前から読みたかった本『現金の呪い』を読みました。こちら、ホラー小説ではなくて、現金が存在することでさまざまな不都合が起き始めている。これをなくすとどんな良いことがあるか? どうやったらなくせるのか? を書いた本です。
- 現金をなくすことのメリット
- 大量に存在する現金=紙幣
- 現金は非合法取引で使われている
- マネロンの仕組み
- なぜ当局は現金を止められないのか
- 現金をなくすためのステップ
- ビットコインへの誤解
- 現金をなくすもう1つの効果、マイナス金利
- フビライ・ハン=アイスラー=ブイター=キンボール・モデル
現金をなくすことのメリット
450ページという大部な本ですが、論理構成がしっかりしていて文章も読みやすいので、類書に比べるとスイスイ読めます。本書は大きく2点から、現金をなくすべきだと書いています。
- 脱税と犯罪利用の防止
- マイナス金利の実現
筆者ケネス・S・ロゴフは、IMFそしてFRB理事などを歴任した経済学者でハーバードの教授。そのため、平易な内容ながら、かなり本格的に現金の有害さとそれをなくすための手法についてまとめています。
そして、有名な名著『国家は破綻する』の共著者でもあります。この本、600ページを超える分量で、コンクリートブロックか? と思うくらいの大部。でも、『現金の呪い』同様にちょっと読みやすいのかもしれない?と思った次第です。
大量に存在する現金=紙幣
さて、各国が大量の現金を供給しているのはご存じの通り。ここでいう現金というのは、銀行預金なども含めた流通しているマネーのことではなく、紙幣のことです。国内では、実に118.3兆円。枚数でいうと178.5億枚。これは、GDP比でいうと18.61%にあたり、世界の中でもトップです。
ではこれほどの現金が何に使われているのか? この額は一人当たりにすると、子どもや老人も含めて100万円くらいになります。お札の現金ですよ? 財布の中やタンスの中、貯金箱の中に全員100万円入っているでしょうか? 入っていないですよね。
では銀行の金庫の中や、お店のレジの中にあるのでしょうか? あるにはあれど、そこまでの額ではありません。著者の調査によると、発行されているお札のうち、ありかは下記のようになっています。
- レジの中 2%未満
- 銀行金庫とATM 5%
- 個人の現金保有 5-10%
とすると、83〜88%のお金はどこにあるのでしょうか?
現金は非合法取引で使われている
著者曰く、これらの現金は非合法取引——麻薬取引、ゆすりや恐喝、汚職や収賄、人身売買、マネーローンダリングなどに使われています。
たぶん、脱税者の自宅の天井裏、麻薬売人のタンス、建設業者の地下金庫などにあるのだ
足が付かずにやりとりできて、税務署にも見つからずに保管できる。そんな特徴を持つ現金は、非合法取引にもってこい。だから、使われるお金も1000円札とか5000円札ではなく、1万円札の需要が最も多いのです。
下記は日銀の通貨流通高のデータから21年11月の流通額をまとめたものです(単位は億)。枚数でいうと、1000円札は43億枚とけっこうあるのですが、1万円札はなんと109億枚と圧倒的です。金額でいえば、118兆円の発行額のうち、109兆円が1万円札で締められています。
でも、日常生活で1万円札の札束を見ることはほとんどありませんよね。店舗のレジにだってそんなに用意されていません。銀行にはあるでしょうが、昨今高額取引は振込が普通で、現金を用意することはまれ。
つまり、こうした高額紙幣の多くは非合法取引で使われている可能性が高く、
高額紙幣は合法的な取引より非合法取引で使われる額のほうがはるかに大きい
というわけです。
殺し屋は、報酬をクレジットカードで払って欲しくないだろうし、ダイヤの原石でもらうのもいやがるだろう。
という理由があるからです。
マネロンの仕組み
さて非合法取引ではなぜ現金を使いたがるのか。またどうして現金にはマネロンの話題がついて回るのか。知っている人は当たり前のことでしょうが、本書の例から簡単に解説しておきます。
単純にいえば、これは脱税のためです。そして、まっとうな仕事をしていなそうな人が1000万円とかを銀行に預けたら、脱税はもちろんですが、これは非合法の仕事で得たカネだとバレるからです。だから、現金でやりとりして、現金のまま保有しておく必要があります。
