FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で自由主義者、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

権威を信頼することとAI 三菱UFJ銀行の貸金庫盗難


三菱UFJ銀行の行員が、貸金庫に預けられていた顧客の資産十数億円を盗んだという事件の会見がやっと行われました。事件発覚から1ヶ月半。犯人は40代女性だとされていますが、未だに名前なども明らかにされていません。

権威を笑い飛ばせ

今回の事件の確信はどこにあるのでしょうか。「信頼、信用という銀行ビジネスの根幹を揺るがすものと厳粛に受け止めており、心よりおわび申しあげる」と三菱UFJ銀行の半沢頭取は謝罪しました。

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三菱UFJ銀行の行員が、貸金庫から十数億円を持ち出したという衝撃的な事件。「二人の鍵がないと開かない」という安全神話が、まさか「予備鍵」という裏口から崩れ落ちるとは。支店の貸金庫管理責任者という、まるで金庫室の門番のような立場の人物が、実は4年半もの間、密かに宝物を抜き取っていたというのです。そして、その「誰か」の正体すら、いまだベールに包まれたままなのです。

 

そもそも九条は「権威」という言葉が大嫌いです。権威とは、思考停止の代名詞。みんなでそれに頼ることで、不安な現実から目を背け、「きっと大丈夫」と思えるためのものだからです。

 

たとえば銀行は、「経済の心臓部」「安全な資産の守護神」といった肩書きをまとって、私たちの前に君臨してきました。私たちは「自分で管理するのは怖い」という不安を、銀行という神殿に預けることで、安心を買っていたのです。つまり権威とは、私たちが集団で購入している「心の保険」だったわけです。

 

今回の事件は、その保険証書に書かれた「絶対安全」という文字が、実は消えるインクで書かれていたことを暴露してしまいました。内部の人間が、あっさりと金庫を開けて大金を持ち出せてしまう。その光景は、まるで手品師が「これが権威です」と見せていた帽子の中から、ウサギの代わりに「人間の欲望」が飛び出してきたようなものです。

 

なぜ、こんな茶番めいた権威という仕組みが存在しているのでしょうか?それは私たちが「疑う」という面倒な作業を省きたかったからです。科学者が「これは正しい」と言えば信じ、銀行が「ここは安全」と言えば預ける。その方が、毎回すべてを自分で検証するより、はるかに楽チンです。

 

でも、その「楽チン」が仇となって、私たちは権威という名のベビーシッターに、考える力まで預けてしまいました。その結果、不正が起きると「なんで守ってくれなかったの?」と泣き叫ぶ赤ん坊のように、自分の無力さを痛感することになったのです。

 

言い換えれば、権威は「考えることをやめる」という意味での麻酔薬です。保守主義者が「昔からそうだったから」と言うのは、「なぜそうなのか」を考えるのをやめるための、便利な言い訳なのかもしれません。

権威からアルゴリズムへ?

「権威を信用するのが間違いだった」という結論は、少し早計かもしれません。でも権威の代わりにアルゴリズムに任せれば安全かというと、それもまた新しい「信仰」を生み出すだけのような気もします。

 

確かに金融は、数字を扱う世界です。預金も、融資も、投資も、デジタルな処理との相性は抜群です。だから銀行は今、人間の判断を少しずつアルゴリズムに置き換えようとしています。与信判断のような、これまで「経験と勘」に頼ってきた領域も、そのうちプログラムが判断するようになるでしょう。

 

貸金庫のような物理的な資産も、トークン化という仕組みでデジタルの世界に移していく試みが始まっています。RWA(リアルワールドアセット)という言葉が、その新しい可能性を示しています。

 

でも、ここで立ち止まって考えてみましょう。かつては「プログラムの動きが追える」というのが、コンピュータの美点でした。しかし今や、金融の領域でも使われ始めているAIは、その判断過程を説明できません。「なぜその結論に至ったのか」を問われても、答えられないのです。私たちは「完璧な銀行」という幻想から「完璧なAI」という新しい幻想へと、看板を掛け替えようとしているだけなのかもしれません。

 

実は、私たちが目にしているAIの「無謬性」は、かつて銀行が纏っていた「無謬性」と奇妙なまでに似ています。行員が金庫から大金を持ち出せたように、AIもまた、誰かが裏口からプロンプトを操作すれば、まったく予期せぬ出力を吐き出すかもしれません。つまり、私たちは「完璧な権威」という同じ夢を、ただ別の箱に詰め替えているだけなのかもしれないのです。


しかし、面白いことに、銀行強盗は「銀行を襲う」と宣言してきましたが、AIは時として自分で「私は間違えるかもしれません」と告白してきます。この「弱さの表明」こそが、実は新しい権威のあり方を示唆しているのではないでしょうか。完璧を装う権威は必ず裏切りますが、自らの限界を認める存在は、むしろ信頼に値するのかもしれません。


結局のところ、今回の事件が私たちに教えてくれたのは、権威は「着せ替え人形」のようなものだということです。昨日は銀行スーツ、今日はAIのコスチューム。でも本当に必要なのは、その着せ替え人形に「私は完璧じゃないよ」としゃべらせる勇気なのかもしれません。そう考えると、三菱UFJ銀行の次の頭取は、AIにするのも一案かもしれませんね。少なくとも、「絶対に間違いません」なんて言わないはずですから。

 

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