FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で自由主義者、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

市場原理主義と資本主義の違いについて

最初に断っておきますが、ぼくは自由主義者であり、リバタリアン、そして市場原理主義者です。どういうことかというと、物事を決めるのに誰か頭のいい人(例えば政府とか)が決めるのではなく、それは市場という場所で、各人が最も妥当だと考えた結果がぶつかり合うことで、最適な結果が導けると信じているわけです。

 

一般的には、これを「資本主義」って呼びます。政府がすべてを考える「計画経済」の対義語も「資本主義」だと考える人が多いですよね。でも実のところ、需要と供給に基づいて資源の最適化が図られるのは市場原理主義経済といい、これは資本主義とは厳密には違うのです。

市場原理を徹底させた上で私有財産を認めないという社会は?

きっかけとなったのは山口周氏の次のポストでした。

ぼくはこのとき、「私有財産は資本主義の根幹を成す概念なので、これは共産主義なのでは?」と書いたのですが、実のところ考えが甘かった。このポストの真意は、市場原理主義と資本主義とは厳密には別物だというところにあったのです。

 

一般に、計画経済の反対は資本主義経済だと思われているのですが、本当は市場主義経済です。これを分けて論じ、資本主義の弊害を指摘したのがフェルナン・ブローデルです((フェルナン・ブローデルは、『地中海 全5巻揃 フェルナン・ブローデル』にてこのことに触れているそうです)))。

市場経済と資本主義の違い

ブローデルは、資本主義が市場経済を超越し、市場を歪めるものだと考えました。彼は、資本主義者が市場の自由競争を阻害し、独占的な利潤を追求することで、社会的な不平等を拡大させると主張しました。彼の分類をまとめると次のようになります。

  • 市場経済
    • 市場を通じた財やサービスの交換が中心
    • 競争原理が働き、需要と供給のバランスで価格が決まる
    • 小規模な生産者や商人が主要な役割を果たす
    • 長い歴史を持ち、資本主義以前から存在
  • 資本主義
    • 大規模な資本の蓄積と投資に基づく経済システム
    • 利潤追求を最優先し、市場の独占や操作を目指す
    • 大企業や金融機関が主導的な役割を果たす
    • 産業革命以降に発展した比較的新しい経済システム

意外なことに市場経済ははるか昔からありましたが、資本主義というのは産業革命以後に登場したシステムなのです。市場を通じて財やサービスを交換し、競争原理に基づいて需要と供給のバランスで価格が決まる。これこそは一般に資本主義の良さだとみんなが思っていることではないでしょうか。しかし実際の名前は「市場経済」なのです。

 

一方で、資本主義は、資本の蓄積と投資に基づく経済システムです。社会にとって、治水に代表されるような工事は大規模な投資が必要で、近代まではそれは租税権を持つ国家だけができることでした。ところが18世紀に入って銀行、株式会社、私有財産の保護などが発達した結果、民間においても資本の蓄積が進みました。30年後に初めてリターンを生むような事業が、民間でも可能になったということです。

 

マックス・ウェーバーがプロテスタントは浪費を避け節約することで、資本の蓄積が進んだと『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で書いたことは有名ですが、私有財産によって資本が蓄積され、その資本によってイノベーションにつながる大規模な投資が可能になったというのが、資本主義の利点です。

 

いまや宇宙開発でさえ民間で行えるようになったわけで、いつ利益を生むか分からないようなビッグプロジェクトにも国家を必要とせず資本が投下される=投資されるようになったのは、素晴らしい世の中の進化だといえるでしょう。

資本主義の弊害

一方で、資本主義には弊害もあります。資本主義というのは資本の蓄積を目指す運動と同義なので、個人も企業も利潤追求が最優先になります。そしてそのために最も有効なのは独占であり、資本主義は原理的に独占を目指します。しかし独占は市場経済の天敵なので、独占を許さないように政府が規制するとという流れです。

 

つまり突き詰めたところ、資本主義の目指すところは市場経済とは異なるのです。

 