この現金を、世に出していいお金、つまり銀行に預けられるお金に換える方法がマネロンです。犯罪で得た利益を洗浄(マネロン)する常套手段は二重帳簿だと言われます。例えばこんな感じ。
飲食店を例にすると、出した料理の数を実際より多く計上し、レシートを偽造し、税務署にこの帳簿を提出します。つまり、実際よりも売り上げを大きくするのです。合わせて、仕入れについても偽の領収書を用意します。または、余分な食材を買って処分するか、別のレストランに現金で格安で売ったりもします。こうして、売り上げも経費も水増しすれば、その利益分だけ、非合法で稼いだ現金を、正当な利益として銀行に預けられるわけです。
逆に、実際よりも売り上げをかくして小さく加工し、税務署に申告する利益を小さくするのが脱税ですね。この差額は、表に出せないカネとしてやはり現金で保管することになります。
なぜ当局は現金を止められないのか
これだけキャッシュレスが浸透してくると、現金がなくてもあまり困らないという人も多いのではないでしょうか。それでも現金を簡単には止められない理由はなんでしょうか。
当局側の理由の1つは現金発行に伴う利益です。これはシニョレッジと呼ばれ、シニョレッジの利益はGDP比で0.4%程度(日米)と言われています。何もないところからお札を刷ってものが買えるわけですから、そりゃ利益が出ます。これが中央銀行の利益になっており、そこから経費を使っているため、日銀は税金からの補助金なしで運営できます。これが「中央銀行の独立性」の正体です。
また日銀の利益は国庫に入りますから、現金をなくすと国家の収入も減ることになります。ただし、現金をなくせば非合法取引や脱税を止めることができ、税収が増えます。脱税は米国の場合、連邦税だけでGDP比2.7%と推計されており、現金取引が多く消費税が高い欧州ではもっと比率が高いと推計されています。
これは組織的犯罪に限った話ではありません。例えば、家庭教師を雇って月謝を現金で渡したとしましょう。中には律儀に確定申告をする人もいるでしょうが、現金でもらった収入はよほどのことがなければ、所得税を払わなくても分かりません。こうした「現金なら簡単だから」というカジュアルな脱税も、積み重なると大きくなるということです。
店舗相手でも、現金払いは脱税の温床になっています。現金なら、売り上げを小さく申告するのも簡単ですし、そうすれば法人税も消費税も払わないで済むからです。これを税務署が突き止めるのは多大なコストがかかっており、すべてをチェックできるわけではありません。
現金をなくすためのステップ
というわけで、こんな問題のある現金なんてなくせばいいじゃん♪ というのが筆者の主張です。ただし、いっきに全部キャッシュレスにしてしまえというわけではありません。電子機器に依存したキャッシュレスにはいろいろな課題もあり、そのためにレスキャッシュを主張しています。
これは、高額紙幣(例えば1万円)をなくし、いずれ小額紙幣も重いコインに切り替えるというやりかたです。考えてみれば、日常生活で現金が必要になっても、1万円札がないと困るということはほとんどありません。1万円札を本当に必要としているのは、脱税したり非合法取引で得たカネを保管しなくてはいけない人たちなので、この人たちの保管を大変にしてあげればいいという考え方です。
1億円を1000円札で保管しようと思ったら、たいへんなことになります。さらにいずれ、1000円札が1000円コインに代わったらどうでしょう。500円玉の重さは7.2グラム。1000円コインが10グラムだとすれば、10万円で1kg、1000万円で100kg、1億円だと1トンになります。こんなものは保管も輸送もできたものではありません。でも、それで本当に困るのは非合法なことをやっている人だけだということです。
そもそも、古代中国では、発行されたコインがあまりに重いため、銀行に預けて受け取る預かり証自体が流通したといいます。これが紙幣の始まりだったという説を中国の学者は唱えています。ヨーロッパでも、ゴールドを細工師に預けた預かり証が、紙幣として流通したのが始まりだという説があります。
これを現代版に直すと、日常生活で使う紙幣は取り扱いを難しくし、代わりに銀行預金を日常で使うように誘導するというわけです。
ビットコインへの誤解
