そして、伽藍かバザールかによって同じひとでも行動の仕方が変わる。

バザールの特徴は、参入も退出も自由なことだ。商売に失敗して、「なんだ、あいつ口ばっかでぜんぜんダメじゃないか」 といわれたら、さっさと店を畳んで別の場所で出直せばいい。

その代わり、バザールでは誰でも商売を始められるわけだから (参入障壁がない) 、ライバルはものすごく多い。ふつうに商品を売っているだけでは、どんどんじり貧になるばかりだ。

人生は攻略できる

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これを踏まえると、失敗の文化はこんな感じです。

  • 閉鎖環境
  • 悪評は消せないので失敗はできない
  • 既存の掟を守る 

逆に挑戦の文化はこうなるでしょう。

  • 開放空間
  • 評判が悪ければ移動(転職)
  • ルールは都合の良いように変えるべきもの

村社会と都会と言っても当てはまりそうです。 

グローバル化と社会保障の破綻

昔であれば、世の中はゆっくりと動いており、ビジネスが確立された大手企業に就職できれば安泰で、その中で村の掟を破らずに、たんたんとつつがなく過ごせば、それなりの報酬も得て退職金もあり、老後まで安心というのが世の中のあり方でした。

 

その中では、現在のあり方を変えようとする者は、異端者であり破壊者であり、排除されるべき存在だったわけです。

 

ところが時代の変化はいろいろなところからやってきます。1つはグローバル化。村社会で成り立っていたところに、世界中が競合になってしまいました。もう1つは社会保障の崩壊。今や国も企業も、終身雇用と年金で死ぬまで面倒を見るというのを放棄しています。

 

となると、海外と勝負するためには「今よりもっと良くする」ことが必要で、国に守ってもらうのではなく、国自体が「変化を後押しする」というように変わってきました。村社会では、これまでの延長線上で「少しずつ改善する」というのはみんな得意でしたが、いまはそんな悠長なことは言ってられません。「ドラスティックに抜本的に」変えることで、海外含めた他社との競争に勝っていく必要が出てきているのです。

 

こうした変化と最も相性がいいのは当然ITであって、ITには規制自体が少なかったこともあって、イケイケドンドンの挑戦の文化が育まれてきました。こういう中で起こっているのは、ITなどを使って枠組み自体をひっくり返そうと目論む人たちと、ITをうまく使って既存の村社会的な枠組みを存続させようという人たちの争いです。

 

Uberはいろいろ難癖を付けて拒絶するけど、配車にはスマホアプリを活用して「ほら便利になったでしょ!」といっているタクシー業界が典型例でしょう。地理的に隔絶されていることもあって、ドメスティックなビジネスでは頑張ればまだまだ村社会の構図を守れるというわけです。

リスクテイカーという貴重な資源

例えば銀行であれば、既存の自分たちの仕事の枠組みは変えずに、イノベーションはほかから供給してもらうことを目論んでいます。ファンドなどを組成してベンチャー企業に出資し、チャレンジさせる。もしそれがうまくいくようなら、取り込んでいいように活用するか取り潰してしまうというわけです。

 

そんな中で、実は不足しているのが挑戦するマインドを持った人です。やる気と能力に満ちた若者であっても、既存の大企業の中で過ごす中では、その牙を抜かれ、だんだんと村社会の構造に染まっていきます。「大人になれよ」という言葉とともに。

 

「出る杭は打たれる」という言葉が今でも言われるように、またかつてIT企業で既存の枠組みを壊すようなチャレンジをした人が理不尽とも見えるようなやり方で排除されたように、日本の社会は挑戦する人に寛容ではありません。

 

日産をドラスティックに立て直したゴーン氏もそうですね。彼のやってきたことの全てが賞賛されるべきことだとは言いませんが、追い落としの方法は極めて村社会的で、罪状についても普通は納得できるものではありません。人間的に悪者に仕立て上げれば、どんな罪でも裁けるし追い払うことができるということです。

 

ただしゴーン氏は挑戦者であり、リスクを取って変革を行い、それを実現したということを忘れてはいけません。

essa.hatenablog.com

 

いま最も求められている人材はリスクをとれる挑戦者なのですが、既存の村社会はそれをさまざまな方法で排除しようとしている。そこに敏感な真に優秀な挑戦者は、アメリカなどにさっさと渡ってしまっているわけですが、なかなかにさみしいものです。