そして昨今起こっていることは、資本の集約が足りないというよりも、余った資本が無為に徘徊し、必ずしも未来に繋がらないことに投下されているということです。例えば、ビッグテックは自らを脅かす競合スタートアップを買収してはサービスをクローズしてきました。これはイノベーションのための資本の使い方ではなく、自らの独占を強化するための資本の使い方です。

 

資本主義に限界が来ている……と言う人は徐々に増えてきていますが、それは計画経済に向えとか、社会主義が理想だという話ではありません。自由経済=市場主義を土台とした上で、利潤の追求=資本の蓄積を目指す存在が、メリットよりデメリットのほうが強くなってきたのではないかという指摘なのです。

 

そしてここまで分解すると分かるように、資本主義と私有財産制度はセットですが、市場原理主義に私有財産制度は必須ではありません。

環境保護のために存在する会社、パタゴニア

なるほど理屈はわかった。確かに行き過ぎた資本主義に弊害もあるだろう。そして資本主義と市場原理主義が別物だというのも理解した。でも、資本主義ではない=つまり利潤を追求しない市場原理主義なんて有り得るのか?

 

こんなふうに思う人も多いのではないでしょうか。でも、現代を代表するトップ企業は、ビジョンの実現を利潤よりも上位に置いています。

 

僕は売上の1%を環境保護に当てているパタゴニアという企業が大好きですが、これはパタゴニアがそもそも環境保護のためにビジネスを始めた会社であり、利潤の拡大が目的ではないからです。企業とビジネスという手段を使って、環境保護に関心のある人に製品を買ってもらい、その利益を環境保護に回すという導管の役割を果たしています。パタゴニアの高いフリースを買う人は、この商品を通じて環境保護に寄付をしているのです*1

www.kuzyofire.com

 

イーロン・マスクのSpaceXを見てみましょう。SpaceXは「火星への有人ミッションと植民地化の実現」を会社の存在意義として掲げています。そしてSpaceXが火星に定期的にロケットを打ち上げられるようになるまで、同社を上場させないとイーロン・マスクは語ってきました。これは火星に定期便を出せるまでは利益を生まないよ、と言っているのと同じです。SpaceXは火星を植民地化するというプロジェクト実現のための箱であって、利潤の追求が目的ではないのです。

 

実は上場当時のGoogleもそうです。株主にあてた手紙の中で、創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」という会社のミッションを強調しました。そして短期的な利益を求める投資家に対して、Googleはそのような期待に応えない可能性があることを明確に述べたのです。さらに上場後も創業者が安定した経営権を維持できるよう、複数議決権株式を導入しました。これにより、創業者は議決権の51%を握り、会社の長期的なビジョンを追求できる体制を整えたのです。

 

つまりGoogleは世界の情報を整理するというミッション実現のための箱であり、利益は目標にしない、株式は売り出すけど支配権は譲らないと言ったわけです。

利潤を追求しない企業

昨今、利潤を追求する企業でありながら、CSRだとか社会貢献だとかいって、本業と関係ないところに寄付したり、イベントをスポンサードする企業が増えています。ぼくはこういう企業は軽蔑します。これは経営者の企業の私物化でしょう。社会に貢献したいのなら事業の内容そのもので行うべきであり、利益から寄付をするのならばそれは株主に配当して、株主が寄付をするか判断すべきです。

 

しかし最初から「利潤の追求は目指さないよ」という企業については、その会社の株を買うかどうかは株主が判断すればいいのです。パタゴニアの高い服を買うのと同じです。そして、利潤の追求を目指さないという企業のほうが、結果的に高い利潤を得ている場合が多いのだから不思議なものです。

 

上記の企業の例などは、冒頭のポスト主である山口周氏が著書『クリティカル・ビジネス・パラダイム』で紹介したものです。企業の社会的貢献などというと、ずっと胡散臭く、株主軽視だとぼくは思ってきたのですが、パタゴニアやGoogle、SpaceXの企業理念を見ると、「利益を一兆、2兆と数えられる企業になる」と言っている会社よりも、社会変革のために事業をやりますといっている企業のほうが、今あるべき姿なんじゃないかと感じています。

 

 

*1:もちろん、そんなことを考えず、ブランド力だけで購入し、環境保護に役立ってくださっている顧客もいますが。