先日破綻した世界最大の仮想通貨取引所FTX。その創業者であるサム・バンクマン・フリード、通称アフロサムのこれまでを追ったノンフィクション『1兆円を盗んだ男』を読みました。いや、さすがはマイケル・ルイス、面白い! 中でもぼくが注目したのは、彼が効果的利他主義者(EA)であるということです。
功利主義者は寄付するために働く
功利主義という言葉を知っているでしょうか。これは倫理学の一派で、ある行動の正しさを、その行動がもたらす結果や幸福の総量に基づいて評価する理論です。
大事なのは”結果”と”総量”の部分です。功利主義は資源分配の理論でもあるので、医療や法整備などの面でも理論的なバックボーンになりますが、究極的には、いかに幸福を増加させ、不幸を減少するかが結果になります。そして総量というのは、誰か一人の幸福ではなく幸福な人の合計数、または不幸な人をいかに少なくするかということを指します。
つまり個人の利益よりも大多数の利益を優先し、行動の結果が最大限の良い影響をもたらすことを目指すわけです。
シンプルに当たり前だと思うでしょうか? しかし功利主義を論理的に突き詰めていくと、こうなります。
人は自分の人生を、その結果によって評価すべきだと信じていた。
その結果を端的かつ定量的に示すことができるものにした――救われる命の数を最大化すべきだ、と。
これは指針としては納得できるものでしょう。必ずしも全員の倫理観と一致するわけではないでしょうが、一人の命を救うよりも10人の命を救ったほうがいいというロジックに、正面から反対する人は少ないはずです。感情面では、自分の大切な一人のほうを救いたいと思ったとしても。
さて、これを突き詰めていく人が世の中にはいます。彼らはEA:Effective Altrism=効果的利他主義者を自称し、いかに合理的に科学的なデータを用いて(=効果的)、他人を救えるか(利他主義)を目指すのです。
寄付するために稼ぐ=Earn to Give
そこに傾倒した人の一人が、世界最大の仮想通貨取引所FTXの創業者、サム・バンクマン・フリードでした。放漫経営といわれ逮捕され、有罪となった彼が、こうしたバックグラウンドを持っていたというのは意外かもしれません。
それでも彼が働くのは、稼いだお金を寄付して世界中の命を少しでも救おうという動機からでした。
彼は可能な限り多くのカネを稼いで、最も効率的に命をすく活動に投入することに全力を注いでいた。トレードで得たカネのほとんどを、オックスフォードの哲学者たちが特に効率的に命を救っていると認定した3つの慈善団体に寄付した。
サムが働いていたのは、ジェーン・ストリートというHFT系のヘッジファンドです。その中でもトップクラスの稼ぎとなっており、サムのボーナスは1年目で30万ドル、2年目で60万ドル、3年目の25歳のときには、100万ドルに達していました。
しかし彼は満足しませんでした。もっと稼ぎ、もっと寄付するためです。EAの間では「80,000 Hours」というサイトが有名です。8万時間とは人が生涯のキャリアで仕事に費やす時間のことを指していて、端的にいうとこのサイトはキャリアガイドです。さらにいえば、世の中により貢献できる仕事を見つけるためのサイトです。
ところが、それはNPOで働いたりアフリカで治療を行う医師になったり、何らかボランティア活動を行うといったことに留まりません。その人の才能によっては、NPOで働くよりも高給取りの仕事に就いて、稼いだお金を寄付するほうが効果的だとしています。彼らは、これを寄付するために稼ぐ=Earn to Give と表現します。
NPOを立ち上げてCEOとして尽力するよりも、その人が持つ才能によってはGoogleのエンジニアになって、収入の半分を寄付したほうが世の中に大きな貢献ができるのではないかというのです。
同じように、サムも考えます。「このヘッジファンドの仕事が、自分の最高の価値を生み出す可能性はどれくらいあるだろうか?」。その結果、サムは仮想通貨を使ったヘッジファンド、アラメダ・リサーチをスタート。さらに取引所のFTXも立ち上げました。
200億ドルを持つ29歳
FTXはわずか3年で大成功します。サムは29歳にして200億ドルの資産(FTXの持ち分だけを計算)を持つ男となりました。アラメダ・リサーチは数人の従業員で10億ドルの営業利益を上げ、FTXは日々お金を刷っているかのような儲かり方でした。
僕は、我々が実際にどれだけ儲かっていたか知っています。毎月2500億ドルの取引量に対して2bp(0.02%)の収益でした。まるで紙幣の印刷機の上に座っていたようなもんです。
ほとんど経費がかからないネット上のサービスで、毎月5000万ドルの収益。年間にすると6億ドルにも達します。
しかもサムはこうやって稼いだお金を様々に投資していました。例えば、世界中のSolanaの10%をサムは保有していました(Solanaの時価総額は現在837億ドル)。総額で約50億ドルを300もの案件に投資しています。中には、Claudeを開発しているAnthropicへ5億ドルを初期に投資したものも含まれています。
若くして大富豪になったサムが行ったことは、世間のイメージとは異なり、セレブのような生活でもパーティ三昧でもありません。彼はいつもヨレヨレのTシャツに短パン、サンダルで、身につけるものにも食べるものにも無頓着。豪華な家やクルマなどにも全く関心を持ちませんでした。お金の使い道は寄付です。
2021年に3000万ドルを寄付したあと、2022年には3億ドル、2023年には10億ドルを寄付するペースで進んでいた。その少し前にニシャド(元FacebookのエンジニアでEA。FTXの初期メンバー)が私に言ったように「私たちはようやく、善を行うことについて語るのをやめ、実行に移す段階に来ている」のだ。
サムはひたすら生き急いでいました。サムがプレイしていたゲームは「巨万の富を築き、それを使って人類の壮大な歴史が終焉を迎えるのを防ぐ」というものです。
彼はなぜか、自分や多くの人々は、40歳を過ぎると重要なことを成し遂げる可能性が低くなる、と判断していた。彼が睡眠も運動も食事もまともにとらず、常に静観より行動を選ぶのには理由があった。彼は急がなければならないのだ。
FTX崩壊の真相
本書は世界最大の取引所だったFTXが、まさに一夜にして崩壊した様を、サムの生い立ちから人となりをたどることで解き明かす一冊です。FTXは、端的にいうと取り付け騒ぎに対応できずに潰れました。預かっていたはずの顧客のお金が、なぜかアラメダに流用されていたのです。
「ガバナンスが全く機能していない会社」「取締役会もない」なんていうFTXに対する人々の声を聞くと、反社会的な人間が遊び暮らすために建てた詐欺的な会社だったのではないかと想像しがちです。
ところが、本書を読むと、サムがそういった私利私欲とは全く無縁で、FTXで多額のカネを稼ぎたかった理由がじわりじわりと理解できます。自分の人生の意義については論理的に考えてきたサムは、他の人々を少しでも多く救いたかったのです。そのために、自分の才能が最も役に立つ場として、FTXをローンチさせたのでした。
邦題は『1兆円を盗んだ男』と、私利私欲の犯罪者をイメージさせるタイトルです。しかしそれはかなり実態とは異なると、ぼくは感じました。原題は『THE RISE AND FALL A NEW TYCOON』。直訳すると「新たな大物の興亡」という感じでしょうか。
人はわずか30年の人生の間に、これだけ波乱万丈になれるのか。仮想通貨に興味がなくても、人間にとっての人生とはを問いかける一冊です。