こういう話があると、いや現金の代わりにビットコインを使うようになるだけじゃないか?という疑問も浮かぶでしょう。しかし、ビットコインは世の中で信じられているほど匿名性があるわけではありません。アドレスは匿名で作成できますが、取引はすべてブロックチェーンに記録されており、そこをたどれば誰がこのビットコインを誰から受け取ったのかは解析可能なのです。
もちろん、仮想通貨には匿名通貨と呼ばれるものもあって、取引記録が把握できないようになっています。Monero、Zcash、Dashなどが有名ですね*1。また、イーサリアムやビットコインでも、より匿名性を高めるオプションの開発も進んでいたりして、いたちごっこの点はあります。
ただし現金のほうが遙かに匿名性が高く、かつ流動性があり、取り扱いやすいというのが現状だったりするのです。
現金をなくすもう1つの効果、マイナス金利
そして、筆者は現金をなくすことのもう1つのメリットに、マイナス金利が容易にできるようになることを挙げています。各国中銀は、リーマンショックやコロナショックに対して、政策金利の引き下げだけでは対応できず、量的緩和(QE)やフォワードガイダンスなどの手法に踏み出しました。
もはやQEは普通の手法だと思うくらい馴染みがありますが、この効果や、QEからの脱却(QT)の副作用など、できれば金利の上げ下げで対応したいというのが、FRBにも勤めた筆者の感想です。
ではなぜ金利の引き下げができないかというと、マイナス金利になってしまうから。日本や欧州はすでに小幅なマイナス金利を実行していますが、これをマイナス5%とかまで引き下げることはせず、QEを実行しました。
銀行に預けておくとマイナス金利、つまりお金が取られてしまうのなら、みんな現金に換えて持ちます。しかし、現金を無くしてしまえば、マイナス4%、マイナス5%といった金利だって実現できるというわけです。
本書はこのマイナス金利の効果と実際の導入試案を、全体の半分を割いて解説しています。これ自体、なるほどと思える話が多いので、興味ある人はぜひ読んでみてください。
フビライ・ハン=アイスラー=ブイター=キンボール・モデル
ここでは、その中から「フビライ・ハン=アイスラー=ブイター=キンボール・モデル」というものを簡単に紹介します。これは、必ずしも現金を廃止しなくても、マイナス金利をうまく実現できるというアイデアです。
この案では、法定通貨を2つに分けるところから始まります。
- 銀行通貨(マネー・バンコ) 銀行間決済、帳簿の記入、金融取引清算
- 流通通貨
この銀行通貨というのは、要は銀行預金などのデジタルで存在しているお金で、すでに存在しているものです。そして流通通貨というのが紙幣やコインです。現在はこれらは1対1で対応していますが、この2つに交換レートを設けようというのがアイデアのキモになります。
この上で、銀行通貨のほうにマイナス金利を設定します。マイナス5%なら、100万円を1年銀行に預けると5万円が税金として取られるイメージですね。こちらはすべて電子上のマネーなので、簡単に実現できます。
でもこんなことをすれば、みんな銀行通貨を引き出して流通通貨のほうを持ちたいと思うでしょう。そこで交換レートの出番です。例えば、交換レートを0.9にするとどうなるか。100万円分の流通通貨を銀行に預けると90万円の銀行通貨にしかならないのです。
もちろん契約上の決済は銀行通貨しか認めない法改正を行うので、小口の店頭取引くらいしか現金での決済はできません。そして現金で家やクルマを買いたいと思ったら、銀行通貨で決済しなくてはならないので、9割の価値になってしまうことを念頭に置きながら銀行に預けなくてはならないわけです。
さらに、金融当局は銀行通貨の金利を上下させることはもちろん、交換レートも調整します。これによって、「現金で大量に持っていると損」という状態を作り出すとともに、現実的なマイナス金利を実現させようというわけです。
これは思考実験ではありますが、実質的に紙幣に対して保有の税を掛けるのと同じで、紙幣の取引を思いとどまらせる(カジュアルな脱税をしにくくする)と共に、政策手段としてのマイナス金利を可能にします。そして紙幣が大々的に使われなくなれば、例えば100万円を預金しようとした人は身元確認も含めて徹底的に調査されることになり、非合法取引の抑制にもなるというわけです。
*1:そのため、国内ではこの3コインは現在取引所で扱っていません