お金の増やし方についての本は数あれど、お金の使い方についての本はほとんどありません。本書『アート・オブ・スペンディングマネー』は、名著『サイコロジー・オブ・マネー』の筆者が「一度きりの人生で『お金』をどう使うべきか?」と銘打って書いた一冊です。いや、正直言って、とっても素晴らしい本でした。
増やし方はサイエンス、使い方はアート
お金の心理学的に正しい増やし方が前著『サイコロジー・オブ・マネー』なら、そうして増やしたお金の使い方である本書は、まだに続編だといえます。
ではなぜタイトルが「アート」なのか。それは、増やし方は公式や論理的な結論がある「サイエンス」なのに対し、お金の使い方とは正解のない「アート」だからです。
お金を使うことは、数字や計算とはほとんど関係がなく、むしろ人間心理や嫉妬、見栄、アイデンティティ、不安など、ファイナンスの世界では無視されがちなテーマと大きく関係していることについて説明する。
面白いのは、増やし方を勉強した人でも、使い方を学ぶことはほとんどないということです。筆者はそれを「私たちは、自分が何を望むべきかを、ときに叫び声のように大きな世間の声によって指示されている」と表現しています。
これは人々は自分自身が何を望むかを自ら理解することはできず、人は「それ自体が欲しい」からではなく、他者が欲している(持っている)から欲望が生まれやすいという、ルネ・ジラールの模倣理論を彷彿とさせます。
自分がお金を通じて何を求めているかをよく分かっておらず、お金をステータスや成功の尺度以外で使う方法を知らない人があまりに多いことだ
無邪気に「お金がほしい」と考える人は多くいます。「お金さえあれば、今の不幸が好転するのに……」と考える人も数多い。でも実のところ、これは妄想です。なぜ妄想なのか、そしてではどうしたらいい。それに答えるのが本書です。
ただ、冒頭のお金の使い方はサイエンスではなくアートだという言葉を思い出しましょう。つまり増やし方には正解がありますが、使い方には正解はありません。ただし、間違った使い方=不幸になる使い方というのはあります。それを身につけるだけで、「お金の使い方スキル」は大幅に向上するのではないでしょうか。
お金の使い方は2つある
本書ではお金の使い方について、さまざまな角度から紐解かれます。その中で、象徴的な言葉の1つが下記です。
お金の使い方は2つある。1つは「より良い生活を送るための道具」としての側面、もう1つは「他人との比較で自分のステータスを測るための物差し」としての側面だ。
お金を自分のために使うなら問題はありません。でも、他人に見せびらかすために使い始めたら、往々にしてそれはどこまでも満足できない泥沼に足を踏み入れることになります。
あなたはブランド品が好きですか? 僕も高級外車とか高級機会式時計とか、好きなのでそういう気持ちはよく分かります。ただし筆者は、
高級品は「称賛のジャンクフード」
だと表現します。人々ははるか昔から、注目され共感や称賛を得ることのために物質的な豊かさを利用しようとしてきました。虚栄心です。お金で買えるものの快適さや便利さよりも、それによって得られる他人からの注目を重視しているというわけです。
だからどうした? 私が本心では尊敬や注目を求めていたとして、良いクルマを買うことでそれが得られるなら、何が問題なのか? 筆者はこうした開き直りに対して次のように返します。
人が派手な物を他人に誇示したいのは、それが尊敬や称賛を得るための「残された最後の」あるいは「唯一の」手段だから、というケースがあるということだ。
結局のところ、高価なものを買って得られる注目というのは長続きしません。高級車を買って注目されるとして、誰から注目されるのでしょうか。
ほとんどは見知らぬ人だ。しかも、じろじろと見ているのはあなたではなく、車のほう。
あなたの大切な人たちは、あなたがどれだけ親切で、面白く、知的で、愛情深いか、といったことのほうがずっと重要だと考えている。
モノよりも中身で注目されたいと本当はみんな思っている
元フットボール選手のチャド・ジョンソンはケチで有名だそうですが、すでに有名でその能力によって人々から尊敬され、称賛されているのなら、物質的な豊かさをひけらかす必要はないと話したそうです。
ジェフ・ベゾスは現在5億ドルのヨットを所有しています。ではベゾスはこのヨットのおかげで、さらに尊敬され、称賛されるようになったでしょうか?
ウォーレン・バフェットはかつて次のように話したそうです。
人の行動を左右する大きな問いは、人生の基準を自分の内側に持っているか、外側に持っているかだ。内側の基準で満足できれば、それは大いに価値のあるものになる。
内的基準とは、自分の魂を満たし幸せな気分を味わうためのもの。外的基準とは、周りの人に良い印象を与えるためのものというわけです。
外的基準をすべて否定する必要はありません。ひろゆき氏は、いつでも短パンにサンダルで、外的基準を全く意識していないように見えます。それでもTPOという言葉があるように、シチュエーションによって適切な服装というものはあるでしょう。
逆にいえば、TPOを無視しても自分の内的基準に従って好きなかっこうをできるということは、ブランド品に身を固めた格好をするよりも、よほど尖った生き方だといえるかもしれません。
