『サイコロジー・オブ・マネー』を読んでいます。こちら、投資に関する本でありながら、投資理論や投資手法の本ではなく、お金に関する向き合い方と、人間心理の話。かといって、昨今流行の行動経済学でもありません。
その中に、「足るを知る」という言葉が出てきます。
数百億円の資産があってもなぜ危険な投資をするのか
ものすごい額の資産を持ちながら、さらに危険な橋を渡る人がいます。
元マッキンゼーのCEO、グプタ氏は退職後も国連や世界経済フォーラムの要職を歴任し、上場企業5社の取締役を務めました。その資産は1億ドルに達したといわれています。ところが、彼はこの資産額では満足できませんでした。
彼が務めていたゴールドマン・サックスの取締役会で、金融危機から救うためにウォーレン・バフェットが50億ドルの投資を計画していることを知ったグプタ氏は、ヘッジファンドに依頼してインサイダー取引に手を染めます。グプタ氏はこの取引で100万ドルを稼ぎましたが、逮捕されました。
最も悪名高いネズミ講詐欺師として知られるマドフ氏は、投資家から20年間金をだまし取っていました。ところが、実はマドフ氏は合法的なビジネスで、年間2500万ドルから5000万ドルの利益を上げていたというのです。
2人はすでに、すべてを手にしていた——想像を絶する富、名声、権力、自由。それらすべてを捨てたのは、さらなる欲望に突き動かされたからだ。彼らには、「十分」の感覚がなかった。
なぜ投資家は投資を止められないのか
これは投資家でも同じことがいえます。最近、投資家の人とお話すると、「十分に資産が貯まったら投資を止めますか?」と聞かれることがあります。ぼくは、「いや、止めることはないですね」と返事をするのですが、これは先の2人と同じような話なのでしょうか。
著者は、資産が増えてもさらに増やしたいという気持ちを抑えるために、次のことを挙げています。
- 求める基準を上げ続けてはならない
- 富の比較ゲームに参加してはいけない
- 吐くまで食うな
- 大きな利益が得られる可能性があっても、危険を冒す価値のないものは多い
いや、この4つはそれぞれもっともですね。もっと多く、もっと多くと考えると、資産額に上限はありません。「吐くまで食うな」というのは、自分がどれだけ食べられるか知りたければ、吐くまで食べるしかないといことです。食事ではこんなことをする人はいないのに、ビジネスや投資では、破産したり続行不能になるまで手を伸ばし続ける人は後を絶ちません。さらには上記の2人のように犯罪に手を染めてしまいます。
「足るを知る」
ほかの投資家と会うことがしばしばありますが、そこでどうしても気にしてしまうのが資産額でしょう。自分のほうが額が多ければ、なんとなく優越感を抱いたり、少なければ劣等感を感じたり……。これは自然な感情でしょうが、まったくもっていいことはありません。
資産1000万の人は5000万円の人に劣等感を感じますが、5000万の人は1億の人に、1億の人は3億の人に、3億の人は10億の人に劣等感を感じるわけです。ここの連鎖には、これで十分という点がありません。
でも、資産がそんなに多くなれば人生が幸せになるかというと、そういうわけではないのです。逆に、自分よりも資産額が多い人と比べてしまい、幸福感が減ることさえあるかもしれません。
老後資金が足りないのは不幸ですが、老後資金には2000〜5000万円もあれば十分で、そんなに多くの資産はいらないのです。同様に、FIREだって年数に応じて必要な額があるだけで、数億円が必ず必要というわけではありません。
投資ポートフォリオのリスクをどうするか
そう考えると、年齢に応じてポートフォリオのリスクを減らしていくという、古からのアドバイスはけっこう有用です。ぼくも含めて多くの投資家が、資産を増やしてきたのと同じようなポートフォリオを保有し続けた結果、FIREに必要な資産を大きく超えた状態になってしまったということはないでしょうか。
これは、たまたまコロナショック後の株式好調の波に乗ったからであって、本質的にはもっとリスクを抑えた、安定的なポートフォリオに変更すべきだったのかもしれません。
「足るを知る」。これは実に奥の深い言葉だと思います。