ぼくは今、FIREしてマイクロ法人を設立し、日本の税制の歪みを最大限享受して暮らしているわけですが、これは裏技でも何でもなく、サラリーマンがこうした世界を知らないだけで、日本の企業の99.7%を占める中小企業家にとっては常識の仕組みです。これをサラリーマンにもわかりやすく説いたのが橘玲の『貧乏はお金持ち』でした。
このたび『新・貧乏はお金持ち』という形で改訂版が出たので、さっそく読んでみました。懐かしさと新しさが同居する一冊でした。
「磯野家の節税」を全面書き直し
もともと2009年に刊行され2011年に文庫化されたのが『貧乏はお金持ち』なわけですが、そこから16年、かなり制度は変化しました。当時は法人税が高く、マイクロ法人を設立した上で「法人を赤字にして個人で節税する」ことがベストプラクティスとして解かれていました。
ところが法人税が30%→15%まで下がり、地方法人税も中小企業の場合、7%→3.5%まで軽減されました。こうなると現在のベストプラクティスは「個人の所得を下げて法人で納税する」ことになります。それに対応して、実例である「磯野家の節税」パートを全面的に書き直したのが改訂の大きな内容です。
そのほかに「副業で節税できるか」「補助金を受け取る」というコラムが追加されていますが、そのほかは基本的に旧版のまま。内容が変化したところは注が追加されていますが、当時の文章を残しています。
テクニック本ではなく思想本である
ぼくは2009年にもこの本を読み、16年経って再び読み返したわけですが、正直なところ、細かなところはほぼ忘れていました。しかし、本書が主張する内容についてはバリバリサラリーマンをやっていたにもかかわらず、「こんな世界があるんだ」とぼんやり思ったことを覚えています。
本書の中身はテクニック本ではなく、「なぜ同じ人が、個人として活動するのと法人として活動するのでは税制が全く変わるのか?」という謎を解くミステリー小説であり、思想本です。
例えば、人ではないのに法律で人として扱われ、契約主体となれるだけでなくプライバシー権や知的財産権などの人権も認められている「法人」という不思議については、本書を読んで興味を持ち、下記を読んだりしました。
橘玲らしい、幅広いうんちくが散りばめられているのが本書の魅力であり、最近の著者の書籍よりも、この頃のほうがその密度と連携具合は強かったように思います。
例えば、法人にも福祉が用意されているよ、とか。
すでに法人には人格の尊厳(プライバシー権)や知的財産権(著作権)を含むほとんどの人権が認められている。先に、法人は倒産するから生存権はないと述べたが、その一方で金融機関への公的資金(税金)投入や中小法人へのさまざまな優遇措置が講じられており、これは福祉の一環と考えられないこともない。
もともと合同会社は米国のLLCをモデルにパススルー課税で考えられていたけど、国税庁の大反対で骨抜きにされたとか。
アメリカのLLCは法人化したパートナーシップとみなされるため、このパススルー課税が認められている。(略)2005年に日本で新設された有限責任事業組合(日本版LLP)は組合員全員が有限責任のパートナーシップで、他の組合と同様にパススルー課税が認められた。ところが新会社法で設けられた合同会社(日本版LLC)は、有限責任事業組合に法人格を付与したものであるにもかかわらず、株式会社と同様に法人税が課されることになった。これは経済産業省の要望に対し、節税の道具に使われることを恐れた国税庁が頑強に抵抗したためだといわれている。
企業年金を通じて労働者が企業の多くの株式を所有している現在、アメリカこそ史上初の社会主義国家だと言ったり。
ドラッカーは、アメリカの労働者が企業年金や年金基金を通じて全産業の株式資本の三分の一以上を保有している事実を挙げて次のように書く。社会主義を労働者による生産手段の所有と定義するならば(これこそ、社会主義の本来かつ唯一の定義である)、アメリカこそ史上初の真の社会主義国家である。
累進課税どころか所得の一定率にかかる税金でさえ論理的根拠は乏しく、本来あるべきは人頭税であり社会のセーフティネットは寄付とボランティアで支えられるべきだというアイデアなど*1。
ほぼすべての国が、これとは異なる応能原則(各人の負担能力に応じて支払うこと)によって税を徴収している。これは国家に、公共財の提供とは別に所得再配分の機能があるからだとされている。(略)共同体を維持するために所得の再配分が必須だとしても、それをなぜ国家が独占的におこなわなければならないのか不明だからだ。(略)経済学者ミルトン・フリードマンは、社会のセーフティネットは国家ではなく民間の寄付とボランティアによって支えられるべきだと考えた。
国家に依存するな。国家を道具として使え。
そうした中でも最も皮肉が効いているのが「国家に依存するな。国家を道具として使え。」というメッセージでしょう。
マイクロ法人に関するノウハウなどを書くと、だいたいサラリーマンの人たちから非難を受けます。やれ「品性がない」「制度の悪用だ」「人としての義務を果たせ」などなどetc。。
これに対し橘玲は次のように書きます。
読者の中には国家を道具として利用することを不謹慎と感じる人もいるだろうが、そうした「正義」が既得権を守り、不平等を固定化するということは指摘しておきたい。
どういうことでしょう。日本の政治家の多くが「中小企業を守る!」と声高に主張しているのを聞いたことがあると思います。日本の社会制度は、自営業者や農業従事者、中小企業経営者などの「弱者」に有利なように作られてきました。そして彼ら「社会的弱者」たちは、制度がもたらす恩恵をずっと享受してきたわけです。これが既得権です。
財務省はここに切り込もうと、あの手この手を使いますが、中小企業は多くの政治家の支援層でもあり、簡単に骨抜きにされます。下記の役員給与損金不算入がいい例です。
2006年度の税制改正で、国税庁は「同族会社の役員給与損金不算入」の規定を新たに導入した。当初の改正では、零細法人を保護するため、「役員報酬と法人所得の合計額の過去三年の平均」が800万円以下であれば適用を除外するとの救済策が盛り込まれていた。この金額が政治圧力によって翌年には倍の1600万円になり、2010年にはなんと制度そのものがなくなってしまった。
こうした既得権に対し、抑圧されてきたサラリーマンがマイクロ法人を作ることで「社会的弱者に擬態」する方法を広めることで、既得権を解体しようというのが本書の裏の主張なわけです。
本書の提案はそれをサラリーマンにも開放しようということなのだが、それを「不道徳」として抑圧してしまえば、既得権はずっと温存されることになるだけだ。(略)こうした不平等を是正するもっとも効果的な方法は、政治や社会を声高に非難することではなく、より多くのひとが利権にアクセスできるようにすることだ。そうなれば制度そのものが維持できなくなるから、否応なく社会は変わらざるをえない。この国を覆う閉塞状況を変えるものがあるとすれば、それは理想主義の空虚な掛け声ではなく、少しでも得をしたいというふつうのひとびとの欲望だろう。
こうした秘密のノウハウについては、Webで公開したり本に書くことをやめてくれという人が一定います。それはもちろんみんながその方法を使うようになると、抜け穴自体が塞がれたり、制度が改悪されるからですが、橘玲は逆に、こうした既得権があるから、みんながそれを使えるようにすることで不平等を解消できるというわけです。なかなかシビレますね。